挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
ワールド・カスタマイズ・クリエーター 作者:ヘロー天気

本編

1/11

ダイジェスト版1

書籍化に伴い、序話~17話の途中までをダイジェスト版に差し替えました。




 その日、何時ものように静かな神社の境内で快適なゲームプレイ環境を楽しんでいた田神悠介は、何の前触れも脈絡も無く、人生の大きな転機を迎えた。

――来タレ邪神ヨ――

 突然、頭の中に響く声。宙に浮かぶ身体と立ち去って行く自分自身の後ろ姿。

――汝ノ望ム(ちから)ヲ与エヨウ――

 平行世界に別世界。この世、あの世に限らず、ただ存在している無数のあらゆる世界。それら世界と世界の隙間に位置する狭間の世界に、ポツリと浮かぶ巨大な円盤状の大地。
 そこに住む人々はこの大地を『カルツィオ』と呼び、国を建て、繁栄し、衰退し、滅び滅ぼし、子を産み育て、連綿と続く人の生活と営みによって悠久の歴史を紡いでいた。
 そんなカルツィオの大地と、そこに住む生命を見守る『大いなる意思』たる存在に喚ばれた別の世界の若者の意思は、自らが望んだ力を秘めた新たな肉体を得てその大地に光臨を果たす。


 ∽  ∽  ∽  ∽


 キンコーン

 何処かで聞き覚えのあるようなチャイム音が頭の中に響き、悠介は不思議なまどろみから目を覚ます。洞窟の中にある祭壇のような、石の台座の上に何故か素っ裸で横たわっていた悠介は、自分の身に起きた出来事を冷静に思い出そうとするも、立ち去っていく自分自身の後ろ姿を見送った後の記憶が曖昧だった。

 近所の神社の境内で幽体離脱のような心霊体験を経て、気が付けば知らない場所に一人裸で放り出されていたという異常な状況にも関わらず、自分が今ここニ居る事を心の奥で納得している。
 そんな感覚に戸惑いながら、悠介はとりあえずそこに置いてあったお供え物らしき布を纏ってこの祭壇の間を後にした。


 狭い石造りの通路を進んで外に出られた悠介は、そこで真っ白な髪をした少女と出会った。

 祭壇の間に供えてあった萎びた花や木の実と同じ種類の瑞々しい花と木の実を抱えた少女は、祠から現れた悠介を見てそれらを取り落とすと、悲鳴をあげながら逃げていった。
 声を掛けようとしたら悲鳴つきで逃げられてしまい、軽くへこみつつも現状に関する情報を得んが為、悠介は少女が駆けて行った木々の隙間を通る獣道へと踏み出した。

 祠のある場所から森を抜けた先の小道へと出た悠介は、先程の少女と青い髪をした老齢の男性に出会う。

「黒……じゃと?」

 この世界の常識から外れた()を持つ悠介に警戒の念を向ける老齢の男性と、その背中に隠れて様子を窺う白髪の少女。どうにか彼等と対話の糸口を掴んだ悠介は、自分が今ここに居る理由を掻い摘んで説明した。
 不思議な"声"に『邪神として喚ばれた』という部分に注目する男性は、名をゼシャールド。ずっと隠れている白髪の少女はスンという。

 カルツィオの大地に住む人々は、神々の加護を受けてその身に神の力を宿す者達を神技人。神の力を宿さない、神々の加護の外に置かれた者達を無技人と呼び、それぞれ支配者と被支配者に分かれて暮らしている。
 神技人には身に宿す神技によって、髪や瞳に加護を受ける神の()が顕れる。

 炎の神『ヴォルナー』の加護を受ける『炎技(エンギ)の民』は赤。
 水の神『シャルナー』の加護を受ける『水技(スイギ)の民』は青。
 土の神『ザッルナー』の加護を受ける『土技(ドギ)の民』は黄。
 風の神『フョルナー』の加護を受ける『風技(フウギ)の民』は緑。

 四大神の加護を受けていない『無技(ムギ)の民』は白。そして、『黒』は邪神像等に使われている『災厄』の()だった。

 カルツィオには凡そ三百年周期で『災厄をもたらす邪神が降臨する』という言い伝えがある。その『災厄の邪神伝説』の研究家でもあるゼシャールドは、会話をした限り危険な存在だとは思えなかった黒髪の若者、『異世界の一般人』を自称する『邪神:田神悠介』を研究するべく、現在居を構えている無技人の村、『ルフクの村』に連れ帰る事にする。

 ルフク村へと向かう道中、ゼシャールドと悠介は何故ただの一般人であった悠介が邪神としてこの世界に喚ばれたのか、邪神とは何か、悠介には自身も気付いていない邪神としての何かが秘められているのではないか等、色々な可能性を交えて対話を続ける。

 そんな折、祭壇の間から拝借してきたお供え物の布を纏う自身の格好を『もう少しどうにかならないものか』と嘆いた悠介は、目の前に浮かんだ見慣れたモノの存在に驚き、固まった。

 幻影のように浮かび上がったそれは、悠介が"声"に喚ばれる直前まで遊んでいたゲームのメニュー画面であった。ゲーム内で手に入るアイテムをプレイヤーが好きなデザインにカスタマイズする事が出来る斬新なシステム。

 アイテム・カスタマイズ・クリエート・システム

 画面内に映し出されているのは今、自分が身に纏っているお供え物の布。そこで腑に落ちた事が一つ。目覚めた時から頭の中に響いていた聞き覚えのあるチャイム音は、ゲーム中にカスタマイズ可能なアイテムを入手した時のチャイムだったのだ。

 お供え物の布をシャツとズボン、パンツなどにカスタマイズして自身に宿る不思議能力の存在を確かめた悠介は、村でゼシャールドの世話になりながらこの世界の事を学んでいく事になる。


 ∽  ∽  ∽  ∽


 治癒の神技を使って村医者をしているゼシャールドの屋敷に悠介が居候を始めてから数日。村での生活にも慣れ、カスタマイズ能力の研究も兼ねて古い衣服や壊れた道具などをカスタマイズ能力で修繕するなどしては、村人達にも貢献する日々を過ごしている。
 しかし、同じ一つ屋根の下で暮らしているスンとは未だ打ち解け合えないでいた。何時も微妙に距離を置かれ、目が会えば直ぐに逸らしてそそくさと何処かへ行ってしまうスンに、知らず溜め息を吐く。

「悪く思わんでくれ、あの子はちぃとばかし不幸な過去を背負(しょ)っておっての」

 幼少の頃、神技人の街から来た不逞の輩に戯れで殺されかけた事にトラウマを負うスンは、ゼシャールド以外の神技人を極端に怖がる。悠介の事も邪神云々はともかく、特殊な力を持つ神技人として見ているので、どうしても恐怖が先に立ってしまうのだろうと、ゼシャールドはスンの過去を交えながら神技人と無技人の関係について掻い摘んで教えてくれた。

 スンもまた、悠介の善良的な人となりは理解しているのだが、神技人への恐怖から素っ気無い態度になってしまう事を気に病んでおり、子供の頃から何かと気にかけてくれる近所のバハナおばさんに励まされたり慰められたりしながら、どうにか打ち解けあえる事を願っていたりするのだった。


 毎日の生活を通してこの世界の事を学んでいく悠介。この日は買い物や露店の売り子を経験すべく、村からそこそこ離れた場所にある巨大な街、このフォンクランク国の首都でもあるサンクアディエットの街に泊り掛けで訪れていた。

 カスタマイズで新品化した古着や、村人達から委託された品物の売買をするのだ。馬車に施した性能アップカスタマイズの効果か、予定よりも少し早く街に到着したので露店市場を見て回っていた悠介達は、そこで暴走御転婆姫と遭遇した。

「見つけたぞっ ゼシャールド!」
「ぐっは……」
「うおっ なんだ!」

 突然ゼシャールドの腰にタックルして来た赤髪ツーテールの女の子。炎の姫君ヴォレット・ヴォイラス。幼少の頃よりゼシャールドの事を『爺』と慕うヴォレットは、最近めっきり宮殿に来なくなったゼシャールドの気を惹こうと纏わり付く。

 実は元宮殿関係者でもあったゼシャールドは、ヴォレットの父である現国王エスヴォブス・ヴォイラス十八世とは旧知の仲であった。しかし現在、両者の関係は拗れた状態にあり、ゼシャールドは街を離れてルフク村に隠居を決め込み、エスヴォブス王は宮殿官僚を含めた全衛士に向けて『ゼシャールドには関わるな』という勅令を出していた。

 しかしヴォレットはそんな事情など何処吹く風といった様子で、父の事など気にするなと宮殿に誘っては丁重に断わられてゴネたりしている。ゼシャールドに絡みながら楽しそうにしている姫君を、心中複雑な思いで見詰めるお供の宮殿衛士。

 宮殿衛士隊の中でも王族を専属に警護する炎神隊の隊長を務めるクレイヴォルは、炎壁王とも呼ばれるエスヴォブス王の炎技に心酔し、深い忠誠心を以ってヴォレット姫の専属警護兼教育係も担っていた。
 そんな彼は、王と関係の拗れているゼシャールドの事を快く思っていない。エスヴォブス王はゼシャールドを遠ざけるように振る舞いながらも、どこか氏に遠慮しているような素振りも見られる。王の忠実な配下を自認するクレイヴォルとしては、そこが気に入らない。
 『王はゼシャールド氏に何か弱みでも握られているのではないか』そんな疑念を(いだ)いていた。

 エスヴォブス王とゼシャールド氏について考察に耽るクレイヴォルが目を離した途端、奔放な姫君がやらかした。ゼシャールドの従者と思しきフードを被った青年に炎技を振るったのだ。
 軽い悪戯程度のモノだが、下々の民が野次馬に集まるこんな場所で、王族の神聖なる炎技を軽々しく見せてはいけませんと自重を促すクレイヴォル。そこへ、フードを燃やされた青年が突っ込みを入れてきた。
 姫君と側近の会話に割り込んで来るなど、どんな無頼漢か世間知らずかとそちらに目をやった時、ヴォレットやクレイヴォル、周りの野次馬を含め護衛の衛士達も皆が驚きに目を瞠る。災厄の邪神を連想させる『黒い髪』を持つ若者の姿に、周囲一帯が静まり返った。

「お、お前……」
「なんだよ?」

「お前、災厄の邪神か……? わらわの国を滅ぼしに来たのか!?」
「へ?」

 三百年周期でカルツィオに現れると云われる『災厄の邪神』。王族がその存在を仄めかした事で、静まり返っていた周囲は一転大騒ぎとなった。『あちゃー』とおでこに手をやり天を仰ぐゼシャールドと戸惑う悠介。

