★ネット改定版 ★
第2回 いかりや長介「だめだこりゃ」、長嶋一茂「三流」
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「芸は一流、ギャラは2流」と称したのは上岡龍太郎師匠である。
もちろん、この言葉は世間の評価に対して
「俺の価値がわからんか!」という芸人の自信、
矜持マンマンの台詞なのである。
芸人とは本来、自己顕示欲と独りよがりの自信を持つものである。
が、このところ、タレント本の世界では、
自称2流、3流を自らバカ正直に名乗り出るのが
一つの流れになっているのである。
今回紹介する「だめだこりゃ」は、 今やその渋い演技から
「日本のモーガン・フリーマン」と呼ばれるドリフターズのリーダー、
いかりや長介さんの自伝であり黄金のドリフ懐古録である。
ズバリ言って名著である。
しかし、この本、タレント本にありがちな豪快なる半生、
大いなる自慢話など一切無い。
なにしろ「音楽は4流、笑いは素人」と淡々と
自分を含めてドリフのメンバーの「だめだこりゃ」ぶりを書き連ね、
寄せ集め、不器用、芸無しぶりを延々と申告しているのである。
しかしながら実は、
その悟りきった筆致が文章家として「一流」だったりするのである。
中学卒業後、静岡の製糸工場の工員からバンドマンへ。
バンドマンとしてもハワイアンからロカビリーへ、
ロカビリーからカントリーへと短期間に転向。
さらに「マウンテン・プレイボーイズ」から「ドリフターズ」に移籍。
そのまま、なりゆきからバンドのリーダーに就任。
さらには、渡辺プロのポスト「クレージーキャッツ」として
テレビに抜擢されてコメディアンへ、テレビ史に残る一大ブームを迎える。
さらにドリフの全盛期が過ぎると、コメディアンから役者へ、
すぐさま、日本アカデミー賞を受賞する。
本人が望まなくても全ての流れが、好転していく人生なのである。
この本の成功も不本意にも、
流された先に必ず黄金を見い出す、
これまたドリフ(漂流)伝説の一つであろう。
言葉遊びに過ぎないが、
ドリフのイカリヤとは、必ず漂流先にそのイカリを下ろす存在なのである。
「8時だよ!全員集合」―。
この番組は当時50%を超える記録的視聴率を叩きだした怪物番組だったが、
その一方でPTAが選出する俗悪番組の常連だった。
しかし、この本を読めば、この番組が、
自称・才能の無い凡人たちが“全員集合”して、
たゆまぬ準備と努力を続けることによって生まれた、
健全極まりない勤勉の賜物であったことに改めて驚かされる。
これは、俗悪どころか、
むしろNHKの「プロジェクトX」的題材であり、
今にも俺の耳には、中島みゆきの唄声が聞こえてきそうな一冊なのである。
また、この本の記述のなかでも個人的に興味深いのは、
リーダーの「趣味アフリカ」である。
もちろん、ドリフと言う、週間単位で生放送に追われるなかで、
はるばるアフリカまで出かけるのはプレッシャーからの逃避行であっただろう。
それにしても27年間で26回!
これは黒柳徹子とは違う意味で、日本有数のアフリカ好きではないか。
もはや、風貌すらアフリカンにも見え、
加えて、芸など何も出来ないままに流され続け、
それが次々と思いの外に「笑い」を生んでいったと言う芸風。
いかりや長助とは「日本のモーガン・フリーマン」と言うよりも
「日本のブッシュマン」と呼ぶべきなのかもしれない。
そしてもう一冊。
『三流』は「日本の金正男」こと長島一茂の自伝本である。
果たして、多くの読者が思うことではあるが、
あの一茂くんの自伝に中身があるのだろうか?
