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25 「サンドイッチ」
私は七星。七星静香。
わけあってペルギウスの居城ケイオスブレイカーの庭園を走っている。
城をぐるりと囲む石畳の道は、決して走りやすいというわけではない。
だが、走る。
運動が必要だからだ。
ここ最近は、こうして毎日のように走っている。
城の周囲は庭園で囲まれており、庭園は私が目覚める度に姿を変える。
一月ごとに咲く花が代わり、城を回転するように彩りが移動していくのだ。
きっと毎日見ていれば、そのゆっくりとした変化が目を楽しませてくれるのだろう。
「ふぅ」
城の周囲を3周。
それで、ちょうど一時間ぐらいだろうか。もちろん、一時間も走り続けるほどの体力は無いため、休み休みだ。
最初は運動不足が祟って筋肉痛に悩まされたが、最近は大丈夫になってきた。
ちゃんと鍛えられているのだろう。
鍛えられるなら、太るのも道理だ。
ともあれ、毎回これだけ走っていれば、太りすぎるということもないだろう。
別に太ること自体はいいんだけど。
帰った時に別人と間違えられたら嫌だし……。
私は息を整えた後、水浴びをして汗を流し、着替えてから己の部屋へと戻った。
今日のご飯はなんだろうか。
ルーデウスは何を持ってきてくれるのだろうか。
そう思って、部屋の扉を開ける。
「……むむむ」
「どうした? もはや勝ち目は薄いぞ? 降伏せよ」
しかし、そこにルーデウスはいなかった。
代わりにいたのは、ザノバとペルギウスだ。
二人はテーブルを挟んで、チェスのようなゲームをしていた。
駒の造形が遠目から見ても繊細にできているところを見ると、ペルギウスのコレクションか、あるいはザノバがどこかで購入し、持ってきたのだろう。
戦況はというと、ザノバの劣勢なようだ。
盤上を見ずとも、自慢気なシルヴァリルが自慢気に翼を動かしているので、すぐに分かる。
それにしても、この世界にもこういったゲームはあったのか。
懐かしい。
私は中学生の頃にはチェスとか将棋とかにハマっていた時期があったものだ。
近所の道場みたいなところにもちょこちょこ通って、実際、結構勝てたりもした。
高校に入ってからはやらなかったけど。
「いや、お待ちを。シーローンは最後の一兵になるまで諦めませぬ」
「王としての素質の無いヤツだ。例え負けても、兵が残れば国を復興する手もあるというのに」
「王が死に、兵が残り、復興した国があると?」
「不勉強だぞザノバ・シーローン。貴様の国だ。ラプラス戦役で滅んだ国の末裔よ」
「ははぁ……なるほど、余の代で滅びるわけですなぁ」
会話の内容はさておき。
私は彼らがチェスもどきをしながら食べているものが気になった。
白いパンを三角形に、あるいは四角形に切ってある。
それを2枚重ね、間に何かが挟んである。
私の位置からでは、緑色の何かや、黄色い何かが見えるだけだ。
しかし、何が挟んであっても、この料理の名前は変わらない。
サンドイッチだ。
「ザノバ、久しぶり」
「おお、ナナホシ殿。おはようございます。お久しぶりですな」
ザノバは、記憶にあるより、かなりフケてみえた。
頭は白髪が多くなっているし、顔にもシワが刻まれている。
もう40歳を越えたのだったか。
もう、立派なおじさんだ。
「今日はルーデウスじゃないのね」
「師匠は最近、何かと忙しくておいでですからな。ほら、あの一件で」
「ああ……」
この前、彼は凄まじく重い話をしていった。
アイシャとアルスが駆け落ちをしたという話だ。
その詳細は、私にはあまりにも重すぎて、何と言っていいのかわからず、ただ曖昧な返事を返すか、口を閉ざすしかなかった。
その日にルーデウスが持ってきた料理はドーナツだったが、味はほとんどわからず、半分以上残してしまったのを憶えている。
