【 「東京社会保障労務士会公報」第336号(2008年) 】



「改正介護保険制度の内容と今後の課題」



はじめに
 本年(2008年)5月21日、「介護保険法及び老人福祉法の一部を改正する法律案」が参議院本会議において可決・成立し、5月28日公布された。
 今回の介護保険制度改正は、昨年社会問題となったいわゆるコムスン問題等を受けて、介護サービス事業者の不正事案を防止し、介護事業運営の適正化を図る観点から行われたものである。介護サービス事業者に対して新たに業務管理体制の整備を求めることや、行政機関による事業者の本部等に対する立入検査権の創設、不正事業者による処分逃れ対策等の措置が講じられることとなった。
 本稿では、今回の改正の背景及び改正の概要を説明するとともに、介護事業をめぐる最近の動向を踏まえて、制度改正に関する今後の課題を展望したい。


改正の背景
1.2005年の介護保険制度改正

 改正の直接の契機は昨年のコムスン問題であるが、そもそもは2005年の制度改正との関連が深い。すなわち、2000年4月に介護保険制度が実施されて以来、介護サービス事業者が急増する一方で事業者の不正行為が見られるようになったことから、2005年の介護保険制度改正(予防重視型システムの確立や施設給付の見直し等大幅な制度改正を行ったもので、2005年6月「介護保険法等の一部を改正する法律」が成立、一部を除き2006年4月から施行)において事業者規制の見直しが行われた。
 しかし、コムスンのように全国的に事業を展開している事業者の不正行為への対応においてその規制内容に不十分な点が明らかになった。
 事業者の不正行為とは、架空請求や時間・回数の水増しによる請求、無資格者によるサービス提供、虚偽の指定申請、人員基準違反などであるが、これらを理由とした指定取消は、2003年末までに全国で201事業所にのぼっていた。
 施行当初の介護保険制度では、指定事業者が指定基準違反や不正請求を行ったことが明らかになったときには、指定の取消という方法でしか対応方法がなかった。指定取消には一定の時間を要するほか、取消に至る手続きも法令上規定されていなかった。このため、都道府県が事業者の不正行為を認識したときに柔軟かつ機動的な対応を行うことが困難であった。
 また、増大する介護給付費の無駄を省く観点から介護事業者の不正行為の防止等、介護事業者に対する都道府県等の監視指導の強化の必要性も高まっていた。
 そこで、2005年の介護保険制度改正において、不正事業者等に対する事後規制を強化する観点から、@指定の欠格自由、指定の取消要件の追加、A指定の更新制の導入(有効期間6年)、B都道府県知事等による業務改善勧告、改善命令等の権限の追加、という事業者規制の見直しが講じられることとなった。この中で、ある法人が複数の介護事業所を経営する場合、一の事業所が指定取消を受けた場合、他の事業所の指定更新が受けられなくなるといういわゆる連座制の規定も盛り込まれた。

2.コムスン問題
 株式会社コムスンは、2007年4月段階で従業員2万4千人、指定事業所数2,081(うち訪問介護事業所は1,110ヶ所)、利用者数6万5千人、年間売上639億円(2006年6月決算期)という、当時在宅介護最大手の企業であった。介護保険制度施行により躍進した民間企業の旗手であった。
 しかし、2006年12月からの東京都の立入り検査では、不正請求や、虚偽の指定申請、人員基準違反の訪問介護事業所の存在が発覚した。これらは取消処分に相当する不正行為であるが、コムスンは事業所の廃止届を出したために行政処分を免れることとなった。連座制適用逃れともいえる行動であった。
 さらに、2005年改正法が施行された2006年4月以降でも、複数の県において虚偽申請の事業所の例が明らかになった。そこで、2007年6月厚生労働省は、不正行為を行ったコムスンの全事業者の新規指定や指定更新を行わないよう都道府県に通知した。これに対して、コムスンは、同一資本グループ内の株式会社に事業譲渡を行うことによって実質的に処分の効力が及ばないようにしようとしたが、脱法行為との批判を受け、厚生労働省からも譲渡凍結の行政指導を受けた。このため、コムスンは介護サービス事業からの撤退を余儀なくされた。同年11月、利用者保護の観点から、コムスンの事業所は都道府県単位で他の民間事業者に譲渡された。
 コムスン問題は、介護業界最大手の企業といえども、法令を遵守しない不正事業者は介護事業から退出しなければならないという事例となった。

3.有識者会議報告
 厚生労働省では、コムスン問題を受けて、不正事案の再発防止策等を検討するために「介護事業運営の適正化に関する有識者会議」を設け、2007年7月から議論を開始し、同年12月報告書をとりまとめた。ここでは、従来の事業者規制がコムスンのような全国展開の事業者には不十分であったこと、不正事業者の処分逃れ対策の必要性、連座制など指定・更新の欠格事由の見直し、法令遵守等に関する体制の整備、事業廃止時の利用者へのサービス確保対策等が議論された。
 基本的に今回の改正は、この有識者会議報告書の内容を反映したものである。