 黒い髪を見て驚きはしたが、『邪神伝説』など元から信じていないクレイヴォルは、これをチャンスと捉えた。『災厄の邪神と思しき怪しい者を呼び込んだ』ゼシャールドを、王国に仇なす者の容疑で捉えて審問すれば、王との間に何があったのか掴めるかもしれないと。

「我等が主君に仇なす者共を捕らえよ!」


 ∽  ∽  ∽  ∽


 幼少の頃よりゼシャールドから『邪神伝説』について聞かされていたヴォレットは、四大神の何れにも属さない黒い髪に、神技人であれば誰もが感じ取り、判別できる筈の神技の波動も判別不能という不思議な若者に興味を懐いていた。
 彼女も本気で『災厄の邪神』なる存在が実在する等とは思っていない。何時もの御転婆の延長である。クレイヴォルはそれを分かった上で『今は隣国との関係が微妙な時期、疑わしきは調べねば』と拘束命令を出したのだが、部下達はそこまで大胆になれず、王の命令に叛く事になりはしないかと悠介達の拘束に躊躇を見せる。

「うーむ……お主、忠義が過ぎて主君を死なせるタイプじゃな」
「んな……っ」

 クレイヴォルの思惑を看破したゼシャールドは軽く挑発するなどして不安を煽り、疑問を投げ掛け、自分のペースに引きずり込む。

「知っておるか? 全ての色が混ざると黒になるそうじゃ」

 悠介の黒髪と判別不能な神技の波動についても、悠介の身の上話をでっち上げつつ四大神全ての神技が混じり合った状態であるという推測を披露して周りの観衆も納得させ、この場の収拾を図った。
 それから直ぐ、宮殿より『手出し無用、厳守せよ』の通達が届いた事で、この突発的な捕り物劇は終息した。

「父様の事など気にするな、今度宮殿に来い」

 『わらわは待っておるからなー』と手を振って高民区へ帰っていくヴォレットと、護衛の宮殿衛士隊に側近クレイヴォル。すっかり日も暮れて集まっていた野次馬達も解散し、馬車に戻った悠介達は明日に備えて寝床を整える。

 そんな中、ゼシャールドは今この国が抱えている問題について悠介に語った。隣国ブルガーデンの度重なる挑発に対し、表立って戦火を交える気の無いフォンクランク。
 エスヴォブス王と元宮廷神技指導官であったゼシャールドとの間で交わされた密約。国王との不和を演じ、ブルガーデン側から誘われる形で亡命を装い、フォンクランク側の密偵としてブルガーデンに潜入する事になっているという。
 国家機密レベルの超極秘事項を教えられて狼狽する悠介に、ゼシャールドは己が思惑を語って聞かせた。

「ワシはの、邪神として喚ばれたお主がこの世界で何を成すのか、そこが気になっておるんじゃ」

 諸説ある邪神のもたらす災厄についても、当時それを記した者や言い伝えた者達が何を持って災厄としたか、時の権力者による裁定か、一般の人々の評価か。それ如何によっては、災厄は災厄では無くなる場合もある。

 悠介に特異な力を与えてこの世界に喚んだ存在の意図は分からないが、古来より言い伝えられて来た歴史の節目とも言える時期に出現を記される邪神が、世界の裁断を行うような超越者的存在であった場合。
 裁断の基準となる情報は正しく、多い方が良いだろうという考えに至ったのだ。

「お主には、この世界の多くを見聞きし、知って貰いたいのじゃ」


 ∽  ∽  ∽  ∽


 翌日、昼頃まで露店を出して並べていた商品も概ね売り捌く事が出来た悠介達は、売れ残りを片付けて余所の露店を見て回り、昼食や買い物を済ませて馬車に戻って来ると、荷物を積み込んで帰り支度を整える。
 あちこち歩き回りながら街の施設や使い方などをゼシャールドから教わる悠介は、少しずつこの世界の一般常識を身に付けていく。

「失礼、ゼシャールド殿とお見受けしますが」

 積み込んだ荷物にロープを掛けていた時、馬車に近付いて来た緑髪の若い男が、軽く笑みを浮かべながら声を掛けてきた。含みを持たせるような口調の男に、ゼシャールドは一瞬視線を鋭くする。

 悠介に馬車の番を任せ、ブルガーデンの密偵と思しき男と連れ立って街の雑踏へと消えて行ったゼシャールドは、暫くして一人で戻って来ると明日の帰宅に備えて寝床の準備を始めた。
 何の話をして来たのか気になる悠介だったが、ゼシャールドは多くは語らずとも概ね悠介が考えている通りだというような表情で応える。

「少し、早いかもしれんがのう」

 そうして翌朝まだ日が昇りきらない内に街を出発した悠介達は、夕刻前にルフク村へと帰って来た。集まった村人達を前に、ゼシャールドは明日の天候を話題にするくらいの軽い調子で『また長旅に出る事になったので暫らく戻れない』という趣を伝え、驚かれたり納得されたりして穏やかな雰囲気のまま、暫しの別れを告げた。

 やがて村人達も各々の家へと帰り、悠介達もゼシャールドの屋敷に戻る。

「先生、どういう事なんですか?」

 ただ一人『私そんな話聞いてません』という戸惑いの表情を向けていたスンが、家に入るなりゼシャールドに詰め寄った。今まで遠出をする時や、旅に出る場合は事前に知らせておいてくれたのだ。今回の暫らく戻らないという長旅宣言は急過ぎると。

「スマンのう、少し込み入った事情が出来たんじゃ」
「……話せない事、なんですか?」

 うむと頷くゼシャールドに、スンは黙って俯いた。ゼシャールドはよく手入れされたスンの白い髪を梳くように一度撫でると、悠介も交えて今後の事を話し始める。

「ワシが留守にしている間も、ユースケはこの家に住むと良い。スンは彼の身の回りの世話を頼む」
「え……わたしが、ユースケさんと……?」

 それは一つ屋根の下で二人きり、共に暮らす事を意味する。ちらりと悠介に視線を向けるスンだったが、悠介はその視線には応えず、ゼシャールドの話に耳を傾けていた。

「ユースケにはスンとこの村の事を頼もうと思っておる。じゃが、お主はまだまだこの世界に関する知識が足りん」
「そうですね……」

 正しい認識と誠実な心遣いによって、悠介に必要な情報と知識を与え、進むべき方向を指し示してくれていたゼシャールド。今後はそんな彼の支え無しでやっていかなければならない。

「見識を広めよ、ユースケ」


 翌朝、悠介が起き出して来た時、既にゼシャールドの姿は家に無かった。今日から何をするにも自分で考え、自分で決めて行動しなくてはならない。ゼシャールドに渡された書斎の鍵をカスタマイズメニューの欄内に見ながら、悠介は当面の問題を解決すべく口を開く。

「おはよう、スン」
「……おはよう、ございます」

 広間のテーブルを挟んで、ぎこちない挨拶が交わされる。表情に不安を滲ませながらそわそわとした様子のスンに、悠介は『自分から動かないと駄目だな』と気持ちを切り替える。鍵をポケットに仕舞って席を立つと、ビクッと肩を震わせるスン。

「朝食の準備、始めよっか?」
「え? あ、はいっ ごめんなさい!」

 スンは慌てて立ち上がると、水桶を持って外の井戸へと向かった。それを見送って肩を竦めた悠介は、とりあえず食糧棚に朝食の肉とララの実を取りに行く。こうして、スンと悠介のぎこちない共同生活が始まったのだった。


 同じ頃、サンクアディエットの高民区に(そび)えるヴォルアンス宮殿の食堂では、蜜で味付けされた実のデザートを口に運ぶヴォレットが給仕長を相手に愚痴っていた。

「ゼシャールドは今日も宮殿に来んのか?」
「色々と事情があるのでしょう」
「つまらんのう、父様は何時までゼシャールドと仲違いしておるのじゃ。さっさと仲直りすれば良いのに」

 下街で思わぬ再会が出来て久し振りに楽しい旅の話が聞けると思っていたのに、ゼシャールドは一向にやって来る気配が無い。側近のクレイヴォルは相変わらず姫君たるもの云々と御小言が五月蝿いばかりで、一緒に居ても面白くない。

「そういえば、もうひとり面白そうな奴が居たな。ユースケと言ったか」

 ゼシャールドの知り合いらしい黒髪の無礼な男。遠い異国の地で育ったそうなので、珍しい話が聞けるかもしれない。

「また御忍びで下街を探してみるのも、良いかも知れん」
「姫様、王様から暫らくは御忍び禁止令が出ていますよ?」
「構わん、構わん。わらわが甘えてやれば一発じゃ『父様(ちちさま)ぁ、わらわのコト嫌いになったのぉ?』とか言ってな」

 お行儀悪くケラケラ笑っている姫君に、給仕長は『王様も苦労しますねぇ』と内心で溜め息を吐く。


 数日後、ブルガーデンから各国に向けて人事に関する公式発表がなされた。
 ――元フォンクランク宮廷神技指導官であるゼシャールド氏を、我が国の精鋭を育成する神技指導官に迎える――


 ∽  ∽  ∽  ∽


「嘘じゃっ! ゼシャールドがわらわ達を裏切る筈が無い!」
「事実です。お気持ちは察しますが、どうか冷静に」

 荒れるヴォレットを宥めるも落ち着かせるに至らず、私室から追い出されてしまったクレイヴォルは、姫君の心中を察しながら複雑な気持ちを懐いていた。
 ヴォレットと同じく、クレイヴォルも先日の騒動がゼシャールドに亡命を決意させる切っ掛けになったのではないかと感じていたからだ。

『しかし、宮殿内にも動揺が広がっている……彼が向こうに付いたとなると、追随する者も現れかねない』

 今後は宮殿関係者の動向にも特に注意を払う必要が出てくる。クレイヴォルはまず自らが率いる炎神隊の衛士に対する意識調査と、気持ちの引き締めを考えていた。


 側近を追い出し、滅茶苦茶になった部屋で一人息を吐くヴォレットは、不意にゼシャールドの傍にいた黒髪の男の事を思い出す。ユースケと呼ばれていた世間知らずっぽいあの無礼な男はどうなったのか。

「一緒に付いて行った? 或いは……」

 伏せていた顔をあげて窓に向ければ、遥か遠くまで続く平地の先に微かに見える小さな森。ゼシャールドが住んでいた無技の村に行けば、何か手掛かりが掴めるかもしれない。目的を見つけたヴォレットの瞳は、何時もの自信に満ちた力強い光を携えていた。


