「新しい「ハケン」の未来像」@『月刊人材ビジネス』3月号
『月刊人材ビジネス』3月号に「新しい「ハケン」の未来像」を寄稿しました。
https://www.jinzai-business.net/gjb_details201603.html
昨年9月、ようやく改正労働者派遣法が成立し、極めて特殊であった日本の労働者派遣法がようやく先進国並みの普通の法律となった。しかしその道のりはなめらかではなかった。2014年3月に国会に提出した法案も、同年9月に提出した法案も廃案となり、2015年3月に提出した法案も野党の猛反対で延々審議が続けられ、ようやく(安全保障法案可決のためにわざわざ延長されていた)9月になって成立に至ったのである。しかし、国会での野党の主張やマスコミなどで語られる派遣法をめぐる議論は、日本の労働者派遣法の本質的な問題から目をそらし、情緒的な議論に終始するものであった。
今回成立した改正労働者派遣法は、その元になった厚生労働省の研究会報告において史上初めて、特殊日本的「常用代替防止」論からの部分的脱却を打ち出し、専門26業務という虚構の概念をなくすことを提起した。そして派遣会社に無期雇用される派遣労働者については期間制限を撤廃し、有期雇用の派遣労働者については一定の上限規制をかけるという仕組みとした。紆余曲折の末これが実現したことによって、日本の労働者派遣法はようやく世界標準に並ぶことができるようになったのである。
とはいえ、昨年10月から施行されている現行法も問題がないわけではない。昨年の改正で精力を使い果たした感もあるが、将来に向けて問題点をいくつか提起しておくことが重要であろう。本稿では、昨年改正時点で既に問題が指摘されていた日雇派遣に係る矛盾点を指摘するとともに、日本の労働者派遣システムの将来像をもっと明るくポジティブなものにしていくためのやや中長期的な将来に向けた提案を試みたい。
まず2012年改正で盛り込まれた日雇派遣の原則禁止規定である。これは2007年当時格差問題が大きな社会問題となり、とりわけ日雇派遣労働者がネットカフェ等に寝泊まりしている実情が報道され、格差是正のために日雇派遣の禁止が主張されるようになったことが発端である。2008年に出された改正案では、26業務からさらに削ったファイリングや事務用機器操作など17.5業務でのみ認めるという改正案が提出された。学識者の研究会では危険業務の日雇派遣を禁止するといったまともな議論もあったのだが、結果として意味不明の業務限定となったのである。
翌2009年には民主党への政権交代があり、製造業派遣や登録型派遣の原則禁止を掲げる2010年改正案が提出されたが、日雇派遣の原則禁止は自公政権時代の法案の規定がそのまま盛り込まれた。1年半後、自公民3党間で登録型派遣や製造業派遣の原則禁止規定を削除する合意がなり、2012年改正が成立したが、この時に日雇派遣の原則禁止規定に日雇派遣が認められる例外として、60歳以上の高齢者、昼間学生、労働者自身かその配偶者が年収500万円以上の者が盛り込まれた。規制緩和の意図だったのだろうが、労働現場からすれば、日雇派遣で生計費を稼ぐ必要性の高い者ほど、その日雇派遣で働くことが許されないという、何とも逆説的な事態をもたらすことになってしまった。
昨年の改正では、本体の業務限定は廃止したにもかかわらず、日雇派遣の原則禁止規定(第35条の4)には依然としてその名残が残存している。上記例外規定も何ら改正されることなく今なお有効で、生計費を稼ぎたい者を日雇派遣から排除しながら小遣い稼ぎのために日雇派遣をする者だけを認めるという状態が続いている。派遣労働者の保護という労働法の基本理念からして、17.5業務への限定も小遣い稼ぎへの限定も意味不明と言わざるを得ない。ここは迅速に対処すべき点であろう。
次にやや中長期的な課題である。過去30年にわたって派遣労働が政策課題になるたびに、労働組合や労働側評論家等から繰り返し労働者派遣を全面否定するような言動が繰り返され、それがマスコミや政治家に影響を与えておかしな政策が作られるといったことについて、単にそれを批判するだけではなく、なぜそんなことになってしまうのか、そうならないためにはどうしたらいいのか、という積極的な問題意識を持っていただきたいのだ。そこには、労働者派遣事業が労働者の味方であるというポジティブな宣伝を怠ってきたことが大きく効いているように思われる。
今からもう4年前になるが、2012年3月、CIETT(国際人材派遣事業団体連合)の地域ワークショップとして講演とシンポジウムが開かれ、筆者もパネリストの一人として出席した。そこでCIETT、とりわけその中核をなしているヨーロッパのEuro-CIETTの方々の話には、日本の派遣業界ではほとんど使われることのない言葉がキーワードとして使われていた。ハーステレン会長(蘭)やペネル専務理事(仏)が繰り返し強調したのは、人材派遣こそがディーセントワーク(良質の仕事)を提供しうるのだということであり、その柔軟性と安定性の両立のためには適切な規制が必要だが、その中でも労使対話型が望ましく、人材派遣業界は労使対話に尽力しているのだということであった。ヨーロッパ各国で、労使パートナーによる人材派遣業界対象の共同組織が多数設立されていることが紹介され、ソーシャルパートナーシップ(労使協同)という言葉が何回も繰り返される姿は、ほとんどILO総会かと見まがうばかりであった。
残念ながら、日本の派遣業界はこれまでディーセントワークとかソーシャルパートナーシップという概念に無関心であった。時としては公然と敵意を示すことすらあった。たとえば、かつて政府の規制改革会議や労働政策審議会労働条件分科会の委員として、公的な立場で派遣業界の意見を世間に示す立場にあった方が、「ILOは後進国が入るところだ。先進国はみんな脱退している」とか、「労働省や労基署はいらない」とか、「過労死は自己責任だ」といったことを語っていたのである。もちろん個人的にそのような意見を持つ方がいても全く自由だが、公的に派遣業界を代表する立場の人がそのような発言をするという事態の背後には、派遣業界のこの問題に対する認識の水準が顕れていたといわれても仕方がないであろう。
しかしながら、これは派遣業界を責めていればよい問題でもない。既存の労働組合がややもすれば正社員組合に安住して、派遣労働者など非正規労働者の組織化に取り組んでこなかったことが、こういう事態の背景にあるとも言えるからである。派遣労働者を含む非正規労働者の「発言」のメカニズムをどのように構築していくか、日本の労働組合が非正規労働分野においても「ソーシャルパートナー」の名に値する存在であるのかどうかが問われている。実は既にUAゼンセンはその傘下に人材サービスゼネラルユニオンを結成し、派遣労働者の組織化に踏み出している。自動車でも電機でも何でもそうだが、ある業界の労使はその中では賃金その他をめぐって闘う仲だが、外に向かっては共に業界を守る仲間である。派遣業界もそういう意味で「フツー」の業界に進化することができるかどうかが、これからの中長期的課題であろう。
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