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THE NEW GATE 作者:風波しのぎ

『第一巻・終わりと始まり(書籍化該当部分)』

1/49

【1】

 異界の門・最深部【THE NEW GATE】

 そこで二つの影が対峙していた。

 一つはモンスターの影。
 門を守るモンスター(ゲートキーパー)の名は【オリジン】
 VRMMORPG【THE NEW GATE】の最後にして、最強のモンスター。
 竜人型モンスターであり、人の体に竜の頭、羽、尾を足した姿をしている。
 全長およそ20m。その瞳は蒼穹のごとく蒼く染まり、額の角と全身を覆う鱗は金色に輝く。鍛え抜かれた武人のような体躯を覆うのはこれまた金色の鎧。その手に持った装飾の一切ない槍も金色。
 ともすれば醜悪ともとられかねないカラーリングだが、その体躯と圧倒的な威圧感から神々しさを感じることはあれど、嫌悪を抱くことはない。
 神獣と言っても過言ではない、まさに最強の名を持つにふさわしいモンスターといえる。

 もう一つは人の影。
 男の名は【シン】 本名:桐谷進也(きりたにしんや)
 VRMMORPG【THE NEW GATE】の中でも最古参にしてトップクラスの戦闘能力を持つプレイヤーの一人。
 身長は180cmを少し超える程度。どちらかというとすらりとした体格をしている。
 黒髪黒眼。端整とも醜悪ともいえない凡庸な顔からはオリジンを前にしているにもかかわらず緊張している様子は微塵も感じられない。
 首には黒い生地に赤いラインがジグザグに入った薄いマフラー。着ているのは同じく赤いラインの入った黒いロングコートとズボン。腕と足には深紅の手甲と具足を装備しているが、それ以外は防具らしい防具をつけていない。
 武器は右手に持っている黒い刀のみ。柄も鍔も刀身も黒い刀だが刃の部分のみ紅玉を摺り込んだように薄っすらと紅く煌めいている。

 シンが一歩を踏み出す。それに応じてオリジンも武器を構えた。
 手足以外は防具らしい防具をつけていないシンに対して、オリジンは全身鎧に槍と完全武装。はたから見れば無謀極まりない光景だ。オリジンの槍の一振りでシンが肉塊になる未来しか想像できない。

 シンがさらに一歩踏み出したところで、オリジンが槍による一撃を放った。その巨体からは想像もできない速度で繰り出される一撃は槍の大きさと相まって壁が迫ってきたようにも見えた。
 槍の一撃が石畳の床を穿つ。槍の突き刺さった場所は石畳が吹き飛んだだけでなく、下の地面まで大きく抉っていた。

 しかし、そこにシンの姿はない。

 シンはオリジンの足元にいた。
 攻撃の一瞬前、補助系武芸スキル【心眼】によって攻撃位置を予測し、さらに移動系武芸スキル【縮地】によって高速移動したのだ。

 自身の姿を見失ったオリジンの右足めがけ、シンは刀術系武芸スキル【弧月閃】を発動させる。
 スキルの発動とともに刀の刃にあたる部分が紅く輝きだす。刀の切れ味と攻撃速度がこの瞬間のみ1.5倍に増幅された刃を踏み込んだ勢いそのままに全力で叩きつけた。

「シッ!」

 気合一閃。
 鮮やかな紅い軌跡を残し、刃はオリジンの右足を覆っていた具足を両断した。
 斬撃はそのまま右足の半ば近くまでを断ち切り、流れ出した鮮血が金色の鱗を赤く染める。
 オリジンのHPゲージが1/50ほど減少する。最強モンスターに一撃で与えるダメージとしては驚くほど多い。


「■■■■■■■■■■■■■■――ッ!!」


 足を襲った痛みにオリジンが悲鳴を上げる。
 金属を擦り合わせたような甲高い声が部屋全体に響く。【心眼】による攻撃予測に即座に反応し、シンはその場から素早くかつ大きく飛び退いた。限界まで強化された脚力がシンの体を残像が残るほどの速度で移動させる。

 シンが移動した直後、残像を押しつぶすように槍の石突きが叩きつけられる。先ほどよりも威力は弱かったのだろう、砕けた石畳はさっきより少ない。それでも尋常な威力ではないことは言うまでもないことだが。

「速い。さすがラスボス」

 恐るべき槍の威力を見てもなお、感心するだけの余裕を見せるシン。最後の門の守り手(ゲートキーパー)、相手にとって不足なしと一層気合を込める。

 余裕のあるシンだが、それは決して油断ではない。

 視界の端にうつるHPゲージがなくなれば自分は死ぬ。それを理解してなお、シンはここへやってきた。

 デスゲームと化した【THE NEW GATE】をクリアするためにシンは今ここにいる。

 ともに戦う戦友はいなかったが、支えてくれた人はいた。
 シンが身に纏う装備のほとんどは自前で、もらったアイテムもボス戦では効果がないようなものばかりだったが、それでも自分にできるすべてだと仲間たちから託された。