 宮殿関係者に大きな動揺と衝撃を与えた元宮廷神技指導官のブルガーデン亡命騒ぎだが、民衆の間では『また宮殿官僚から離反者が出たらしい』という程度の認識で、然程大きな話題にもなっていない。宮殿事情に詳しい一部の識者達が討論のネタにしているくらいであった。

 街からも離れたここルフク村に至っては、まだ情報すらも届いておらず、村人達は普段通りの穏やかな生活を営んでいた。
 この日、近くの森にある小川まで魚釣りにやって来ていた悠介は、先日街でゼシャールドに声を掛けて来たブルガーデンの密偵と思しき男と再会した。レイフョルドと名乗ったその男は、悠介に急いで村に戻った方が良いと促す。

「すこし、大変な事になってるみたいだよ」
「なんだよそれ、アンタ何かしたのか」
「僕はなにも?」

 警戒する悠介の問いに、レイフョルドは軽く微笑みながらパッと手を開く仕草を見せる。何処か掴み所の無い、ゼシャールドとはまた違った雰囲気の飄々とした男に多少の猜疑心を懐く悠介だったが、村が大変な事になっているという言葉が気になり、急いで戻る事にした。

 村に帰ってきた悠介は、村の入り口前ででウロウロしているバハナを見つけて声を掛ける。

「バハナさん!」
「あっ ユースケ! 大変だよ、スンが!」

 駆け寄って来たバハナは『スンが衛士隊に連れて行かれた』と縋り付くように訴えた。村の通りにはまだ衛士隊の馬車が停まっていて、馬車の周りに居た衛士達が悠介の姿を見つけて騒ぎ始める。
 悠介は釣具と魚篭をバハナに預けると、衛士隊の馬車に向かって歩き出した。

 詳しい事情は分からないが、ブルガーデンの密偵と接触を持っているという容疑でゼシャールドの関係者を取り調べに来たらしいと聞き、先に連れて行かれたスンの事を心配する悠介は、警戒しながらにじり寄る衛士達に『街に連れて行く気なら早くしてくれ』と急かす。


 悠介が護送中の馬車の上でカスタマイズ能力の新しい使い方など覚えている頃、先行する馬車上ではヴォレットがスンから村でのゼシャールドの暮らしぶりなどを聞いていた。

「ふぅむ、するとゼシャールドは日がな一日、邪神研究の文献漁りばかりしておったのか」
「はい……。 別に、怪しい人とか……知らない人が、訊ねて来る事は……ありませんでした」
「ユースケは?」
「えっ? ユースケさんの事は……よく、わかりません……」

 最近ゼシャールドが村に連れて来た人なので、まだ良く知らないのだと、スンは嘘をついた。ゼシャールドからも、悠介が祠から現われたという事は伏せておくように言われている。
 嘘をつく事の後ろめたさで遂、眼を逸らしてしまうスンだったが、終始怯える姿を見せていた為にそれを見抜かれる事はなかった。

「申し上げます。 村に駐留させた部隊から黒髪の男を確保したとの連絡が入りました」
「おお、そうか」

 伝達係の衛士が風技による知らせを受けてヴォレット達に報告する。報告にあった人物が悠介の事だと分かり、不安気な表情を更に曇らせるスンに、ヴォレットは心配するなと笑い掛けた。

「お前と同じくちょっと話を聞くだけじゃ。どうせアイツも内通者の事なんぞ知らないだろうからなっ」

 ゼシャールドの事を調べる為、適当に衛士達を護衛につけながらルフクの村を目指そうと行動を起こしたヴォレットは、低民区と中民区を隔てる区画門の所で追って来たクレイヴォルに捕まった。区画門前で揉める二人。
 「街の外に出るなど、とんでもない」と諫めるクレイヴォルに、「ちょっと調べに行くだけじゃ」と一歩も引かないヴォレット。そこへ『ルフク村にはブルガーデンの密偵と通じている者が居た』という告発を行う男が現れた。
 この男の告発内容に添う形で、正式にルフク村を調べてみようという事になったのだ。

 やがて街に到着したヴォレット達が区画門の所までやって来ると、もみ手で現れる告発の男。その男を見た瞬間、スンは凍りついた。過去の悪夢が、意識を侵蝕するように記憶の底から吹き上がる。父を殺害し、スンの身体に一生消えない傷痕を残した男。
 突然その場に座り込んで蹲り、震えて動かなくなったスンを心配するヴォレット。そこへ、悠介を乗せた衛士隊馬車が到着した。


「おお、来たかユースケ」

 のほほんと声を掛けて来たヴォレットに答えず、悠介は座り込んで震えているスンを気にする。

「大丈夫か、スン……?」
「……ぃゃ……ぃゃ……ぁ……」

 俯き、枷の填められた両腕に顔を(うず)めてぶつぶつと呟きながら、伏せるように身を丸めて震えている。そんな状態のスンにどう対処して良いか分からず、最早自分の声がスンに届かない事を悟った悠介は、その憤りの矛先をヴォレットに向けた。

「お前っ スンに何したんだよ!」
「わ、わらわは何もしておらんぞ!」

 立場上、他人から剥き出しの感情を向けられる機会の少ないヴォレットは、身分差も考えず怒りをぶつけて来る悠介に一瞬怯むが、持ち前の気の強さで押し返す。
 姫君(ヴォレット)と問答を始める悠介を、護衛の衛士が背後から殴り倒した。

「こら! 手荒に扱うでないっ」
「え? は、はぁ……申し訳ありません」

 護送の衛士隊が区画門前で足止め状態になっている間、件の告発男は過去の狼藉を帳消しにして宮殿から褒賞を得られるシナリオという策を必死に巡らせていた。

 その昔、彼は上司と共に力試しで街から離れた場所に住む無技人を適当に見つけては、神技をぶつけて殺すという無技狩りを行っていた。ある村の近くで無技の親子を殺した時、その村に住む水技の民に咎められた。
 自分達より上の身分にある者の所有物を勝手に殺めたとなると、神民裁判では一方的に裁かれる事になる。

 幸い周りには他の目撃者もおらず、この水技の老いぼれを始末すれば問題ないと口封じに掛かったのだが、かなり熟練した治癒の使い手だったらしく、上司は一瞬で血流を塞き止められて返り討ちにあった。
 彼はその隙に逃げ出して生き延びた。後に相手が元宮廷神技指導官のゼシャールドだったと知り、以後、彼はゼシャールドに見つからないよう貧民街に身を隠して生きる羽目となった。

 最近そのゼシャールドがブルガーデンに亡命した事で大手振って表通りを歩けるようになり、この日、偶々広場までやって来た時に区画門前での騒動を見つけた彼は、宮殿関係者に取り入るチャンスとばかりにブルガーデンの密偵をネタにゼシャールドが以前からブルガーデン側と内通していたという告発をでっち上げた。村を調べてもどうせ何も出てきやしない筈だったのだ。

 ゼシャールドの関係者として連行されて来たこの蹲って震えている無技の娘が、あの時の子供だという事には直ぐに気付いた。
 どうにか上手く誤魔化して自分の告発内容に信憑性を持たせなければと、あの時の出来事という筋書き(シナリオ)に若干修正を加えながら辻褄合わせを行った彼は、珍しい黒髪の若い男が姫君に食って掛かって衛士に殴り倒され、少々雑然とした空気になった事を機に策を実行に移した。


「まったく、ユースケまで伏してしまっては身動きが取れんではないか」
「ああー! この娘だっ! あの時の子供だっ」

 水技を使える衛士を呼べと指示を出しているヴォレットに、告発の男は()もたった今気が付いたかのように、スンを指してあの時現場にいた娘だと言い出した。彼は今なら自分の立てた筋書き(シナリオ)を通せると判断して賭けに出たのだ。

 ブルガーデンの密偵と通じていた村人は人目を欺く為か小さな子供を連れていた。自分と死んだ上司は当時、ブルガーデンの密偵とそれに加担していたゼシャールドを相手に戦った。村人が連れていた子供に、戦闘の流れ弾が当たったのを見た。致命傷に見えたので助からないと思った。

 そんな男の話に耳を傾けるも、イマイチな反応を見せるヴォレット。話の中に出てくるゼシャールドの姿に、違和感が有り過ぎてしっくり来ないでいたのだが、焦った男はこの無技の娘が現場に居たという話を疑われていると認識し、証拠を見せようとスンの服を切り裂いてその腹部に刻まれた深い傷痕を晒した。

「い、いやああああ!」
「ほらっ やっぱりあった! ここですよココ、この傷痕!」

 必死で振り解こうとするスンの抵抗も空しく、彼女の両腕を拘束している枷を掴み上げた男は、スンの腹部を斜めに走る古い傷痕を指し示す。ヴォレットは余程深い傷だったのであろう肌の変色した傷痕が付けられた経緯の事よりも、男の正気を疑い始めた。

『こやつ……?』

「恐らくゼシャールド氏が治癒したのでしょう! そうかっ! もしかしたらこの傷の治癒の為にあの時追って来な――ぶごっ」
「いい加減にしろてめえ!」

 自説に酔い、興奮したように捲くし立てる男の顔面に、ブチきれた悠介の枷ナックルパンチがめり込んだ。神技人用の非常に固い素材で出来た枷をカイザーナックルにカスタマイズして、起き上がりしな全力で殴りつけたのだ。
 枷が外された事を問題として悠介を取り押さえに動こうとした衛士達を、石畳のカスタマイズで落とし穴に封じた悠介は、地面でのたうち回る男を指して糾弾し始めた。

「そいつは昔、何の罪も無い村人の親子を襲った殺人犯の片割れだ!」

 ゼシャールドから聞いた話を詳しく語る悠介によって過去の悪行を暴露された男は、激昂しながら風刃で攻撃を仕掛けて来た。カスタマイズ能力を戦いに使う決心をした悠介は、この世界に来て初めて神技人との戦闘に挑んだのであった。


 ∽  ∽  ∽  ∽


 不自然な壁だらけ穴だらけとなった区画門前広場。初めての実戦を辛くも乗り切り、最終的にはヴォレットの炎技による援護に救われる形となった悠介は、今回の騒ぎについてヴォレットから説明を受けた。
 結局、ルフク村にブルガーデンとの内通者がいたと言う告発はあの男の狂言だった訳だが、元々は自分がゼシャールドの事を調べようと御忍びで村に赴こうとしている所へ、あの男の告発があって正式に衛士隊を出す事になったのだと一連の経緯を語るヴォレット。