改正の概要
 改正の内容は大きく5つに分かれるので、順次説明する。

1.法令遵守等の業務管理体制の整備
 法令遵守の義務の履行を確保するため、介護事業者は業務管理体制の整備を義務付けられるとともに、その内容を厚生労働大臣、都道府県知事または市町村長(以下、この項において「厚生労働大臣等」という。)に届け出なければならないこととされた。
 届出先は、指定事業所・施設が2以上の都道府県に所在する事業者は厚生労働大臣、地域密着型サービスのみを行う事業者で指定事業所が同一市町村内に所在する事業者は市町村長、そのほかは都道府県知事である。
 業務管理体制整備の具体的な内容は省令で定めることとされているが、厚生労働省の説明資料では、事業者の規模に応じたものとすることとし、例示として、すべての事業者に対して法令遵守担当者の選任のほか、中規模事業者には法令遵守マニュアルの整備、大規模事業者にはさらに法令遵守に関する監査の実施があげられている。

2.事業者の本部等に対する立入検査権等の創設
 不正行為への組織的な関与が疑われる場合への対応策として、国、都道府県、市町村による事業者の本部への立入検査権が創設された。厚生労働省資料では、検査の視点として、業務管理体制の整備やその取組状況、組織的な不正行為の有無等があげられている。
 さらに、業務管理体制に問題がある場合には、事業者に対して是正勧告をし、事業者が勧告に関する措置をとらなかったときは、措置をとるべきことを命ずることができることとされた。

3.不正事業者の処分逃れ対策
 事業所の廃止・休止届の提出について、従来の廃止・休止後10日以内の事後届出制から、廃止または休止の1ヶ月前までに届け出なければならないとする事前届出制に改められた。
 これにより、廃止・休止届が提出されていても1ヶ月間は事業所が存在するので指定取消等の処分が可能となり、コムスンが行ったような処分逃れを防止できるとともに、利用者のサービス確保のための時間が確保されるという効果がある。
 また、立入検査の日から聴聞決定予定日までの間に事業所の廃止届を提出した者について、相当の理由がある場合を除き指定・更新の欠格事由に追加された。これは、立入検査中の廃止届を制限することがねらいである。
 さらに、申請者(法人に限る)と同一法人グループに属する法人であって、密接な関係を有する法人が指定取消を受けた場合について、指定・更新の欠格事由に追加された。
 これは、指定取消を受けた事業者が、同一法人グループ内で事業を移行しようとすることを防止するねらいである。指定・更新が拒否される場合として、厚生労働省資料では、@株式の所有等により申請者を実質的に支配するなど申請者と同一法人グループであること、A申請者と密接な関係にある法人であること、B連座制が適用される取消事案であること、のすべての要件に該当する場合と説明されている。

4.指定・更新時等の欠格事由の見直し
 いわゆる連座制の仕組みは維持し、事業者の本部等への立入検査により、組織的な不正行為への関与がある場合は、他の事業所の指定・更新は拒否されるが、組織的な関与が確認されない場合には他の事業所の指定・更新は可能な仕組みとされた。
 また、他の地方自治体の指定取消処分により他の地方自治体が機械的に指定・更新ができないということではなく、各自治体が、事業者の不正行為の組織的関与の有無を確認し、自らの権限として指定・更新の可否を判断できることとされた。
 なお、従来は連座制が及ぶ範囲が指定居宅サービスであれば、居宅系サービス(訪問介護、デイサービス等)と居住系サービス(特定施設入居者生活介護)の双方とされていたが、居住系サービスは居宅系サービスと比べて、指定・更新の拒否を受けた際の利用者に与える影響が大きいため、連座制の及ぶ範囲が区分された。

5.廃止時のサービス確保対策
 事業者に対して、事業廃止時の利用者へのサービス確保対策が義務付けられた。すなわち、事業者は、事業の廃止・休止届をしたときは、利用者の中で引き続き介護サービスの提供を希望する者に対して、必要な介護サービスが継続的に提供されるよう、他の事業者との連絡調整その他の便宜を行わなければならないとされた。たとえば、対の事業所の紹介やケアマネジャーとの連絡調整等が想定されている。
 都道府県等の指定権者は、事業者がこの義務を果たしていないと認めるときは事業者に対し、改善勧告・命令を行うことができることとされた。
 また、厚生労働大臣、都道府県知事及び市町村長は、利用者に対するサービスが継続的に提供されるよう利用者や事業者等の関係者間の連絡調整、事業者に対する助言その他の援助を行うことができることとされた。

6.その他
 介護報酬の不正請求を行った事業者に対して、市町村が返還を求める返還金及び加算金について、強制徴収ができるように定められた。すなわち、返還金及び加算金を徴収金と位置付け、地方税の滞納処分の例によることが可能とすることにより、保険者が確実に回収できるようにされた。
 また、老人福祉法が改正され、老人居宅生活支援事業、有料老人ホーム等の廃止・休止についても1ヶ月前までに都道府県知事に届け出なければならないこととされた。