 家族に会いたいと泣いた少女がいた。兄を失って途方に暮れていた少年がいた。負けてたまるかと逆境に挑む男がいた。困っている人を助けようと走り回っていた女がいた。
 誰もかれもが足掻いて、諦めて、挑んで、消えて、そして戦っていた。

 囚われた期間は一年。長いのか短いのか、シンにはわからない。

 今、シンの胸中を満たす言葉は一つ。

 『勝つ』

 ただそれのみ。

 オリジンを倒し、自分を支え、背中を押してくれた人たちをゲームから解放する。

 なればこそ、

「その首、俺が貰い受ける!!」

 こちらを睨むオリジンに向かって、シンは再度刀を構えた。

「おおおおおおおおっ!!」

 裂帛の気合とともに放たれた斬撃がオリジンの片翼を付け根から断ち切った。

 刀術系武芸スキル【破山】

 動作は上段からの唐竹割り。
 そして、その威力は山をも断つという名の通り、自分より体躯の大きい敵に対してダメージ2.5倍という破格の上昇率を誇る。

 翼を断ち切られたオリジンは蓄積されたダメージによってついに膝をついた。その隙をスキル使用後の硬直時間にあてることで自身の隙を突かれないようにする。

 オリジンの全身を覆っていた鎧はいまやいたるところが砕け、ひびが入っている。
 片翼だけでなく左腕も断ち切られ、黄金の角も先端が欠けている。
 HPゲージは残りわずか、【破山】を頭部に打ち込めれば削りきれるほど。

「はぁ、はぁ、はぁ」

 満身創痍に近いオリジンだったがそれと戦っていたシンも無傷ではない。装備が砕けたり、ひびが入ったりはしていないが、オリジンの巨体から繰り出される攻撃をかわし、弾き、時には受け止めてきたためHPゲージこそ安全圏でも精神的な疲れだけ隠せなかった。

「はぁ、はぁ、すぅぅぅっはぁぁぁぁ……」

 乱れていた呼吸を整える。
 【破山】ならあと一撃だがこの技は一度使用すると次に使用できるようになるまでの待機時間が長い。全スキル中一、二を争うほどだ。この戦闘ではもう使えない。

(大技を易々とくらってくれる相手でもないしな。たかがスキル一つ、気にすることじゃない)

 ダメージの高い技は【破山】だけではない。質が足りないのならば、量で補えばいいのだ。

「焦るなよ、俺」

 オリジンのHPゲージは残り少ないがゼロではない。あと少しと気を抜いた瞬間にやられたのでは情けないにもほどがある。

 こちらを見るオリジンの瞳はまだ戦意を失っていない。グラフィックであるはずなのに、シンはそう感じた。

 直後、抑揚のない女性の声がシンの耳に届いた。

――――【生存本能】発動:攻撃力、速度が上昇
――――【黄金の波動】発動:HP、欠損部位、破損装備が徐々に回復

 自動発動(オート)スキル【分析(アナライズ)(テン)】が発動し、オリジンの能力が強化されたことをシンに知らせた。

 それと同時にオリジンのHPゲージが僅かずつだが回復し始める。切り落とされた腕と翼の付け根を金色の光が覆いそれが少しずつ外側に動き、腕や翼が再生されていく。

 このまま放置しておけば、また元の状態に戻るだろう。
 当然、それを放置するシンではない。

 【分析(アナライズ)(テン)】によって情報を得たと同時に【縮地】を発動させ、いまだ膝をつくオリジンに肉薄する。

「■■■■■■ーーッ!!」

 シンの動きに反応し、オリジンは咆哮とともに右手に持った槍で薙ぎ払いをしかけてきた。
 ゴウッ!! という風切り音を纏った槍がシンに迫る。

 シンはすかさず刀術系武芸スキル【白刃流し】と無手系武芸スキル【鋼弾き】を発動する。
 身体の重心を落とし【白刃流し】によって刀で槍を受け止めつつ、刃の上を滑らせながら力の向く方向をずらす。さらに【鋼弾き】によってダメージ軽減しその一部を反射する光を纏った左腕を刀の峰に添え受け流しきれない槍の威力を軽減する。
 火花を散らしながら凄まじい勢いで刃の上を槍が滑っていく。直撃しているわけでもないのに身体が槍に持って行かれそうになるが、スキルの効果と自身の体術を駆使して耐え凌ぐ。
 しかし、【生存本能】によって強化された攻撃はスキルの多重使用をもってしても完全に受け流すことはできず、シンのHPゲージが僅かに削られた。

「ふっ!」

 ダメージを負いつつも受け流した槍が刃を離れる瞬間、シンは腰を落としていた体勢から体を上に伸ばし槍の進む方向に力を上乗せする。
 それによって槍はオリジンが意図していた速度を超えて振られることになり、つられてオリジンの体勢が崩れた。

 シンは即座に刀術系武芸スキル【月光斬舞】を発動させる。月光のごとき銀色の光が黒い刀身を包みこみ、銀色の刃を形成。刀身の長さが一時的に2mほどに伸長された。

「せぇぇぇあぁぁぁぁ!!」

 がら空きになったオリジンの胴体に銀色の光刃が叩きつけられる。

 一つ!