「なんだ、やっぱりお前が元凶かよ。しかも狂言で冤罪とか……冗談じゃないぞ」
「むっ 言っておくが、わらわはお前達を手荒に扱うつもりはなかったぞ」
「どうだかね。それより、俺たちをちゃんと村に返してくれるんだろうな」

 街からルフクの村まではかなりの距離がある。そろそろ日暮れに差し掛かる空を見上げながら、今日中には帰れそうにないなとこぼす悠介に、ヴォレットはその前に片付けて置かなくてはならない問題があると言う。

「内通の嫌疑はあの男の狂言だった事で晴れたが……ユースケ、お前が暴れた事で衛士に怪我人を出しておる」
「へっ?」

 狂言の男としか戦った覚えのない悠介はポカンとなって何時ぞやのような間の抜けた声を漏らす。それを見てニヤリ笑いを浮かべたヴォレットは、悠介が作った落とし穴に落ちて怪我をした者が複数人いるのだと説明した。
 穴が開いた場所に立っていた者は『気づいたら穴の底だった』といった具合で怪我も無かったが、穴の近くにいた者は何人か足を滑らせて落下、打撲などの怪我をした。
 あの男への糾弾を訴え、後は衛士達に任せておけば、こんな騒ぎにはならなかったと諭されて言葉に詰まる悠介。

「とはいえ、それでお前を罰するのも寝覚めが悪いからのう……さて、どうしたものか」
「……」

 反応を窺うように肩越しの流し目で悠介の顔を覗き込むヴォレット。傍に立っているスンが不安気な表情で悠介を見上げ、次いでヴォレットに視線を向ける。あまり脅かすのも大人気ないかと息を吐いたヴォレットは、不問にする為の条件を出した。

「そうじゃな、わらわを楽しませてみろ」

 ヴォレットはそれで全て帳消しにして、ついでに街での身分を保証してやるという。ゼシャールドの説によれば、悠介には全ての神技が混じり宿っている事になっているので、認めさえされれば炎技の民として振舞う事も許される資格を持っている。
 稀に存在する二つ以上の神技を宿している者は、神格の高い方が優先されて身分に適応されるのだ。最初から悠介の罪を問うつもり等なかったヴォレットは、石畳に穴を空けたり壁を出したりする悠介の神技に興味を惹かれていた。


 ∽  ∽  ∽  ∽


 区画門前広場に巨大な展望塔を建ててヴォレットから大いに喜ばれた悠介は、スンと揃って半ば強引にヴォルアンス宮殿まで招待されていた。
 部屋に運んで貰った食事も摂り終え、広い贅沢な部屋で落ち着かない一時(ひととき)を過ごしていた悠介の所に、スンを伴ったヴォレットがやって来る。赤いドレスにツーテールを下ろした赤毛のロング姿なヴォレット。白いワンピースのようなドレスを纏ったスン。何時ももさっとした村服に見慣れている為、胸元の開いたドレス姿は実に新鮮だった。

 食後のデザートを持って来たというヴォレットに勧められて宮廷の定番デザート『高級ララの実の蜜和え』を口にしてみるが、そのあまりにガッカリな食べ心地に、悠介は普段自分達が食べているララの実の味を教えてやろうと、高級ララの実に甘味カスタマイズを施した。
 デザートに光のエフェクトが舞うのを見たヴォレットが、キョトンとした表情を向ける。

「ほれ、食ってみ」
「んむっ」

 味をカスタマイズしたデザートの一切れをヴォレットの口に押し込む。もぐもぐもぐ――

「んんっ? なんじゃこの美味さは! まるで別物ではないか」

 こんな事まで出来るのかと、ヴォレットは益々悠介の神技に興味を持った。食べ物などの水分を調節して多少水気を増やしたり控えたり出来る水技なら知っていたが、ココまで味に変化を出す神技は初めてだ。

「他にはっ? 他にどんな事が出来るのじゃ?」
「ん? んー……他はまあ、服とか多少弄れるかなーって程度だよ」

 興味津々な様子で身を乗り出して来るヴォレットに、悠介は曖昧に答えながら内心で少し見せ過ぎた事を気にした。色々と反則的な効果を持つ能力なので、あまり詳しく知られない方が良いと判断して話を逸らすべく別の話題を振る。

 その後は牧場に魔獣を放たれるなどブルガーデンの挑発行為と思しき被害についてや、ヴォレットの父王は戦を起こす気が無いらしいといったここ最近の情勢に関する話などをしてデザートとお喋りの時間はお開きとなった。

「明日は朝食後に村まで送るよう馬車を出してやろう、ゆっくり休むがいい」

 そう言って扉の前で二人と別れたヴォレットは、自室のある上層階へと戻っていった。

「じゃあ、スンもそろそろ休みな」
「はい……あの、ユースケさん」

 スンは遠慮がちに悠介の傍に寄ると、そっと腕を握って直ぐに離れた。スンが悠介に触れたのは足を洗った時以来だ。自ら触れる事により、『あなたを信頼します』というスンなりの意思表示だった。

「おやすみなさい、ユースケさん」
「あ、ああ……おやすみ」

 隣の部屋に消えるスンを見送り、『今のはなんだったんだろう?』と首を傾げながら、悠介も部屋の中に戻るのだった。


 翌朝、宮殿を出発してルフク村に向かう馬車の中で、悠介はスンと村に帰ってからの事を話す。

「バハナさん心配してるだろうなぁ」
「ええ……わたしの事、あんなに一生懸命庇ってくれて……」

 帰ったらまずはバハナおばさんの所へ行こうと相談し合い、畑の水撒きや、預けた魚籠の中身がどうなったか等を話題に雑談を交わす。つい二日ほど前までは並んだ時に必ず空いていた人一人分の距離が、今は腕一本分にまで縮んでいた。


 ∽  ∽  ∽  ∽


 狂言騒動から数日後。あの日、無事に帰って来た二人を、村人達は温かく迎えてくれた。スンとも打ち解けあう事が出来て平穏な村での生活を感慨深く過ごしていた悠介は、遅い起床でベッドを後にして広間に出てくるなり寝起きのツッコミを入れた。

「なんで居るんだよっ」
「おお、やっと起きて来たか。ユースケはお寝坊さんじゃのう」
「あ、おはよう御座いますユースケさん。朝ご飯、出来てますよ?」

 何故か広間の食卓に着いているヴォレット。玄関の扉付近にはクレイヴォルの姿もある。そのまま何やかんやと朝食を終えて一息ついた所で、ヴォレットが徐に切り出す。

「さて、今日わらわが訪ねて来た理由だが」

 ヴォレットは王家の紋章が記されている一通の書簡を取り出した。それをスラッと上下に開いて読み上げる。

「此度の功績を称え、我が名において汝に仕官の機会を与える。エスヴォブス・ヴォイラス十八世」
「なんだ、それ?」
「平たく言うと召致書じゃ」

 宮殿に仕える機会を与えようという内容だが、実質『我が国に仕えよ』という意味の込められた召致令状だと言う。要は悠介を召抱えに来たのだ。官僚達の間で悠介の召致が話題になったのは、例の騒動の翌々日。

 当初、サンクアディエットで最も高い建造物となる展望塔を宮殿の正式な承認も無く、しかも中高民区を差し置いて低民区に建てた事が『けしからん』と問題になったらしい。

 塔を建てたのが先日ブルガーデンに渡ったゼシャールド氏所縁の者であるという所も、官僚達が頭を痛める部分であった。悩んだ末、悠介を宮殿衛士に仕官させてフォンクランク国に貢献させる事で、等民制国家の体裁を保とうと考えられた。
 エスヴォブス王が裁定する御前会議で悠介を仕官させる話が決まった時、ヴォレットは自らその役目を買って出たのだ。

「仕立てや調理士にも使いたいが、一番の目当てはお前の塔を建てた神技じゃ」

 今はちょうどブルガーデンとの国境に面した砦の建設計画が進められているので、それに手を貸して欲しいのだと言う。仕官に応じるなら、ルフクの村にも優遇処置をとるという特典つきだ。

「衛士ねぇ……」
「宮殿勤めだから給金も良いぞ? スンに楽な暮らしをさせてやりたいじゃろう?」 

「なんだよ、その落とし文句は……村からは通えないよなぁ」
「流石にココからでは距離があるのう」

 少し考えさせてくれという悠介に、答えを予想していたヴォレットは三日後、返答を持って宮殿に来るようにと言い付ける。

「どっち道行かなくちゃならんのか?」
「うむ。最初に言った通りこれは召致令状じゃからな、来ないと王の命令を無視した事になる」

 士官に応じない事も命令無視に当たるのだが、そこは表現を曖昧にする事で応じずとも罰しなくて済むように、また王が誘いを蹴られた事にならないよう配慮されている。その場合はまた別の形で何らかの貢献を強いられる事になるが、とヴォレットは付け加えた。

「めんどくせー」
「ふふっ まあゆっくり考える事じゃ、良い返事を期待しておるぞ」

 ヴォレットはそう言い残して引き上げていった。


「凄いですよ悠介さん、大出世じゃないですか」
「うーん、やっぱそうなのかなぁ」
「時々帰って来られるみたいですし、いいと思いますよ?」

 スンは仕官の話を概ね肯定的に捉えているようだった。悠介としては、ようやくスンとの生活も軌道? に乗り始めていただけに、勿体無いような急過ぎるような微妙な気持ちだ。
 これは本当にゆっくり考えたほうが良さそうだと、悠介は搾り実ジュースの残りを飲み干して天井を仰ぐのだった。


 翌日、すっかり定番の釣り場となった森を流れる小川の畔で、土をカスタマイズして造ったベンチに座ってオカズを釣り上げている悠介。
そこへ何時ぞやの如く、不意にレイフョルドが現れた。
 何故か仕官の話が来ている事情を知っているレイフョルドは、どうしようかと悩んでいる悠介に『仕官を断ってもフォンクランクへの貢献を強制されるなら、責任や義務と引き換えに立場も貰った方が得策だ』とアドバイスを示す。