その一件が、まだ続いているのだろう。
「しかし、この通り、ルーデウス殿より、皆で食べろと料理を預かっておりますので、どうぞナナホシ殿も」
「……いただきます」
私はザノバの隣の席についた。
サンドイッチは3分の1ほどなくなっていたが、それでも様々な種類が残っていた。
卵焼きを挟んだもの、燻製肉らしきものを挟んだもの、焼き魚を挟んだもの、あの白いのはポテトサラダだろうか。
私はひとまず、たまごサンドに手を伸ばした。
緑と黄色の彩りが目についたのもあるが、懐かしかったからだ。
私の家はおにぎりを作らない代わりに、お弁当にはサンドイッチが入っていることが多かった。
中でもたまごサンドは定番で、必ずといっていいほど入っていたものだ。
分厚い卵焼きと、レタスっぽい葉物の野菜が挟んである。
素手でつかみ、三角形の頂点部分から、がぶりとかじりつく。
ふわりとしたパンで、内側の少し湿って柔らかい。
レタスらしき層を抜けると、パリっという音と共に、少しの苦味が口中を走る。
そして、柔らかく焼かれた卵の層。少ししょっぱいけど、ほんのりとした甘みが、レタスの苦味を中和する。
後味は塩味で、二口目が恋しくなる。
すぐさま二口目を食べようとすると、卵焼きが大きすぎたせいか、ズルリとはみ出し、皿の上へと落ちてしまった。
卵焼きを指で摘んでパンの間に戻し、二口目。
行儀が悪いだろうけど、知ったことではない。
指先をハンカチで拭きつつ、三口、四口。
パンと卵とレタス。
たった三つしか入っていないのに、なんとバランスの取れた料理だろうか。
運動後でお腹が減っていたというのもあって、すぐに一つ目を食べ終えてしまった。
「それにしても、不思議なものですな。賢い者があのような短絡に出るなど」
「不思議なことなどあるものか、それが人の本質よ」
ペルギウスは鼻で笑いつつ、駒を動かした。
ザノバはその駒の動きに「ウッ」と詰まりつつ、盤上を睨んだままサンドイッチに手を伸ばす。
「本質とは?」
「人は何かを欲した時、最も愚かになる。普段できることが出来なくなり、最も安易で浅慮な選択を選ぶ。貴様にも覚えはないか?」
「ありますとも」
「だろうな。何せこの盤上がまさにそれだ。貴様は無防備に姿を晒している我が王を取ろうと無理な突撃を繰り返し、イタズラに兵を減らした。まさか王が囮だと気づかずにな」
「ぐぬ……」
盤上では、ペルギウスが圧勝していた。
ザノバの軍勢はすでに半数を失い、ペルギウスの軍勢に包囲されつつある。
「そして貴様はこの盤上を体験することで、次なる試合では目の前の餌に釣られることもなくなるだろうと考える。例え、欲が絡んだとしても、次は我慢できるとな。しかし貴様は、また数戦すれば、また同じような状況に陥り、やはり安易な突撃をするだろう。それが人の本質。人は愚かなのだ」
「どんな賢き者でも、愚かな行動を繰り返すと?」
「それはわからん。だが、今まで目先の利益にとらわれず最適解を選べた娘が、真に欲するものを見出した結果どうなるか……見ものではないか」
「ああ、だからペルギウス様は、アイシャ殿の居所を教えないのですな? であるなら、失礼ながら趣味が悪いと言わせてもらう他ありませんぞ」
「……ふん。あんなくだらん小事で我が配下を動かすつもりが無かっただけよ」
どうやら、ペルギウスも相談を受けていたらしい。
もしペルギウスがさっさと見つけていれば、私まで暗い気持ちになることはなかったろうに……。
「しかしながらペルギウス様も、真に欲するものがあるのでは?」
「ほう」
「ペルギウス様のラプラスへの執着、それはペルギウス様の言葉でいうと、愚かということになるのでは?」
「ザノバよ。貴様は我を愚か者と言いたいのか?」
「いえ、決してそのようなつもりは……」
