<3.11と今>互い気遣い 2人歩む
◎追憶 大切なあなたへ(1)石巻市湊小6年 辺見佳祐君
桜の花があしらわれたピカピカの金ボタンを、石巻市湊小6年の辺見佳祐君(12)が慣れない手つきで留めていく。ちょっと大きめの学ラン。4月に入学する同市蛇田中は制服の下に体操着を着る決まりだから、これぐらいでちょうどいい。
市内の衣料品店で伯母の日野玲子さん(56)が店員にあれこれと尋ねる。どのくらいの頻度で洗濯するのか、夏用のズボンはいつ作るのか−。子どもの制服を買うのは初めてで、分からないことだらけだ。
「着心地どう?」
「うん、いいよ」
「いくらでも大きくなっていいからね」
佳祐君は東日本大震災で父正紀さん=当時(42)=、母みどりさん=同(49)=、姉佳奈さん=同(10)=、祖母日野みや子さん=同(73)=を失った。
仙台市で暮らしていた玲子さんは1人残されたおいを育てるため、石巻の実家に戻った。
2人暮らしを始めてもうすぐ5年。震災時に小学1年だった佳祐君はこの春、中学生になる。
佳祐君が生まれ育ち、震災後は玲子さんと過ごしてきた旧北上川沿いの住宅兼自動車整備工場は、堤防のかさ上げ工事に伴う立ち退き期限が迫る。2人は昨年7月、市内の新市街地に引っ越した。日野と辺見、2人の名字が並んだ表札を新築の一戸建てに掲げた。
学区も変わり、佳祐君は同級生の大半が進む湊中ではなく蛇田中に通う。「寂しいけどね」。中学では体格を生かせる柔道を始めるつもりだ。
新居の2階が子ども部屋。好きな漫画やフィギュアに囲まれる。「自分の部屋ができてうれしい」と笑い、年ごろの男の子っぽく、こう付け加えた。「(玲子さんと)2人の時間が長いって思う時もあるから」
家族4人を失った佳祐君の心の内に何があるか、玲子さんには分からない。彼なりに折り合いを付けたのかもしれないが、「これだけ身近にいて、5年がたつのに、いまだに聞けない」。
亡くなった佳祐君の母と祖母は、玲子さんの妹と母でもある。30年ぶりに戻った石巻で方々から2人の思い出を聞かされた。努力家の妹が整備工場を切り盛りし、盛り上げ上手の母が近所付き合いに精を出す。そんな日々が目に浮かんだ。
自分も肉親を失ったが、悲しみに暮れてはいられなかった。引き継いだ整備工場の不慣れな仕事と子育てに追われ、たまらず妹たちを責めたこともあった。どうして死んでしまったの、どうして−。
「おばちゃん大丈夫? 疲れてる?」。変わった様子に気付くと佳祐君が声を掛けてくれる。最近は口の悪さが少々目立つけれど、根は優しい。中学生になっても変わらないはずだ。
川沿いの家は6月には取り壊す。思い出の品を少しずつ整理している。「おばちゃん、これちょうだい」。ラミネート加工された写真があった。新品のランドセルを背負った佳祐君と佳奈さんが笑っている。玲子さんは「いいよ」と答えた。「財布に入れておこうかな」と佳祐君は言った。
(関川洋平)
東日本大震災は数多くの命を無情に奪った。残された遺族は悲しみと共に生きる。掛け替えのない身近な人の死をそれぞれの胸に受け止めてきた日々。今何を思うのか。
2016年03月04日金曜日