「どっち道便利に使われるなら、永続的に報酬や特典があった方がいいでしょ」

 レイフョルドはそう言って悠介に仕官を勧めると、前回同様、突然現われて忽然と姿を消した。


 スンの後押しもあり、レイフョルドのアドバイスにも納得して仕官する事を決めた悠介は、その日の夕食でスンにその事を伝えた。

「分かりました。それなら、明日は早く起こしますね」
「ああ、頼むよ」


 翌日――

 まだ薄暗い早朝、悠介は衣類を纏めた小さな鞄を背負って荷馬車の御者台に乗る。見送りは起こしてくれたスンのみ。宮殿で衛士になれば、暫らくは村にも帰って来られないだろう。
 何か気の利いた別れの挨拶は無いかと頭を捻っていた悠介だったが、結局シンプルに行く事にした。

「行って来ます、スン」
「行ってらっしゃい、ユースケさん」

 朝靄の中、悠介を乗せたゼシャールドの荷馬車は、サンクアディエットに向けてルフクの村を出発した。


 ∽  ∽  ∽  ∽


 衛士隊やゼシャールドのように水技で馬の疲労を回復させながらという走行法が使えない為、何度も休憩を挟みつつ長い街道を走り抜けて、ようやく街に到着した頃にはすっかり日も暮れようとしていた。

「まさか普通に走ったらこんなに掛かるとは……」

 改めて神技の有無による力の差を実感する悠介。とりあえず区画門前広場の衛士隊詰め所から宮殿に連絡して貰い、迎えの馬車で高民区の中心に建つヴォルアンス宮殿まで運ばれる。
 悠介が馬車を降りると、鮮やかな赤いマントを纏う炎神隊を引き連れたヴォレットが待っていた。

「来たか、ユースケ。 決心は付いたのか?」
「ああ、仕官する事にした」
「そうか!」

 嬉しそうに微笑んだヴォレットは直ぐに手続きを済ませようと、用意しておいた契約書類にサインをさせた。

「よしよし、正式な任命は父様への謁見を済まさねばならんから明日以降になるが、当面はこれでよい」

 書類を担当の者に渡したヴォレットは、王女の威厳に満ちた雰囲気を纏って悠介に向き直る。思わず姿勢を正したくなるような気配に、悠介はヴォレットがただの我侭姫に納まらない存在である事を感じ取った。

「我が国に仕官した以上、お前も今日からわらわの国の衛士じゃ」
「あ、ああ……」

「特別扱いするからそのつもりでいろ」
「それは分か……って、するのかよっ」

 悠介が思わずツッコミを入れると、ヴォレットは楽しそうに笑った。

「わらわのお気に入りじゃからな」
「いいのか、それで……」


「そうそう、お前の所属は『(あん)神隊(しんたい)』となるからな。隊と言ってもお前一人じゃが」

 悠介の場合、神技の特定が出来ないという特殊系統な上に、髪の色にも問題があって既存の隊には所属させられないので、悠介用に隊を新設する事になったという。

 四神の宮殿衛士『炎神隊』『水神隊』『土神隊』『風神隊』に次ぐ五つ目の宮殿衛士、黒髪を闇の暦になぞらえた『闇神隊』。

 闇の暦とは一年を五つの(こよみ)と十七の月に分けたカルツィオ暦の内、五番目に当たる特殊な暦の事を指す。炎の暦、水の暦、土の暦、風の暦、闇の暦とあり、炎の暦から風の暦までは、一つの暦に『一月(ひとつき)を二十日』で数えた四つの月で構成される。
 炎の暦なら『ヴォルナーの火月の一日目』から『ヴォルナーの風月の二十日目』までという数え方だ。

 闇の暦は特殊で月が一月分(ひとつきぶん)しか無く、自由祭という御祭りが新年の誕生祭まで続く一年の総決算となる暦だ。

「隊服も直ぐに用意させるからな」


 その後、ヴォレットに案内を命じられた使用人に連れられ、悠介は宮殿上層階の一角にやって来た。大きな窓に面した石畳の広い廊下が奥の方まで続き、壁側には宮殿衛士の隊員に与えられる部屋の扉が等間隔に並んでいる。

 備品の仕様などについて説明を受けていた悠介があまりにも自然体で話し掛けたせいで、うっかり素で喋ってしまった使用人が恥ずかしそうに謝罪したり、『いえいえ此方(こちら)こそ』と頭を下げ返したりと扉の前で恐縮合戦をやっている悠介達に声を掛けて来る者がいた。

「何を騒いでいるんだい? ここは遊戯場じゃないよ」
「え? あっ ヒヴォディル様」

 剣呑な口調で言い放つ炎神隊の隊服を纏った赤毛の青年を、使用人はヒヴォディル様と呼んで畏まる。その様子から、多分偉い人なのだろうと読んだ悠介は軽く会釈してみせた。

「君は……ふんっ そうか、お前が例のオモチャか」
「……?」

 『外せ』と手を払うヒヴォディルに、使用人は戸惑いつつも二人にお辞儀をしてこの場を離れて行った。まだ村服姿の悠介を鼻先でせせら笑うヒヴォディルは、徐に歩み寄ると悠介の髪と瞳を覗き込む。
 その不躾な視線と態度に不快を感じた悠介は、少し眉を顰めながら用件を訊ねた。

「なにか?」
「ふふん、本当に黒いんだな……姫様に気に入られているようだが、調子に乗るなよ」

「はあ?」
「お前のような素性の知れぬ下賎の輩が、栄えある宮殿衛士隊に喚ばれたダケでも不相応な厚遇(こうぐう)だと知ることだな」

 『精々飽きられた後の心配でもしておく事だ』と見下すような哂いを向けられ、むかっ腹が立った悠介は睨み返した。一触即発な雰囲気が漂う中、そんな空気を一蹴するように軽快な声が衛士隊員部屋の並ぶ廊下に響き渡った。

「おお、ユースケ! もう部屋は見たか?」
「……ヴォレット?」
「おおう、姫様。ご機嫌麗しゅう」

 廊下の向こうからヴォレットが手を振りながら走って来た。振り返ったヒヴォディルは(うやうや)しくお辞儀を向ける。息せき切った様子のヴォレットに、悠介は少しだけ違和感を覚えた。

「ヒヴォディルも一緒か、何か話しておったのか?」
「ああ、なんか恫喝された」

 ヴォレットを前に貴族然とした態度で優雅な笑みを浮かべていたヒヴォディルは、思わず目を瞠って固まった。まさかの暴露に一瞬思考が停止する。ヴォレットの表情が訝し気に曇り、ヒヴォディルの方を振り返った。

「き、君には男としてのプライドは無いのか!」
「ああ? プライド云々言うなら影でコソコソ恫喝してくるお前はどうなんだよ」

 真っ向から反論してくる悠介に、ヒヴォディルは益々混乱した。今まで新人衛士やライバル貴族に対して予め警告を示しておく事は何度も行って来たが、こんな対応を返されたのは初めてだ。

「まあまてヒヴォディル。 ユースケも……広場の時と言い、意外に喧嘩早い奴じゃな」

 やれやれと肩を竦めながら宥めるような仕草を向けるヴォレットに、悠介は何だか自分が大人気ない事をしてしまったような気恥ずかしい気分になった。照れ隠しに腕組みをしてソッポを向いてみる。

「ヒヴォディルも、高貴な血筋のお主には気に入らんかもしれんが、あまり事を荒立てんでくれぬか?」
「はっ め、滅相もありません。このヒヴォディル、姫様の婚約者候補を自負する身でありますればっ」

 『婚約者っ?』と思わず目を丸くして振り返る悠介に、ヒヴォディルは優越感たっぷりな笑みを向けた。

「お前、何歳よ?」
「む? さっきから無礼な言葉遣いだな君は。僕は今年で十八になる」

「ヴォレットは?」
「なんじゃ、知らんのか? わらわは十四じゃ」

 女性に歳を訊ねるものでは無いぞ? と注意しながら答えるヴォレット。十四歳と十八歳、中学生と高校生、大人の入り口とも言える歳と大人になりきれない歳。唸る悠介。

「うーーん、微妙だな」
「なにがだ」
「なにがじゃ」

 つくづく奇妙な反応を見せる悠介の言動に興味を引かれ、何時の間にかヒヴォディルはヴォレットと同じ様に、悠介との会話を楽しんでいた。今までの高貴な身分上にある交友関係には見られ無い、全く新しい概念に引き込まれる。
 結局この日は悠介の部屋で三人、夕食に呼ばれる時間まで会話をしながら過ごしたのだった。


 ∽  ∽  ∽  ∽


「ユースケっ 起きておるか! 寝ておるなら今直ぐ起きよ!」
「……ねーかーせーろー……」
「駄目じゃ」
「うー……」

 翌朝、ヴォレットの襲撃で目覚めた悠介は闇神隊の真新しい隊服を受け取って略式の任命式へ赴き、エスヴォブス王から衛士の証である紋章を受け取って正式な宮殿衛士に就任した。

 略式任命式を行う為に集められていた必要最低限の官僚達や各宮殿衛士隊の隊長達からは、どうにも頼りなさげで教養も品格も感じられない田舎者丸出しな悠介の姿に、『これは使い物にならないな』等と評されていたが。

『どうやら、衛士達の噂通りのようですな……』
『うむ、姫様のオモチャなる比喩は当たっていたようだ』

 巨大な塔を一瞬で出現させたという特異な神技の有用性には期待したい所だが、それ以外の使い所は無さそうだと囁きあう。尤も、炎神隊のクレイヴォル隊長だけは、悠介の力を実際に体験しているので、他の隊長達とは違う意味で複雑な表情を向けていた。

 任命式を終えた悠介はヴォレットに連れられて宮殿衛士隊の控え室に向かっていた。闇神隊の新設と悠介の就任は宮殿中に伝えられているので、顔見せも兼ねて宮殿の衛士隊施設を案内してくれるらしい。

「昼過ぎには砦の建設現場に行って貰う事になるからな、とりあえず重要な施設だけ回っておくぞ」
「それはいいけど、お前自ら案内とかしてていいのか?」

「言ったじゃろう? 特別扱いするから、そのつもりでいろと」
「……またヒヴォディルみたいなのに絡まれると面倒なんだけどなぁ」

 ぶつくさ言っている悠介を、ヴォレットは楽しそうにしながら宮殿内を連れまわした。行く先々でヴォレットに向けられる視線と、自分に向けられる視線との温度差にうんざりしつつ、無難に新任の挨拶をして回る悠介。

 そんな調子で憶えておくべき施設を粗方回り、最後に神民衛士隊の控え室にやって来る。宮殿衛士隊の無駄に豪華な控え室と比べると、こちらはシンプルで良く言えば機能的、ぶっちゃけ『何処の酒場だ』といった雰囲気だった。
 闇神隊は悠介一人の隊なので暫らくは部下として神民衛士が付けられる。今後、任務に赴くときはその部下を連れて行動する事になるので、ここから適当に選んで連れて行けという事らしい。