「良い。そうとも、我も本質は愚か者よ。しかしなザノバ、人は己を愚かだとわかった上で賢い選択をすることも出来るのだ」
私は深い溜息をつきたくなりつつ、次のサンドイッチに手を伸ばした。
賢いだの、愚かだの……面倒くさい話だ。
ペルギウスの話を深く考えれば、きっとこのサンドイッチも美味しくは食べられまい。
「そして愚か者にも種類があるのだ、例えば――」
「ねえ、その話、いつまで続けるつもりなの?」
そう言うと、二人は顔を見合わせた。
ザノバはメガネの位置を直し、ペルギウスは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「これは失礼、肴にするような話ではありませんでしたかな。ペルギウス様、終わりにしましょう」
「ふん」
二人は話を中断し、黙々とゲームへと戻った。
私も、食事に戻るとしよう。
次はハムだ。
ハムのサンドイッチは長方形だった。
肉の形に合わせてあるのだ。
恐らく、グレイラット家の自家製ハムだろう。
手に持ってみると、ハムの周囲に香辛料がびっしりと付いているのがわかった。
こういうの、なんて言ったか……確かそう、パストラミだ。
ハム自体はかなり分厚く切ってあり、歯ごたえがありそうだ。
ちょっとだけパンを開いて中を見てみると、パンとレタスに茶色のソースがべったりと付いているのが見えた。
凄く美味しそうだ。
私は早速、大口を開けてハムサンドにかぶりついた。
パンが先ほどよりも、少し硬かった。
ハムも固く、レタスやきゅうりもザクザクとした音を立てて、歯に抵抗してくる。
先ほどの卵サンドが柔らかに柔らかを重ねたような代物なら、これは歯ごたえに歯ごたえを重ねた感じだ。
そして、ソースが肉の味をひきたて、ピリリと口の中を刺激してくる。
噛みしめるごとに、口の中に辛さが増していく。
飲み込むと、口の中にジンとした熱さが残った。
これは、肉の周囲に付いている香辛料のせいだろうか。
飲み物がほしい。
「肉に使われているのは、魔大陸、ミグルド族の里で取れる香辛料だそうです」
そう思った瞬間、シルヴァリルがお茶を淹れてくれた。
少し不機嫌そうなのは、原産地が魔大陸で、作っているのが魔族だからだろうか。
ペルギウスとその配下は、魔族嫌いなのだ。
もしかすると、ザノバの物言いに怒っている可能性もあるし、私が会話を中断させたことに怒っている可能性もあるけど。
「いいんですか?」
「魔族の作ったものでも食材は食材、魔族ではないと寛大なるペルギウス様はおっしゃいました。ルーデウス様経由で、我が城の調理場にも置いておくようにとも」
それも結局、ペルギウスも己の欲を優先して安易な選択をしたということではないだろうか。
だってこれ、ルーデウスがミグルドの里から購入したってことだろうし。
結果的に考えるなら、魔族の懐にお金を入れている形だ。
「……」
いや、それは私にとってどうでもいいことだ。
紅茶を飲み込むと、ほっと一息ついた。
さて、次はどれを食べるか。
ポテトサラダがいいだろうか。
「王手だ。降伏せよ。ザノバ」
「うーむむ……逃げ場がありませんな、降伏です」
「二十手前にそうしておけば、無駄に兵を散らすこともなかったろうに」
ザノバはそう言いつつ、野菜サンドにパラパラと塩を掛けて食べていた。
野菜に塩。
そういう選択もあるのか。
となると、あのトマトっぽい赤い野菜サンドも恋しくなる。
「さすがペルギウス様はお強いですな。勝ち筋が見えませぬ」
「当然だ。我はこのゲームを数百年前からやっている。百年も生きられぬ人族に負けるものか」
……いや、あっちにしよう。
あと一つしか無いけど、メンチカツらしきものが見える。
カツサンドだ。
お腹がすいているうちに、がっつりと重そうなのから食べてしまいたい。
「ナナホシよ。どうだ、貴様もやらぬか?」
