いつまでも市場が解決してくれるなどと思ってはならない
刺激的なタイトル。
私たちはどこまで資本主義に従うのか―――市場経済には「第3の柱」が必要である 新品価格 |
資本主義が世界を支えている現代において、それを疑うことは少ない。
だけれども、皆、何かおかしいと気づいているのではないだろうか。
「昔は、役に立つものを生産するために働いていた。
しかし今は、働く場をつくるために、役に立たないものを消費しなくてはならない」
この一文が現実を良く表しているのではないだろうか。
効率化という名目で従業員に負担をかけ、企業の利益を拡大する。
節税という名目で、社会のために支払うべき税金を縮小する。
そうまでして成長を追い求める企業の姿に、違和感を覚えはしないだろうか。
社会には、営利企業だけでは解決できない問題がある。
それは政府に任せるだけではいけない。
政府と企業の二元論ではなく、多元セクターという柱を加えなければならない。
多元セクターは社会起業家に代表される社会問題を解決する人々。
これら3つのセクターがバランスを取り合って世界が作られるべきだと著者は述べる。
いつまでも市場が解決してくれるなどと思ってはならない。
誰かが行動しなくてはならない、そんな問題が山積みになっている。
目を背けてはいけない。
企業と政府の限界
「企業の利益追求と社会問題の解決が両立するウィン・ウィンの世界が生まれるなどとは思わないほうがよい」
民主的な政府に望みを託しても、営利企業によって牛耳られている政府であるから、解決されることは非常に難しい。
政府と企業だけのバランスでは足りない、カバーできない領域に手を伸ばすのが多元セクター。
「市場の見えざる手は、議会を牛耳る目に見える鉤爪に取って代わられた」
企業は、税制の抜け道を作ったり、規制を弱めたりと、政府を影から操った。
なぜなら莫大な金額の政治献金や利権があるからだ。
政府の独立性というものが、市場原理によって損なわれている。
「企業が自由に行動できる経済が、企業が自由に行動できる社会に変容したとき、自由を失うのは市民だ」
社会は経済だけではない。
だが、経済が良くなれば社会が良くなると考えている今の現実。
支配されていることすら気づかなくなる。
「個々の国の中と世界全体でアメリカ独立革命を完結させ、民間セクターの有害な行動に対する抑制を強化し、三つのセクターの間のバランスを取るべきだ」
資本主義とか共産主義だけでなく、バランスという概念はとても新鮮。
それぞれのセクターが、場合によって均衡を保ちながらバランスをとる。
それが、国民の、社会の広い受け皿になる。
「生産性の向上に二つのタイプがある」
1つ目は従業員に負担を強いる生産性の向上。
2つ目は本当に仕事の効率が改善すること。
本来は2つ目が重視されるわけだが、1つ目を至上主義とする企業ばかりだ。
見えない問題に責任をもつこと
「私個人にはコストがまったくかからないが、社会全体にはコストが生じる」
目に見えない、目を背けているコストというものはある。
だが、その埋め合わせは誰がするのだ。
政府も企業もカバーできない箇所をどうするのか。
多元セクターに託される。
「重要なのは、単に漠然と問題意識を高めるだけでなく、明確な計画の下で賢明な活動をすることだ」
問題を解決するためには、意識だけでなく、綿密な計画が求められる。
一般人に何をしたらいいのか、動機付けをすることが必要なのだ。
どこまで深く考えていけるか、これは何でも一緒だ。
「誰もが他人を非難し、それを口実に自分が行動しないことを正当化している」
他人との比較だけで生きているような人間にはなりたくない。
口実にして逃げてはいけない。
逃げたくなった時に、思い出したい言葉だ。