 二人の会話を聞いていた衛士達は黒い隊服を纏った悠介に『あれが新しく設立された闇神隊の衛士か』と物珍しげな視線を向けていたが、部下として下に就く者を選ぶと聞かされて姿勢を正す。
 宮殿衛士隊の任務に駆り出されたとなれば、厳しい仕事なら当然、緩い仕事でも結構な特別手当が付く事を期待できるのだ。是非とも自分を選んで欲しいとアピールの笑顔でやる気を見せる。

 悠介は今回の任務に必要と思われる人員、馬車での移動を補佐する治癒系水技の民と付与系風技の民。帰りが遅くなった場合、灯りが要るので付与系炎技の民。他、連絡係に伝達系風技の民と建設現場に行った経験があるという攻撃系水技の民を選んだ。

 神民衛士隊で指揮官もやっている三十代後半の男性。付与系炎技の民、ヴォーマル。
 同じく神民衛士隊で副官の任に就く二十代後半の男性。攻撃系水技の民、シャイード。
 二十歳代前半の女性衛士。治癒系水技の民、エイシャ。
 同じく女性衛士で十代後半の少女。伝達系風技の民、イフョカ。
 さっき素早く賭博札を隠していた二十代中頃の青年。付与系風技の民、フョンケ。

 以上の五名が、悠介の部下として砦の建設現場に同行する。其々互いに自己紹介を終えた悠介と衛士達は一旦解散し、昼食を済ませたあと馬車乗り場に集合して任務地へ出発する事となった。


「ちゃっちゃと終わらせて早く帰って来い」
「へいへい」

 昼過ぎ――
 ヴォレットに送り出された悠介と部下五名を乗せた衛士隊の馬車は、砦の建設予定地に向けて宮殿を出発した。

 ブルガーデンとの国境に面した平地に建てられる『ギアホーク砦』。建設途中の砦は、ほぼ出来上がっている真ん中部分の建物が石造りの重厚なシルエットで平地に佇み、その両側から木で組まれた足場の掛かる外壁が延びていて、壁沿いには切り出された角石(かくいし)が等間隔に積み上げられている。
 真ん中部分だけでも高さ三十メートル、端から端まで五十メートルくらいはありそうな巨大な建造物だった。


「あ、あれぇ……おかしいな」
「どうした、イフョカ」

 頭に指を当てながらパタパタわたわたと落ち着かない様子で独り言を呟きながら首を傾げていたイフョカに、速度を落とし始めた馬車の御者台からヴォーマルが肩越しに声を掛ける。

「あ、あの……風が、届かないんです」

 砦側にも街側にも連絡がつかないのだとイフョカは困惑気味に答えた。そうこうしている間にも馬車は建築現場の敷地内に入る。整地された地面に木材の切れ端などが散乱し、積み上げられた資材の近くでは、捲れあがった大きな布が風にはためいている。

「……妙だな、静か過ぎる」

 シャイードは自分が居た時の現場と雰囲気が違う事に違和感を感じていた。今ぐらいの陽の高さであれば、足場や敷地内を大勢の作業員が行き来している筈である。砦の入り口前に馬車を着けると、車体を風で包んでいたフョンケが伸びをしながら風技を解いた。

「ふぃ~やれやれ、みんな休憩でもしてるんじゃねーのかい? 実酒の一杯でもやりてぇなあ」
「任務中よ、隊長の前で不謹慎な言動は謹んで」

 真面目なエイシャに注意されて『お~こわ』等と言いながら肩を竦めるフョンケ。

「とにかく降りてみるか、隊長は何か聞いてませんかい?」
「いや、特になにも……ここ、そんなに雰囲気おかしいのか?」

 ヴォーマルを先頭に馬車を降りながら、悠介はシャイードに訊ねてみる。シャイードは自分が居た時は日が沈むまで何かしら作業が行われていたので、こんなに明るいうちから誰の姿も見えないのはやはりおかしいと、警戒を促した。

「わかった、じゃあみんな周囲に――」
――後ろから狙っているぞ!――

 皆に警戒を指示しようとした悠介の耳に、聞き覚えのある声が飛び込んで来た。思わず振り返った先、敷地の入り口付近で掘り返されて盛られた土が連なっている場所に、緑髪で衛士隊の服に似た格好の男が腕を振り上げて立っている姿を見つけた。

 その男の服は不自然に激しくはためき、足元には砂埃が舞い、髪が靡いている。腕を振り上げたその体勢には見覚えがあった。門前広場で対峙した、あのくすんだ緑髪の男が風の刃を放つ時の体勢だ。
 悠介は咄嗟にカスタマイズメニューを開き、足元の土をカスタマイズして防壁を造りだした。防壁の出現と、緑髪の男が風刃を放ったのは殆ど同時だった。ガスンッという土が削られる音がして、防壁の上半分が逆三角形に抉り取られる。

「やべえ! アイツ等『風の団』だ! ブルガーデンの精鋭部隊ですぜ!」
「なんだってこんな所に……っ!」
「そんな……! それじゃあ、ここで作業をしてた人達は……」

 相手(てき)の正体を知ったフョンケとヴォーマルが顔色を変え、エイシャも青褪めた表情で口元を覆う。

「このままじゃ狙い撃ちにされやすぜっ 砦の中に逃げ込みやしょう!」
「わかった! あと、一時的に指揮をヴォーマルに任せる!」


 風刃攻撃を多重防壁で凌ぎながら砦内に逃げ込み、砦の壁に触れてカスタマイズ可能を示すチャイムを確認した悠介は、すぐさまカスタマイズメニューで侵入出来そうな場所を片っ端から塞いでは反映していく。
 侵入路を完全に封鎖し、更に砦を構成する石の強度と神技耐性を上げる事で鉄壁の護りに固めた。

 建築途中とはいえ結構大きいギアホーク砦。イフョカの索敵は屋内だと極端に範囲が狭まるので、封鎖してなお移動できる空間、地下一階と地上二階までの何処かに敵が潜んでいないとも限らない。或いは味方が立て篭もっている可能性もある。

 風技による街への連絡は妨害されているらしく、応援は呼べそうにないが、明日、明後日にもなれば悠介達が帰って来ない事で異変を感じたヴォレット辺りが、衛士隊を差し向けてくれるかもしれない。

 とりあえず、悠介達は近くの部屋に移動して立て篭もり、今後の対策を話し合う事にした。

「とんだ初任務になったなぁ……」


 ∽  ∽  ∽  ∽


 闇神隊が砦に逃げ込む所までは計画の内だったが、完全に立て篭もられてしまう事は想定外だった風の団が、締め出された砦前で『上手くいかんものだ』と溜め息などついている頃。

 ギアホーク砦の一階、右側通路にある一室に身を潜めた六人は、今後の対策を話し合っていた。今居るメンバーでブルガーデンの精鋭と戦うのは無謀でしかない。よって救援が来るまで篭城する事になるのだが、それには先ず食糧や水の確保が必要になる。

「馬車に常備してた分はどうしようもないですから、砦の食糧庫を漁るしかねぇでしょうね」
「水と食糧なら地下に倉庫と井戸があった筈だ。確か、厨房に階段があったと思う」
「じゃあ、先に全員で地下を調べよう」

 砦内を探索する闇神隊メンバー。厨房のある食堂フロアには破壊された椅子やテーブルが転がっており、萎びた料理の残骸らしきモノが床に散乱している。通路にも何箇所か削り取られたような風刃の傷痕が残っていたが、ここは特に酷い有り様だった。

「どうやら食事時を狙われたようですな、ここで大分死んでますぜ」

 ヴォーマルが指摘した通り、食堂に散乱する壊れたテーブルや椅子、床や壁、天井にも風刃痕と共に大量の血痕が付着していた。先程集まっていた部屋では感じられなかった異様な臭いが漂っている。腐った料理の臭いと血の臭気が混じったモノだ。

「地下に死体が投げ込まれてなきゃいいがな」

 フョンケのそんな言葉に、口元を抑えていたイフョカが『ひっ』と肩を震わせる。これだけの規模の砦を建設するなら相当数の作業員が居た筈だ。外なら地面に埋める事で隠せるが、屋内にまったく遺体が見当たらない事を思えば、ありえない事ではない。

「イフョカ、大丈夫か?」
「は、はい……へへいきですから」

 上擦りながらそう答えつつも緊張して肩を強張らせているイフョカに、悠介は『なんでこんな普通っぽい子が衛士なんてやってるんだろう?』と疑問に思うのだった。ともあれ、今は地下を調べる事に集中する。

 鍵付きでガッチリと閉じられていた地下へと下りる通路の床扉をカスタマイズ能力であっさり開く悠介。地下の様子をイフョカが索敵した所、敵と思われる風技の気配を三人ほど確認した。他にも同じ部屋に捕虜らしき気配を二人確認。
 風の団と思われる風技の三人は半分眠っているとの事だった。ヴォーマル達は相手が眠っているならこちらが先手を取る事が出来るとして、攻めるなら今がチャンスだと提案する。

 神技戦ではどうにもならないが、接近できれば武器で何とかなるかもしれないという部下達に、悠介は彼等の持つ護身用の短剣をカスタマイズで強化する事にした。土技で補強された普通の短剣に色々な効果を付与していく。

 カスタマイズ・クリエート能力の基であるゲームのアイテム・カスタマイズ・クリエートシステムだが、衣服やマップアイテム、食糧などのカスタマイズは自由度を表現する為に備わっていたオマケ要素であり、元々は武器や防具のカスタマイズがメインなのだ。
 従って武具の類はかなり幅広く設定できるようになっている。ついでにチート仕様なので威力も強度も上げ放題だ。

 攻撃力、耐久力、神技力、命中力、体力、筋力、俊敏、などの項目を上げられるだけ上げて特殊効果も付与し捲り、この短剣にカスタマイズ出来る限界値まで強化した。そうして装備品で身体能力を底上げするという手があった事に、今更ながら気付く悠介。

『我ながら意外な盲点だった……』

 内心で呟きながらカスタマイズした短剣を攻撃役の三人に渡す。

「っ! ひゅ~、こいつあスゲェ……」
「不思議だ、短剣を握っただけで力が湧いて来るようだ。 身体も軽い」
「武器強化や行動補佐の付与って神技なら分かりますが……武器単品に強化やら補佐効果なんて聞いた事ねぇですぜ」

