「どんどん逃げて新しい場所を探せばいいんですよ」日本一のニート”pha”が説く、希望を捨てて気怠く楽しい生活!?

phaさんとピーター・メロス

phaさんとピーター・メロス

こんにちはピーター・メロスです。

近頃はシェアハウスで暮らすひとがずいぶん増えましたね。共通の趣味や目的を持ったひとたちが集まるシェアハウスも多くあるそうです。バンドマンが集まるシェアハウスとか。婚活シェアハウスだとか。

中でも「ギークハウス」というシェアハウスは有名どころのひとつ。その名の通りインターネットを好きなひとたちが集って住んでいます。ギークハウスの発起人である「pha(読み方は『ファ』)」という人物は、日本屈指の名門である京都大学の出身であるにも関わらず定職についていません。現在は気が向いた時にブログや本を書いたりとかしながら、必要最低限のお金だけを稼いで、自由気ままな暮らしを送っているといいます。
ひと呼んで「日本一のニート」。口癖は「だるい」。
僕自身は以前、仕事でITをやろうとしたけれど挫折してしまったので、「インターネットを好きなひと」という括りにには当てはまらないんですけど、それでもphaさんの悠々自適な生き方には興味をそそられます。

だけれど我らが社長、ティンカー・ゲスは「人間の価値は仕事にあり」と言ってはばからない人物。当然phaさんのライフスタイルも癪に障るようです。
「何が『日本一のニート』だ! せっかく京大まで行って立派な教育を受けさせてもらったんだからさ、もっと社会の役に立つことをやれよ! このphaとかいう奴はきっとひねくれた怠け者に違いないから、今からお前が取材に行ってゲスく記事を書け!」
そんなふうにまくし立てて、記事を書くよう僕に強いました。色んな生き方が良いと思うんですけどね。駄目なんですかね。はぁ。

そんなこんなでメールを送り、取材を申し込んだところ、受けてもらえることに。
取材当日、待ち合わせ場所のカフェにやってきたphaさんは、なんだか寡黙で気怠そうな雰囲気の男性。
果たしてどんな人物なんでしょうか。

駄目になったところで死ぬだけ

「日本一のニート」ことphaさん

「日本一のニート」ことphaさん

メロス:ギークハウスはどういった経緯で始めたんですか?

pha:会社をやめて無職になった時に、孤立したくない、仲間を作りたいと思って、ネットで色々と知り合いを増やしたんですけど、するとまぁネットだけの知り合いということになると、現実世界で集まる場所がやっぱり必要かなと感じるようになって。それで家を作った。

メロス:仕事を辞めるというのも、家を作るというのも、思いついたところで実際やるのはなかなか難しいことなのではと思うんですが、不安とかはありませんでしたか?

pha:別にないですね。不安といえば不安だけど。不安じゃないといえば不安じゃない。別に将来の保証も何もないし、なんかもう駄目だな~、そんなに長続きしないだろうな~、というのはあった。あったけれど、あんまり気にはならなかったですね。

メロス:駄目になるかもしれないけど、駄目になったところで別にたいしたことない、と。

pha:駄目になったところで死ぬだけ、って感じですね。

お金よりも時間の自由のほうが大事

phaさんの著書「しないことリスト」

phaさんの著書「しないことリスト」

メロス:今の生活の楽しさというのはどういうところですか?

pha:自由。特に時間の自由ですね。お金よりも時間の自由のほうが大事だと思います。「これをやらなきゃいけない」っていうのがあまりないほうが良いです。しても良いし、しなくても良い、というぐらいがちょうど良い。

メロス:お金と時間の自由というところについて。お金を持つということは欲しいものを手に入れる自由を持つことと同義かなと思うんです。なのでお金を稼ぐために働くひとっていうのは、欲しいものを買うため、手に入れるために働いているわけです。一方で時間の自由っていうのは、ものを捨てる自由なんじゃないかと。別に大切ではないものを捨てることが出来る。特に重要ではないことはやらなくてもいい。そうすることで時間が自由になる。世の中を見てみると、時間の自由が欲しいと強く望んでいるのに、要らないものや大切ではないものを捨てることが出来ず、結果的に窮屈な思いをしているひとが多い気がします。

pha:そうなんですかね。そうだとしたら、まぁ人目を気にしすぎというか、自分の価値観ではなく他者の価値観で考えてしまっているからじゃないですかね。

メロス:人目ですか。phaさんは気になりませんか?

pha:そうですね。人目とか他者の評価とか、昔からあまり気になりませんでした。

メロス:人目を気にしてしまう多くのひとたちは、phaさんのように人目を気にしない生き方の出来るひとたちに対して、どこか羨ましく感じる一方で、「同じようにするにはすごく勇気が要る、自分には出来ない」と思ってしまうような気がします。実際、人目を気にしない行き方をすることで何か不便があったりしたことはありませんでしたか?

pha:うーん。いや。別にないですね。自分と価値観の違うひとからは見下されたりするかもしれないけど、別に、それはもう価値観違うひとなんだから勝手に思わせとけば良いやって感じですね。逆にそういう、分かり合えないタイプのひとは段々と傍に寄り付かなくなって、逆に自分とある程度価値観の近いひとは寄ってくるようになってきましたから、むしろ生きやすくなったなと思いますね。

メロス:なるほど……。けれどそんなふうに割り切るには自分自身の価値観がそうとう強くないと難しい気がします。どうやったらphaさんみたいに自分の価値観をしっかり持てるんでしょうか?