バラエティー番組でも、その天然ボケと言うよりも、
「田園調布で育った自然児」の「無意識過剰」ぶりはお馴染みである。
俺が初めて一茂くんにあったのは、
4年前フジテレビの格闘技番組「SRS」であった。
K―1グランプリの直前予想に呼ばれた俺たちは、
出演者のなかでも、お笑い担当としてボケにボケまくった。
当然、スタジオは時ならぬ大笑いに包まれた。
その時である。一茂くんはおもむろに立ち上がると、
「皆、そんなに笑っちゃ、失礼だよ。
彼らは受けようと思ってやってんだよ。
冗談で言ってるんだよ!失礼だよ!笑うな!」
当然、スタジオは???の雰囲気に包まれた。
この本のなかにも多々、そんな一茂くんらしい、
大人気ないエピドードが登場する。
例えば六大学からドラフト一位で入団のプロ一年目。
大学通賛記録、本塁打11本は、父の記録を上回るが、
打率2割2分5厘はあまりに平凡すぎる。
にも関わらず、
球団の人気戦略的な理由から一軍スタートを切った一茂くん、
早速のスランプを迎え悶々とする日々を送った。
そんな時に、20歳を超えた大人にもかかわらず、
一茂くんは
「俺のところにベーブ・ルースの精霊が降りてきて、
ホームランがばかすか打てるようになるとか、
そしたらボ―ルが止まって見えるようになるんじゃないか
とかそんなことを夢想するようになったのだ」
であるとか、
「暇さえあれば心の中でUFOに俺のところに飛んできてくれって、
必死に呼びかけるのだ。それもUFOに遭遇して超能力がついた
とかいう記事を何かで読んだからだ。UFOに会って
超能力を身につければホームランが打てるようになるかもしれない」
とオカルトチックな妄想に明け暮れたと、
この本のなかで正直に告白するのである。
しかし、この尋常ではない、
思い込み、PTSDは思春期の真っ只中に味わった
父・長島茂雄の監督解任の無念さに始まるのである。
一茂くん、中学3年生の時である。
「鉛筆にも、筆箱にも、カバンにも、
それでも飽き足りなくてカッターナイフで、
部屋の窓枠や、廊下の壁にもリベンジの文字を彫った」
これでは、かの田園調布の豪邸も台無しである。
さらにこの時の妄想は、
「世界一の野球選手になり…型破りのスーパースターとなり巨人に入団…
逆転優勝を決める最後の試合、4対0で負けているような試合の
9回の裏、満塁という場面で…ホームランを放つ」
この時点で4点差では、 満塁ホームランを放っても同点ではないか?
と突っ込みたくなるが、それは一茂らしいケアレスミスとして、さておき、
「大切なのはこれからだ、俺はホームベースを踏まずに、
くるりと向きを変え、球場から消えてしまう。
そして、そのまま引退してやるのだ。
そこで初めて、巨人軍の経営陣は俺の怒りの大きさを
思い知るのというわけだ」
と『侍ジャイアンツ』の番場蛮もびっくりな、
復讐のシナリオを密かに描いていたのだ。
「俺、メジャーリーガーになりたいんだ」
と言い出したのは、4年目のことである。
「その当時、野茂や佐々木ですらそんなことを考えていなかった時期だ」
と書いてはいるが、もちろん実力的な裏づけはもちろんない。
結果はご存知の通り、2Aにもあがれなかった。
この本で繰り返されるモチーフは、
誰にも負けない強い思い込みにもかかわらず、
自分はスーパースターではなかった〜哀しき現実を知る、
凡人のほろ苦い諦観である。
まるで映画「A・I」である。
ロボットが人間になれない、悲哀を描いたこの映画と同じく、
この本は、偉大なる長島茂雄の息子に生まれ、
いつか自分も「日本人にとってベーブ・ルースと
ジョー・ディマジオを足した位のヒーロー」
である父に生まれ変わる見果てぬ夢を見続けた、
三流の二代目、一茂くんの哀しいお伽話なのである。
しかし、あの見るからに無神経な一茂くんが、
現役時代から野球に、もがき、心労による自律神経失調症で苦しみ、
加呼吸で倒れたことがあるとは誰が知っていただろうか。
この本が最も、文学から遠い存在に思える一茂くんが主人公でありながら、
凡百のタレント本の出来を超え、奇跡のように文学の香り高く胸打つのは、
読者もまた、戦後日本最大の英雄・長島茂雄の物語を
心に通低させているからなのだろう。
一茂くんと言う、 国民的なボケキャラの人格に、
読者の予断も良い意味で裏切られる。
「ケビン・コスナーはトウモロコシ畑で、
父親とキャッチボールをしたけれど、
俺と親爺はみんなの目の前で、
他の誰にも見えないキャッチボールをしていたのである」
まさにリアル、フィールド・オブ・ドリームスとして大いに泣かせる。
この本を書くことで一茂くん、
夢のなかでしか打てなかった、
人生の逆転ホームラン、
それも 超度級の飛距離を誇る
催涙弾を放っていることは間違いない。
皮肉なことだが、音楽界にポジションがなかった、いかりやさん、
そしてプロ野球にポジションがなかった一茂、
二人とも芸能界は見事にポジション取りに成功し、
「後半戦出発!」の声高だかに、新たな人生の舞台を成功させているのである。
第1回 矢沢永吉著「アー・ユー・ハッピー?」
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