 ヴォーマルは自分達三人で突入するので、合図したら踏み込んでサポートして欲しいと作戦を告げる。決定権こそ持つものの、素人な悠介はこういった事態の専門家であるヴォーマル達に全て任せて許可を出した。


「あ……あの、終わりました」

 作戦遂行中、ずっと地下の様子を探り続けていたイフョカがピクリと顔を上げて報告すると、悠介に指示を仰ぐ。戦闘の音も響かず、断末魔も上がらず、地下に潜んでいた風の団らしき風技の民は、静かな最期を遂げたようだ。
 一応、段取り通りヴォーマル達からの合図を待って悠介達も地下へと降りる。

「随分あっさり終わったな?」
「いやあ、正直ヤバかったですぜ。この短剣がなきゃこっちがやられてた」

 『右の奥だ』と指し示すヴォーマルに、エイシャが頷いてその倉庫部屋へと入って行く。悠介が疑問符を浮かべると、ヴォーマルは解放した捕虜の治癒を頼んだのだと答えた。やがて奥の倉庫部屋からしくしくと泣く女の声が聞こえて来た。


 ∽  ∽  ∽  ∽


 倉庫部屋には資材などに被せる布に(くる)まった黄髪の女性と青髪の少女が、寄り添いながら座っていた。かなり憔悴した様子で、泣き腫らした目元や頬に残る痣が痛々しい。

 二人の生存者から砦で何があったのかを聞き出し、彼女達の他に生き残りは絶望的という結論が下されたその時、何者かが地下への床扉を開けた事を報せる『仕掛け』の音が響いた。
 悠介は地下に下りる際、床扉の鍵に取り付けられていた仕掛け共々元に戻しておいたのだ。

「ふ、二人……近付いてきます……か、階段の上にも一人……。 !っ こ、こちらも気付かれてます」

 直ぐに索敵を行ったイフョカが、強い風技の波動を感じると声を潜めながら報告する。使用人と給仕の二人がエイシャの腕にしがみ付いて怯え始めた。足音は聞こえないが、確かに近付いて来るような風の気配があった。

 相手は実力者揃いの精鋭団。戦うなら倒すしか無いと部下達に諭され、迷いはあるモノの生き残る為には仕方なしと殲滅を決意した悠介は、とりあえず倉庫部屋の扉を閉じてカスタマイズで補強すると、地下通路に仕掛けを作り始める。

 この部屋の入り口前と階段の下にも落とし穴を作り、同時に穴の真上に当たる天井を細工して吊り天井のような仕掛けを作った。
 天井を支える柱をカスタマイズで消し去る事で落下する仕組みだ。元々地下な為か、床石のカスタマイズだけでは余り深い穴が作れなかったので、天井を落としてトドメを刺す仕掛けにした。


 通路を慎重に進んでいた二人は、扉が閉じられた事で相手が篭城を選んだと判断し、気配を消すことを止めた。相手を精神的に追い詰める方法に切り替えて、声を出しながら扉に近付く。
 二階に潜んで居た彼等は強固な壁に封鎖された砦から外に出られなくなって困っていたのだが、壁越しに指示を受けて悠介達を捜索していたのだ。

「おーい、隠れても無駄だぞお」
「砦の中にはまだ何人も俺たちの仲間が残ってるんだ、諦めて封鎖を解いた方がいいぞ」

 物音などを聞き漏らさないよう、部屋の中の様子を探りながら二人は目配せし合い、扉を挟んで壁際に寄ろうとした所で床が抜けた。二人が落とし穴に落ちた事を確認した悠介は、支柱を消して天井を落とした。肉の潰れる嫌な音と断末魔が響く。

「っ! どうしたのっ! 何があったの! 二人とも返事をして!」

 階段に陣取っていたもう一人が、仲間の悲鳴に声を上げる。『女かっ?』と一瞬迷う悠介だったが、迷っちゃ駄目だという部下の強い視線を受けて覚悟を決めた。カスタマイズで階段の段差を消す。
 いきなり足元の支えを失った彼女は通路まで滑り落ちると、そのまま落とし穴に落下した。そこへ天井の石塊が落ちてきて、悲鳴を上げる間もなく圧し潰されたのだった。


「……大丈夫です、もう……誰も居ないみたいです」

 索敵の報告を受け、悠介は落とし穴を埋めて天井を戻した。潰された三人は砦の下の地面にそのまま埋まっている。実感があるのか無いのか曖昧ではっきりしないが、確かに自分の手で三人の命を奪ったんだなと、鳩尾の辺りが重くなる事を自覚する悠介。
 地下の入り口をエイシャとシャイードに見張らせ、ヴォーマルを先頭にイフョカとフョンケを連れて二階の索敵を行ったが、もう誰も居ないようだった。封鎖した屋上通路への出入り口には、内側から外に出ようと何度か風刃をぶつけたらしい痕跡があった。

『そういやこんな跡も表示されるんだから、上手く使えば敵の現在地とかある程度探れるかもしれないな』


 その後、生存者の二人から聞いた砦で働いていた人たちの死体が投げ込まれたという汚水処理施設のある地下を調べた悠介達は、そこで酷い有り様となった大量の肉塊を確認した。
 あまりに凄惨な光景に二秒と留まって居られず、直ぐに地下を出て出入り口を封鎖した。そして悠介は、表面意識では感じ取れない程の心の奥で、自分が免罪符を得たという事を、無意識下に感じていた。

「外の四人をなんとかしよう」

 ()()の殲滅を告げる悠介。ヴォーマルとフョンケは顔を見合わせ、イフョカも目をぱちくりさせて悠介を見た。


 砦の外で潜伏組からの連絡を待つ風の団団長と部下数名は、先程発せられた砦の中からのモノと思われる風技の伝達について話し合っていた。何かの暗号なのか『行け』というような意味合いの伝達。
 敷地内をうろついていた衛士隊の馬が、その風に反応して繋がれた馬車ごと何処かへ走り去って行った。

「もしかして、(から)の馬車を街へ帰して応援を呼んだ……とかですかね?」
「空で帰す事をそういった意味合いの暗号にしているという事か? うーむ……」
「どちらにせよ、この時刻までフォンクランクの衛士が生きているという事は、潜伏組はしくじった可能性が高い」

 戦果の帳消し覚悟で撤退して帰還するか、どうにかして(おび)き出す作戦を考えるかと、今後の方針に頭を悩ませる団長は、不意に神技の波動を感じて砦を見上げた。

「だ、団長! あれを」
「なんだ……一体」

 砦全体が光のエフェクトに包まれる。これは闇神隊一行が砦内に逃げ込んだ直後にも見られた現象だ。この光の後から急に砦の壁が強固になった。光は砦の真ん中辺りから空に向かって伸びて行き、その先で雲のように広がり始めた。
 光の雲が空一杯に広がった時、光の粒が一面に舞って辺りに暗闇が戻る。そして何かが砕けるような音が響いた後、ヒュウヒュウという風を切るような音が周囲に響き、上空の暗闇がひび割れのように裂けて行く。

 空一杯に広がっていた光の雲は、黒い塊になって降ってきた。その正体に気付いた風の団団員達は、唖然とした表情で呟いた。

「嘘だろ……」

 それが彼等の最期の言葉となった。

 ギアホーク砦の建設現場敷地内全域に、砦の上半分を構成していた角石、凡そ五万二千個が、上空約百メートル付近から一斉に落下して来たのだ。大地を揺るがす衝突音。長さ八十センチ、縦横四十センチ角の角石が雨のように降り注ぐ。

 暫しの後、静けさに包まれる半壊した砦周辺に、呼び戻された衛士隊の馬が引く馬車の音だけが響いていた。


 ∽  ∽  ∽  ∽


 事件から四日後――

 『ギアホーク砦を襲撃したブルガーデンの武装集団、フォンクランク闇神隊の鉄槌により壊滅せり』
 サンクアディエットの街を賑わせている話題はそんなフレーズで配られた号外のような宮殿発表の公布だった。展望塔の建築主でもある宮殿衛士が、たった一人でブルガーデンの精鋭工作部隊を壊滅させた! という触れ込みの噂で連日持ちきりである。

 エスヴォブス王は今回の事件で悠介を英雄の如く称えてその功績と武勲を人々に広く知らしめる事により、砦の虐殺に関する印象を薄める事に成功していた。被害の情報を抑え、戦功で民の憤慨を逸らして開戦の気運が高まらないよう画策したのだ。

 ブルガーデン側は『風の団は独断専行が過ぎるので更迭が決まった状態であり、砦襲撃は我が国の政府の指示によるモノではない』と公式発表し、砦襲撃に関してブルガーデン政府の関与を否定した。これは、精鋭の立場にある団の暴走を認めた事を意味する。


 昼下がりのヴォルアンス宮殿上層階の一室で、ヴォレットは好みの味付けにカスタマイズされた高級ララの実に舌鼓を打ちながら、向かい側に座る悠介に実酒を勧めていた。

「いや、俺はいいよ」
「なんじゃ、酒くらい飲めねば英雄の名が泣くぞ?」

 悠介が英雄のように扱われた事をヴォレットは喜んでいたが、当の本人は胸中複雑な心境だった。砦で過酷な現場を見てきた悠介は、そういう現実にあまり触れた事のないヴォレットとの間に温度差を感じていた。

「英雄て……何人も死んでる中で命からがら生き残っただけだよ」
「おうおう、そこで謙遜するとは中々の大物ぶりを見せ始めたのう」

 何時にも増してはしゃぐヴォレットとは対照的に、悠介の気持ちはどんどん冷めていく。ヴォレットの楽しげな様子を何とも形容し難いもどかしい気分で眺めていた悠介だったが、それが姫君という立場にいる人間の在り方なのだろうと思い直した。

『ま、知る必要なんてないのかもな』

 側近のクレイヴォルが何時も言い聞かせている通り、『高貴な姫君』という存在で居なければならないヴォレットは、下界の、所謂下々の民や末端衛士の事など知る必要は無いのだろう。
 底辺で働く者達の事をよく知り、世の中の仕組みを理解した支配者は理想的だが、彼女が将来の国を統べる王になる訳ではないのだから、次の世代の王となるべく者を迎える『王族の血筋を持つ健康な姫君』で在れば良いのだ。

 そのヴォレットの計らいで今、自分はここに居る。人それぞれに決まった役割があるのなら、ヴォレットは『高貴(ヴォ)姫君(レット)』の役割を果たすだろう。自分は自分の役割を果たせばいい。
 そんな結論に至った悠介は、自分のここでの役割を果たすべく肩の力を抜くと、ララの実を一つ手に取った。