「いえ、私は結構です」
「そうか。我らの会話を中断した上、遊びにも興じれぬというか」
「いえ、それは……あ」
私が手を伸ばしたところ、ペルギウスがカツサンドを手に取り、パクリと食べた。
最後の一つが。
「……」
皿の上のサンドイッチを見ると、同じ種類が4つずつ並んでいる。
つまり、カツサンドは4つあったのだ。
ペルギウスの最も近い位置に4つ、並んでいたのだ。
この場にいるのは、4人。
もし仮に、一人一つずつ食べたとしても、私の分はあるはずなのに……。
シルヴァリルは食べていないのに……。
「ではザノバよ。再戦といくか? それともシルヴァリル。貴様がやるか? 貴様は時折わざと負けるゆえ、あまり信用できんが……」
「私、やります。ルールと駒の動かし方を教えてください」
私がそう言うと、ペルギウスがニヤリと笑った。
その表情でわかった。
きっと、これを見越して、私のカツサンドを食べたのだ。
私は相手の策にまんまとハマったことを悟りつつ、ザノバを押しのけるように、盤の前に座った。
---
4勝11負。
それがその日の勝敗数だった。
負け越しである。
最初に3連敗したが、そこでこのゲームの特徴とルールをつかめた。
将棋の定石も通用するところがあり、開き王手や両王手といったテクニックは当然のように通用した。
四戦目以降、『囲い』をスムーズに形成できるコツを思いついた後は、あっさり負けることは無くなったが、私はこのゲームの攻めを完全に把握できず、攻め手に欠けつつ、ペルギウスの様々な攻めに対応する形となってしまった。
それでも、棒銀やら四間飛車といった将棋っぽい戦法をアレンジしつつ攻め続けた結果、最後の方は五分五分の戦績となった。
そして、最終戦で勝利したのは私だ。
最後の一戦に負けた瞬間、ペルギウスは勝ち越したにも関わらず、悔しそうに顔を歪めた。
私のようなビギナープレイヤーに4負もした挙句、有終の美を飾られたのが、プライドを傷つけたのだろう。
その顔を見れただけでも、カツサンドの溜飲は下がった……としておこう。
将棋が終わる頃にはサンドイッチは完食、お腹は一杯になった。
満足だ。
カツサンドを食べられなかったのは残念だが、また頼もう。
「ナナホシ殿、今日は申し訳ありませんでしたな」
帰り際、ザノバは申し訳なさそうにそう言った。
何のことを謝ったのだろうか。
あまり、私と会話しなかったことだろうか。
いや、彼はペルギウスと私のゲームを脇でずっと見ており、時折アドバイスをくれた。会話はしていたのだ。
となれば、あの話題のことだろう。
「私こそ悪かったわ」
今日は少し不機嫌な態度を取ってしまったが、会話を中断させるほどでもなかった。
「何か師匠や他の方に伝言などございましたら聞いておきますが?」
「そうね……ルーデウスには、早く問題が解決することを願ってるって、そう伝えておいて」
「了解しました。では、また参ります。今度は師匠やクリフ殿といっしょに」
私はそう言ってザノバを見送った。
今日は、彼が来てくれてよかった。
ルーデウスもザノバも、そしてペルギウスすらもこない日、というのは一度だけあった。
あの日、私はあの部屋で静かにぼーっと過ごした。
無駄にネガティブなことばかり考え、無駄に沈んだ。
それに比べれば、今日みたいな話題でも、してくれた方がありがたい。
ここ最近は、私も賑やかさがありがたいと思えるようになったのだ。
別の待ち焦がれているわけではないが、やはり誰も来ないのは寂しいのだ。
「ええ、また、来てください」
彼の最後の言葉に有り難みを感じつつ、そう返事をした。
しかし、食事時の会話は、やはり明るいものの方がいい。
そう思いつつ、私は眠りにつくのであった。
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