郷富佐子@クライストチャーチ大聖堂広場
2016年3月3日17時00分
■南十字星の下で
東日本大震災の18日前に発生したニュージーランド(NZ)南部地震は、この2月22日に5年を迎えた。追悼式典と復興状況を取材するために、最も被害が大きかったクライストチャーチ市に入った。あちこちでビル工事が進んでおり、「ずいぶん、空き地が埋まってきたな」という印象を受けた。
私がこの街を訪れるのは、6回目になる。ジャカルタ特派員時代から足かけ4年、街の変容をずっと見続けてきた。転勤が多い新聞記者の職業で、特に海外の被災地を継続的に取材する機会はあまりない。それだけに、クライストチャーチは強い思い入れのある場所になった。
初めて来たのは2012年。まだ市中心部には「レッドゾーン」呼ばれる立ち入り禁止区域が残っており、どこもかしこもがれきの山だった。全半壊した建物を解体するブルドーザーの音が、人気のなくなった街に鳴り響いていた。
その後、中心部は空っぽになった。がれきが撤去され、更地になったためだ。それは心痛む風景だった。
そのうち、解体を免れたビルの側面にストリートアートの壁画が目立つようになった。空き地を埋めるように市民たちが小さなイベントや展示会を始めた。「動き出した」という印象で、少しうれしかった。
13年には、市長がボブ・パーカー氏からリアン・ダルゼル氏へ代わった。取材相手が代わっても、聞くことは同じだ。「住宅の復興が遅れているのではないですか」
人口37万の都市で、被害を受けた住宅は7万にものぼるといわれる。再建や改修の遅れの主な理由は、地震保険の支払いがなかなか進まないためだ。
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