「次はどんな味にしようか、また辛いの行って見るか?」
「ユースケ……?」

 悠介の雰囲気が変わった事を敏感に感じ取ったヴォレットは、訝しげな視線を向けた。じっと、紅い瞳が覗き込むように黒い瞳を見詰める。『どうかしたか?』と微笑みながら小首を傾げて見せる悠介。

「いやじゃ! やめろ!」

 ヴォレットはいきなり叫んで立ち上がると、悠介が差し出していたララの実を払い飛ばした。

「な、なんだよ……?」
「その目はやめろ! わらわをそんな目で見るなっ!  お前までそんな……」

 激昂して燃えるような鋭い視線を向けていたヴォレットの瞳に、じわりと涙が浮かぶ。それを見せまいとするかのように紅いドレスを(ひるがえ)し、ツーテールを揺らして走り去る後ろ姿を、悠介は呆然と見送る事しか出来なかった。




 夕焼け色に染まった雲が流れる空の半分、太陽と反対側の地平線付近には星が見え始めている。

「お前、ほんとに高い所好きだよな」
「……」

 展望塔の最上階まで駆け上がって来た悠介は、端っこで頬杖を付いて遠くを眺めている少女に声を掛けた。紅いドレスの裾がはためき、スカーフが翻り、ツーテールの髪が風に靡く。背後に立ってもこちらを向かないヴォレットに、もう一度声を掛けて肩に触れる。

「こっち向けよ」
「気安く触れるな、無礼者」

 肩に掛けた手を身を捩って払うヴォレットだったが、その辛辣な言葉とは裏腹に全く覇気が感じられ無い。悠介が構わず両肩を掴んで自分の方を向かせると、ヴォレットは俯いたまま顔を合わせようとしなかった。

「顔上げろよ」
「やじゃ」

「上げろって」

 今度は頬を両手で挟んで顔を上げさせる。涙を浮かべた紅い瞳が『無礼者!』と抗議するように一度睨んで見せたが、直ぐにぷいっと目を逸らしてしまう。

「俺の目を見ろ」
「…………」

 恐る恐るといった雰囲気で悠介の瞳を覗き込んだヴォレットは、そこに先程のような『距離(かべ)』が見えない事に安堵した。

「さっきは悪かった」
「え……」

 悠介の謝罪にキョトンとなるヴォレット。悠介は宮殿で自分が考えていた事を話した上で、アレは自分の判断ミスだったと告げる。ヴォレットの事をきちんと考えず、安易な答えを踏んでしまったのだと。

「本当に良い姫、高貴な者になりたいなら、ヴォレットはもっと下界の事も知るべきだと思う」
「ほんとに、ユースケは本当にそう思うのか?」

 悠介の肯定に目を輝かせるヴォレット。他の者達は皆『高貴なる者は、下賎なモノを知るべきではない』と言うが、自分に『世の中の色んな事を知るべきだ』と言ったのはゼシャールドと悠介くらいだと顔を綻ばせる。

「俺自身、人に偉そうな事言えるほど世の中の事も自分の事も分かってないけどな」
「そんなの、わらわも一緒じゃ」

 それならば、共に世界を知り見識を深めて行こうじゃないかと頷きあう。ヴォレットは立場上あまり自由に宮殿の外を動き回る事が出来ないので、代わりに悠介が色んな立場から色々なモノを見聞きして回り、それをヴォレットに話して聞かせる。
 これを以ってヴォレット直属の闇神隊に与えられた特殊任務とし、悠介は宮殿衛士で唯一宮殿外での活動を主とする衛士となった。

「ところでユースケよ」
「ん?」
「今自分が何をしているか理解しておるか?」
「……へ?」

 言われて我に返った悠介は、星の瞬き始めた空の下、展望台の端で涙を浮かべたヴォレットの頬を両手で挟んで顔を寄せているという体勢である事に気付いた。背後の出入り口からコソコソと様子を覗き込んでいる衛士達の気配を感じる。

『やっぱり逢引じゃないか?』
『宮殿だと邪魔が多いからってなぁ』
『えーでも婚約者候補の発表は無かっただろ?』
『なんせ英雄だからなぁ』

 とりあえずヴォレットを解放して離れた悠介は、あらぬ噂をしている彼等の誤解を解くべく初特殊任務を遂行するのだった。


 ∽  ∽  ∽  ∽


 夜明け頃――

 ヴォルアンス宮殿の上層階、宮殿衛士隊宿舎の自室で、悠介は小物を弄っていた。対象が装備品であれば特殊効果の付与が出来るというカスタマイズ能力の特性を活かし、寝巻き代わりの服に回復効果と沈静作用などを付与して快適な睡眠を得られるようになったお陰で、起床時間が早くなった、というより睡眠時間が短くなっていた。
 なのでここ数日の悠介は、夜明け前の静かな時間を使って小物の製作とカスタマイズを行う事を日課にしている。

 給金の晶貨を指輪や腕輪などの形にカスタマイズして装備品にする事で特殊効果を付与し、状況に合わせて使い分けられるよう種類を揃える。付与出来る効果の補正率も、八日前に展望塔前の露店で買った安物の指輪に比べて倍以上の数値を設定出来た。

 この付与能力のお陰で、悠介の宮殿内での生活は概ね静かで平和な日々を維持している。

 悠介達が砦から帰還した翌日には事件の概要が宮殿中に知れ渡っており、『姫様のオモチャ』と比喩される使えない衛士であった筈の闇神隊がブルガーデンの精鋭団を壊滅させたという事実は、各隊の宮殿衛士達に衝撃と動揺を与えた。

 取り分け、悠介の台頭を警戒した姫君(ヴォレット)の婚約者候補達は、偶々幸運が重なったか、同行した部下達が優秀だったのではないか等と邪推を向けて訝しんでいたが、その心中は穏かではなかった。

 尽く戦を避けるエスヴォブス王の政策下では、武勲という手っ取り早く手柄を立てる機会が与えられ無い。
 ブルガーデン側の度重なる挑発に対する報復と、犠牲者の弔いを掲げて開戦を望む声も上がっていたが、報告にあるような詳細不明ながら広範囲の敵を殲滅出来るらしい神技を使う悠介に更なる武勲を立てる機会を与えるダケだと、同調する者は少なかった。

 そんな中、悠介の武勲をどうにか褪せさせられないかと、事件の詳細を明らかにするという名目で悠介の部下達から証言を取っていた婚約者候補組は『ユースケ隊長から賜った』という短剣の超性能に惹き付けられた。

 握っているだけで力が湧き出し、身体が軽くなり、神技力を増幅させるという見た目は普通の短剣。試しにその短剣を装備して神技を使ってみた炎神隊の衛士は、普段より一.五倍近い大きさの火球を生み出す事が出来たのだ。

 彼等は是非その短剣を自分に譲って欲しいと持ち掛けたが、ヴォーマル達は『隊長から直々に賜ったモノなので』と丁重に断ると、後々その事を妬んで睨まれないように『どうしても欲しいのなら隊長に掛け合いましょう』と言ってちゃっかり矛先を逸らした。
 が、実はヴォーマル達とも相談し合って予めこういう事態を想定していた悠介はヴォレットと相談し、クレイヴォルも巻き込んで一計を案じる。展望塔の上り下りに使った四つの指輪を再調整して各宮殿衛士隊長に贈ったのだ。

 『炎技の指輪』、『水技の指輪』、『土技の指輪』、『風技の指輪』という各神技専門に調整された指輪。デザインもそれっぽいモノに変えてあり、其々の神技に特化させてある分、ヴォーマル達の短剣に付与されているモノより増幅率も高い。

 クレイヴォルが指輪を装備して自身の炎技を使って見せた所、通常なら揺らめく炎が槍に巻き付いて燃え盛るのだが、指輪の効果によって炎はまるでソレ自体が槍であるかのような集束を見せ、炎を纏った槍ではなく炎の槍そのモノが出現した。
 その洗練された炎槍(えんそう)に衛士隊の皆が目を奪われる中、悠介とクレイヴォルは予め申し合わせておいた台詞のやり取りを行う。

『是非、私の部下達にも装備を都合して欲しいのだが』
『いいですよ、ただ任務の合間に作業する事になるので、どうしても時間は掛かりますが……』

 このやり取りにより『ユースケが作る装備が欲しくば、ユースケの邪魔をしてはならない』という暗黙の了解が、衛士達の間で成り立った。お陰で宮殿内でも街でも、悠介の機嫌を損ねるようなちょっかいを出して来る者は殆どいない。

 この場合『殆ど』であって、やはり例外も居る。尤も、悠介が機嫌を損ねる程の疲れる手合いでは無いのだが。

「やあ、ユースケ。僕が貰える指輪は出来たかな?」
「まだ。つか副隊長とかが先だろ? 普通」

 衛士食堂に向かう途中、廊下でばったり出くわしたヒヴォディルと並んで歩きながら、悠介は『最低でもあと五十日は待て』と製作に時間が掛かる事をアピールした。一つ作るのに十日程掛かる事にして今の状況を引き延ばしているのだ。

 ヴォレットから懇意にされ、英雄と謳われる実力を持ち、既に各四神隊長とも同格の扱いである闇神隊長。殆どの宮殿衛士達が悠介と交流を持つ事に躊躇う中、ある種最悪な出会い方をしたヒヴォディルは積極的に関わりを持とうとする一人である。

 彼は彼なりに、自分の背負う名門の血筋という看板と、それ見合った実力が足りない事にコンプレックスを抱えており、純粋な神技力が足りないのであれば、他の何かで補うしかあるまいと駆引きや貴族然とした在り方等で身を立てて来た。
 そんな彼にとって、悠介との交流は唯一、駆引きや名家の家督である事を意識せずに話し、振舞える時間であった。

「ま、僕に相応しい最高の装備を期待してるよ」
「あれ、飯食わないのか?」

 食堂を通り過ぎていくヒヴォディルに悠介が訪い掛けると『朝は実家で摂る事になっているのさ』などと言いながら背中越しに振り返りつつ軽く上げた片手をひらりと一振り、キラーンと歯でも光らせそうな雰囲気で笑みを向ける。
 そして前から来たワゴンを運ぶ給仕さんに撥ねられ掛けた。

「き、君ぃ! 気をつけたまえよっ 膝がっ膝が」
「あわわっ も、申し訳ありません! 大丈夫ですか」

「うむ、意外に面白いヤツだ」


 悠介の宮殿生活は概ねこんな感じに過ぎていくのだった。



cont_access.php?citi_cont_id=978016207&s

+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