提訴から約八年、そして、あの一審不当判決に対する控訴(こうそ)から一年十ヶ月−、創価学会によるセンセーショナルな報道に端(たん)を発した通称・シアトル裁判(法律的には、学会員ヒロエ・クロウによって起きた問題ゆえに、この訴訟をクロウ事件と称する)が、ついに決着した。結果は、日蓮正宗側の全面勝利・創価学会側の大敗北ともいうべき内容の和解が成立したのである!!
これにつき学会側は、じつにアンフェアで姑息(こそく)な報道を行ない、会員の目を欺(あざむ)こうとしているが、時間の経過と共に、和解内容が重くのしかかり、学会大敗北の事実が露呈(ろてい)しつつある。今回は、クロウ事件(シアトル裁判)の決着と、その後について報ずる。
学会の勝利報道を糾す
敗北の見通しに和解案呑む
去る一月三十一日、東京高等裁判所において、クロウ事件(シアトル裁判)につき裁判上の和解が成立した。
これは、今から四十年近くも前の昭和三十八年当時の、アメリカ・シアトルでの出来事について、それがあったとも、なかったとも、立証することは裁判上極めて困難である、ということから、東京高裁より日蓮正宗及び創価学会側に強く和解勧告があり、この決着となったものである。
この和解をすることでの具体的効果をわかりやすくいうならぱ、
○今後、創価学会による「シアトル」事件云云々などという報道は厳禁され、完全に差し止められる
○一昨年三月に下った一審・東京地裁での下田判決(学会員ヒロエ・クロウの証言を一方的に採用した、宗門敗訴の不当判決)を無効とする
○日蓮正宗側が、″学会の報道したごとき「シアトル事件」なるものはなかった″と否定することを、創価学会側も承諾(しょうだく)する
というものであり、まさに日蓮正宗全面勝利・学会大敗北の和解である。
では、一審の不当判決により、いったん優勢になったかに見えた学会側が、何故、こうした逆転敗北ともいえる和解勧告に応じたのか。
それは、もとより、シアトルでの事件なるものが「あった」として大宣伝を繰り返した学会側には、その立証責任があったが、客観的に第三者を納得させうるような立証が全くできなかったからに他ならない。
学会としては、一審では
″瓢箪(ひょうたん)から駒(こま)″のごとく、その辺に目をつぶった偏向判決を得ることができたものの、二審の高裁では、そのような期待はできそうもない(つまり、事実の立証責任があるのに立証できなければ、敗訴となってしまう)見通しが高まってきた、そこで、やむなく高裁の勧告に応ずることにしたものといえよう。
かくして、学会側が和解の文案を呑(の)んだのに伴(ともな)い、日蓮正宗としても訴訟を取り下げ、これ以上、本件に関して学会側の悪を責め積極的に攻撃することはしない、ということにしたのである。
しかるに創価学会側では、和解当日の深夜から怪文書で「勝った、勝った」と騒ぎ出し、翌・二月一日付「聖教新聞」では、会員を欺(あざむ)くような、「学会側が全面勝利」「学会勝訴の一審判決は歴史的事実」「宗門側の訴え取り下げは″事実はなかった″との主張、立証を放棄(ほうき)」等の見出しを付け、大報道を行なった。
また、二月一日の幹部会でも、学会弁護士・福島啓充や会長・秋谷栄之助らが同様の発表をしているが、これは、いずれも会員の動揺を抑(おさ)えるための、負け惜しみに他ならない。
それを如実に表わしているのが、幹部会で和解について触(ふ)れた、会長・秋谷栄之助の「本来、こんな汚(けが)らわしい話は、言うのも嫌だし、皆さんも、聞くのも嫌だと思っていたと思います。決着がついて、言わないでいいなら、ちょうどよかったということです。私たちは、もっと大きな次元に立ち、広宣流布のため、堂々と対話の拡大に取り組んで、前進してまいろうではありませんか」との言葉であろう。
要するに、これまで秋谷らが好んで散々言い触らしてきた「シアトル事件」云々などという喧伝(けんでん)が、このたびの和解内容によって完全に差し止められたため、今度は、「汚らわしくて言うのも嫌だから、もう言わないでおいてやる」といった調子で、ふんぞり返っているわけで、これでは子供にでもわかる″負け惜しみ″だというのである。
もっとも、こうした負け惜しみのゴマカシ報道をしてみたものの、日蓮正宗側から、今回の和解の意義についての「お知らせ」や「報道」が行なわれ、真実が伝わり始めたことに、危機感を抱(いだ)いたのであろう。二月八日付『聖教新聞』は、学会側弁護団長の宮原弁護士を再び登場させ、
「日顕宗の訴え取り下げは“白旗”、敗訴以上の大敗北である」「一審・下田判決は有効」「報道差し止めは大ウソ」等の見出しを打ち、さらに踏み込んで、日蓮正宗側の報道を全面否定する記事を載(の)せたのであった。
無知な学会員がこれを読めば、まんまと引っかかりそうな内容でもあるので、この際、その誤りを整理して指摘しておこう。
まず、「訴えの取り下げは″白旗″」とかいう点だが、二審への控訴(こうそ)を取り下げたのなら、それは宗門が自らの主張を放棄したことになり、一審判決が確定することになる。
たが、このたびの取り下げは、和解案に同意して訴訟そのものを取り下げたのであるから、民事訴訟法第二六二条@(訴えの取り下げの効果)により、訴訟が初めから無かったことになって、一審判決も無効化したのである。
これを偽(いつわ)り、「無効にするというものではない」「一審・下田判決は有効」などと会員に喧伝するとは、いったいどういう神経をしているのだろうか。
次に、「高裁は″事実の確定ができない″とは思っておらず、むしろ、学会のシアトル報道が真実であるとの心証を抱いていた」との点について。
ここまで来たら、もはや与汰(よた)話というしかないレペルだが、それなら裁判所の示した和解条項第一の二を刮目(かつもく)して見るべし,
「事実を確定するには、証拠上、時間的にも空間的にも、また言語上ないし制度的にも、通常の訴訟に比して、格段に多くの障害があり」との文を読み過(す)ごしてはいけない。
要するに高裁は、四十年前の事実の確定はいまだなされていない、との見解(言い換えれば、一審・下田判決を認めていない、との見解)と、事実の確定は不可能であろう、との見方を示しているのだ!