7.施行期日
 改正法は、公布の日から起算して1年を超えない範囲内において政令で定める日から施行するものとされた。行政の運営上きりのよい日が選ばれるとすれば、平成21年4月1日施行が想定される。


今後の方向
 今回の制度改正により、介護事業者の法令遵守に向けての体制整備が大変充実したものになったと評価できる。法令遵守の管理体制(コンプライアンス)は、介護事業分野のみならず、すべての産業分野で企業が健全な事業活動を営み、社会的評価を得るためには不可欠のことである。
 法令遵守のための規制は、各産業分野でさまざまであるが、介護事業分野でこのように法制度面できちんと整備された理由のひとつに、介護保険が国民生活の安心・安定を保障する社会保障分野の重要な制度のひとつであり、かつ、介護事業の財源が国や地方自治体の負担金や社会保険料という公的な資金に負っていることがあるだろう。介護事業者は、利潤追求が認められる民間企業であったとしても、介護事業が公的な色彩が極めて強い事業であること、何よりも法令遵守が基本であることを認識すべきである。
 改正法の施行のための具体的な基準等を定める省令の整備はこれからであるが、こうした介護事業の特性も十分認識して、介護事業者は、来年4月1日施行予定を念頭に、法令遵守の業務管理体制の整備に努めていかなければならない。
 さて、最後に今回の制度改正と最近の介護保険をめぐるさまざまな課題を踏まえて、今後の制度の方向について私見を述べて本稿を終わりにしたい。

1.法令遵守の徹底と地方自治体の適切な指導監督の実施
 まず、今回の制度改正の運用についてであるが、コムスン問題のような不正事案の再発防止のために制度改正がなされたものであるが、こうした事業者に対する規制がその規制の目的達成のために必要な範囲を超えて過度に重くなることについては、行政機関をはじめ関係者は注意すべきであろう。
 近年、介護給付費の増大を踏まえ、地方自治体における介護給付費適正化の取組が強化されている。具体的には、不正請求や不適切な請求への対応策として事業所に対する監査の実施等の指導監督が行われている。しかし、今回の法案審議の中でも、地方自治体による指導内容のばらつきや、指導監督に伴う事業者の事務負担の問題等が指摘された。たとえば、同居家族がいる場合の訪問介護の家事援助について、厚生労働省の指導にもかかわらず、一律保険給付を認めないとする地方自治体が存在しているとの報道がある。そうしたところでは、事業者の介護サービスがが「不正行為」と認定され、行政処分の対象となってしまうおそれがある。
 これでは事業者の活動を萎縮させるとともに、利用者は必要な介護サービスを受けられないという不利益をこうむることになる。地方自治体の指導監督が、財政上の切り詰めのみに重点を置くのではなく、事業の健全な発展や利用者の利益の保護という観点に力点をおいて行われることを望むものである。また、厚生労働省においては、都道府県等への指導の徹底や指導監督業務の標準化を図ることが望ましい。
 今回の改正法案に対する参議院厚生労働委員会の附帯決議(平成20年5月20日)においても、「業務管理体制の整備の義務付けに当っては、指導監督体制の充実強化に努めるとともに、介護サービス事業者にとって過度の負担増が生じないように配慮すること」と提言されている。

2.介護従事者の処遇改善と介護報酬の引上げ
 第2は、介護従事者の人材確保の問題である。今回の改正法案の国会審議において、昨今の介護労働現場における低賃金や仕事のきつさからくる高い離職率や人材確保難が問題視された。離職率は、全産業平均の16.2%に対し、介護職員の正社員では20.4%、非正社員では32.7%の高率(介護労働安定センター調査)となっている。平均賃金も月額20万円前後となっている。都市部では、介護職員が集まらないために施設開所が遅れる等の事態が生じている。介護福祉士の資格を取得しても介護現場の労働につかないという問題は以前からあったが、最近では介護福祉士養成校が大幅な定員割れという事態に陥っており、ますます事態が深刻化する様相を帯びている。
 そこで、本年1月、民主党が介護従業者の賃金引上げのための法案を提出したことを契機に、与野党が調整をして「介護従事者の人材確保のための介護従事者等の処遇改善に関する法律案」がまとまり、議員立法として提出された。そして、介護保険法等の一部改正法案とともに、本年5月28日成立した。
 この法律は、「平成21年4月1日までに、介護従事者等の賃金水準その他の事情を勘案し、介護従事者等の賃金をはじめとする処遇の改善に資するための施策に在り方について検討を加え、必要があると認めるときは、その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとする」という検討規定1条のみの法律である。明らかに来春の介護報酬改定における政府の対応を念頭に置いている。介護報酬の引上げは、国等の公費負担や保険料負担の引上げに連動するが、介護サービスを支える介護職員が不足すれば介護保険制度自体が立ち行かなくなる。本年秋から介護報酬改定の議論が始まったが、「仕事の割に賃金が低い」という通念を否定するような処遇改善のための介護報酬引上げが望まれる。



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