pha:なんですかね。ぶっちゃけた話、性格なのかなとも思うんですけど。でもそれだけじゃなくて、ぶっちゃけ僕もひとりだったら、そういうの持てなかったと思うんですよね。ある程度近い価値観の知り合いに認められたりとか、本を読んで「ああこういう考え方をしても良いんだ」とか、そういうことで自信をつけるというか、価値観を補強することが出来た。だから自分ひとりでは無理で、知り合いとか、本とか、そういうもので価値観って育っていくものなんじゃないかな。

「これをしないと死ねない」みたいなものはないなぁ

メロス「ところでサインください」 pha「いいよ」

メロス「ところでサインください」
pha「いいよ」

メロス:人間の幸せの測り方って、もちろん一概にいえるものではないですけど、数ある指標の中のひとつとして「幸福度=手に入れたもの÷欲しいもの」という公式があると思っています。手に入れたものを増やしていけば幸福度は上げられるし、逆に欲しいものの数を減らしていくことでも幸せになれるんじゃないかなと。

pha:そうですね。欲しいものというか、期待が大きいくなると、やっぱりキツくなる。期待を捨てれば良いんじゃないかなと思いますね。

メロス:そうはいっても人間なので、期待しないというのはやっぱり難しい。phaさんの、期待しない方が良いとか、欲しがらない方が良いとか、そういう考え方も元々の性格から来ているんですか?

pha:いや。それは段々とですね。若い頃はやっぱり、期待をしてしまって、だけど上手くいかない、というのがありましたよ。でもそうやって試行錯誤を繰り返しているうちに、別にそんなに期待することなんかあんまりないんだな、みたいな感じになってきましたね。人生こんなもんだなっていうのが分かってくるというか。そんなに目新しいことはないんだろうなというか。

メロス:今お幾つでしたっけ?

pha:今37ですね。

メロス:僕とちょうど10歳違います。27の時はまだ働いていた時期ですかね?

pha:そうですね。仕事辞めたのが28なんで。若い頃はね、あれもやってみたいとか、これもやってみたいとか、あったんですけど。30ぐらいでなんか落ち着いてきて、ああ、大体こんなもんだなって感じで。

メロス:当時、やってみたいと思ったっていうのは、どんなことですか?

pha:なんか色んな場所に住んでみたいなー、とか。外国に行ってみたいだとか。これを習ってみたい。もっと本を読んだらなにか良いことがあるんじゃないだろうか。もっと色んなひとにあったら良いんじゃないだろうか、とか。まぁそういうのがあったんですけど、一通りやってしまったら、まぁ楽しいけど、かといって完全に新しく感じるものはないな、という感じ。

メロス:一通りやってみた上で、こんなもんか、って思うに至ったわけなんですね。

pha:そうですね。一通りやって。別に「これをしないと死ねない」みたいなものはないなぁ、という感じですね。

いろいろ行ったら「どこにも楽園はないんだ」ってなる

サインを書いてくれたphaさん

自著にサインを書いてくれたphaさん

メロス:僕はプログラマーとして今の会社に採用されたんですけど、それまでプログラミングの経験なんか全然なかったんです。最初のうちはまぁ、なんとかなるかなーと思っていたんですけど、すぐに挫折して投げ出しちゃったんです。辞め癖とか逃げ癖みたいなのがわりとあるんですよ。だけど自分のそういうところは別に嫌いじゃない。良い物に出会うまで逃げ続ければ良いや、みたいな。

pha:それはそれで良いと思いますね。僕もいっぺん働いてみたけど、やっぱり駄目だなってなって辞めてしまったし。失敗してみてから、なんか違うなー、っていうので良いんじゃないですかね。一度やってからやめてみることで余計な期待が減るから。やめちゃえばいいんですよ。意外となんとかなる、みたいなこともあると思いますし。どんどん逃げて新しい場所を探せばいいんですよ。

メロス:比喩になりますけど、年を取ると足腰も弱くなっちゃうから、走れるうちに逃げておいた方が良いですね。

pha:そうそう。留まるのは年を取ってからで良い。逃げて逃げて、もう動くのは面倒くさいなってなったら、ここもいまいちだけれど面倒くさいから良いや、という感じで、自然と落ち着いてきますし。

メロス:力いっぱい逃げまわった末にそうなるなら納得いく、っていうのはありますしね。

pha:いろいろ行ったけど、どこもそんなに変わらなかったな。みたいな。

メロス:そこで逃げずにいてしまうと、年を取った時に「あの時逃げておけば良かった」となってしまいそう。

pha:そうなんですよね。いろいろ行ったら「どこにも楽園はないんだ」ってなりますし。そういうのを早めにやっといた方が良いかなと思いますね。

phaさんのサイン本!

phaさんのサイン本!

「世間は厳しい」とか「世の中は甘くない」とか。

誰もが一度は向けられたことのあるフレーズではないではないかと思います。
そして「世間は厳しいから何かを我慢する」とか「世の中は甘くないから夢を諦める」という経験をしているひとも、恐らくたくさん居ると思います。
けれど他者から「世の中は甘くないから諦めないと駄目だよ」といわれて諦めるのと、自分の足で世の中の厳しさを確かめた上で諦めるのとでは、後で感じる納得感がきっと違ってきます。

行きたい場所を歩き回った末に「楽園はない」ということに気付いたのだというphaさん。
彼の話を聞いた後だからこそ、僕もまだまだ、自分の足で楽園を探して歩かなければいけない気がしています。

いつか「もう面倒くさいから良いや」と心から思える時まで。
あるいは本当に楽園を見つけるまで。

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