これを示されたからこそ学会は、逆転大敗北ともいうべき和解に、やむなく同意したのである。しかるに、これを無視して、勝手な憶測(おくそく)だけで「高裁はシアトル報道が真実であるとの心証を抱いていた」などと言うに至っては、呆(あき)れてしまって開いた口が塞(ふさ)がらない。
次に、「一審の下田裁判長も、判決前に宗門に取り下げ勧告をした。これは、宗門側の完敗だよ、という警告だった。今回高裁も取り下げを勧告したのだから、一審と同じ心証を抱いていたのである」との点について。
これも、まったくのゴマカシである。一審では、不当判決を出すのに多少ためらいがあってか、判決前に、宗門側に訴えの取り下げを打診してきたことがあったが、それは学会が無条件にが、それは、学会が無条件取り下げなら同意すると言っている、などというものであったから、宗門はこれを拒否した。当然のことである。
ところが今回の和解勧告は、これとは大いに異なり、事実の確定ができていないという見解や、学会側のシアトル報道差し止めまで折り込んだ、事実上の日蓮正宗大勝利の和解であったから、これに応じて訴えを取り下げ、裁判を終結させることにしたのである。
次に、これに関連して、「報道差し止めは大ウソ」などと嘯(うそぶ)いている点について。
およそ大謗法を繰り返していると、日本語の読み方までおかしくなってくるのか、学会側は、「報道差し止めなんて、和解条項に書かれていない」というのだが、和解条項第二の二、「今後、上記第一、二記載の争点にかかる事実の摘示(てきじ)、意見ないし論評の表明をしない」とは、まさに学会側が「あった」として言い散らかした「シアトルでの事件」なるものについて、今後の報道を完全に差し止めるものではないか。
むろん、これについては「相互に」ということであるから、日蓮正宗として、事件の内容の一いちを検証して学会側を追撃することも控(ひか)えねばならないが、一方、和解条項の追記によれば、学会側の名誉を毀損(きそん)しない限りにおいて、日蓮正宗側が、学会の言うような「シアトルでの事件』なるものはやはり存在しなかった、と否定することは認められており、これについても学会側は承諾したのである。
かくして見れば、日蓮正宗側としては今後、表現に留意しつつも、学会の言う「シアトル事件」なるものを全面否定していけるが、学会側は、従前のようなシアトル報道は完全差し止めとなった―これが実際である。
最後に、「本当に勝訴すると思っていたなら、宗門側は訴えを取り下げずに判決そ求めたはず」との言い掛かりについて。
そもそも、勝訴判決まで持ち込んだとしても、言論の自由を謳(うた)う憲法との関係で、報道の完全差し止めはできない。それは、まさに、相手側が「差し止めで結構でございます」と同意しての″和解″でしか得られない効果なのだ。
ゆえに、様々な意見があるにせよ、この際、創価学会によるシアトル報道を封ずる意義を重んじて、この和解勧告に応ずることにしたものと拝するのである。
これについて学会側弁護士は、何を思ったか、「自分のこれまでの経験の中で、名誉毀損事件でこんな一方的な取り下げは極めてまれなケースであり、学会側の大勝利」と述べている。
たしかに、依願人である学会に対する説明としては、こう述べざるをえない心情もお察しするが、すでに述へてきたように、これは「一方的な取り下げ」などではないし、事実、裁判長も、和解成立にあたって「報道差し止めの条項を組み込んだ和解は、三十数年間の経験の中で初めてです」と述べられたという。
まさに言論の自由を謳う憲法の下、多くの制約がある中で、この和解条項を得られたのは、極めて稀(まれ)なことであり、それ故に日蓮正宗としては「勝訴判決以上の大勝利」と断じたのである。
以上、縷々(るる)述べてきたが、今後、学会側がまたぞろクロウ事件と同様の報道を始めたり、怪文書・インターネット・口コミ等を使って、同様の報道・宣伝を続けるとしたら、和解条項に対する重大な違約となる。
法華講員は、そうした事例が起こらないか、しっかり学会を監視(かんし)し、その報告を怠(おこた)ってはなるまい。
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