 二つ!

 三つ!

 残像を残すほどの速度で光刃が振るわれるたび、空中に銀色の軌跡が描かれる。三度目の斬撃で与えたダメージが【黄金の波動】によって回復した分のHPを削りきる。

 四つ!

 五つ!

 六つ!

 七つ!

 八つ!

 九つ!

 十!!

 続いて放たれた七つの斬撃がオリジンのHPゲージを一気に削り取っていく。

 十の軌跡を描いたところで刃から光が消え、スキルが終了したことをシンに伝える。

 【月光斬舞】は十連撃を繰り出すとともに攻撃速度と範囲を増幅するスキル。攻撃速度は1.3倍、範囲はおよそ2倍。一撃が与えるダメージこそ上がらないが、その攻撃範囲と手数によって与えられる総合的なダメージ量は単純な威力強化スキルよりも多い。

 シンのSTRと武器の攻撃力をもってすれば【破山】に及ばずともそれに近いダメージを与えることができる。

 事実、【月光斬舞】による怒濤の十連撃によってオリジンのHPゲージは2mmほどしか残っていない。

「しとめる!!」

 【月光斬舞】のダメージによって倒れこむオリジンの体をシンは駆け上がる。この間にも僅かにオリジンのHPゲージは回復するがシンはまだ間に合うと判断した。

 最後の足掻きかオリジンは右手に持っていた槍を手放し、裏拳を放った。それをジャンプで飛び越え、空中で刀を上段に構える。

 倒れゆくオリジンと目があう。今まさにとどめを刺されようとしているにもかかわらず、その瞳に怒りはなく、穏やかに凪いでいる。なぜかシンはそう感じた。

 しかし、たとえその瞳に敵意を感じなくとも、刃に込める力は微塵も緩むことはない。

 勝つと決めた、その心は揺るがない。

「おわりだ!」

 シンはその言葉とともに、黒い刃をオリジンの額に振り下ろした。



 ◆◆◆◆◆◆



――――『門の守り手(ゲートキーパー)【オリジン】を撃破しました。これによりボス撃破ボーナスが与えられます』
――――『称号【臨界者】【到達者】【解放者】を入手しました』
――――『スキル【冥王の波動】【集束波動】【拡散波動】を会得しました』
――――『アイテム:【守護者の亡骸】【守護者の魂】【守護者の心】を入手しました』


 アナウンスの声を聞きながら、シンはその場にたたずんでいた。

 光が満ちていた。

 オリジンの体は光となって拡散し、黄金の光が部屋を満たした。
 光は数瞬で輝きを失い、後にはいたるところが傷つきボロボロになった部屋と傷一つない門とシンが残された。

 光が消えると同時に再度アナウンスが流れた。

『異界の門・最深部の門の守り手(ゲートキーパー)【オリジン】が倒され、ダンジョンがクリアされました』

 それはシンの勝利を仲間達に伝え。

『これによりすべてのプレイヤーのログアウトが可能になりました』

 THE NEW GATE内で戦っていたすべてのプレイヤーにゲームからの解放を知らせた。

「終わった……」

 そう、終わった。
 一年間、とらわれていたデスゲームが今、終わったのだ。
 念のためメニュー画面を呼び出すと並んだ項目の一番下に【ログアウト】のコマンドがたしかにあった。
 ためしにフレンドリストを開いてみると今この瞬間にもプレイヤーの名前の横にある【オンライン】という表示が【オフライン】へと変わっていく。
 皆、無事ログアウトできているようだ。

「約束、守ったぜ。なあ、マリノ」

 達成感が胸に満ちる。
 この世界に散っていった彼女はほめてくれるだろうか。

 そんなことを思った。

「さて! 他のプレイヤーがログアウトしきるまで待つとするかね」

 辛気臭いのはやめだ、と思考を切り替えたシンはその場に腰を下ろす。
 自分は皆の帰還を見届けてからログアウトするとシンは決めていたのだ。

 シンはアイテムボックスから生存者(サバイバーズ)リストを取り出し、羊皮紙のように丸まったそれを静かに広げた。このリストは生存しているプレイヤーの名前をリアルタイムで表示してくれるアイテムだ。
 全員の帰還を見届けてからログアウトするというシンの意思を汲んだ仲間の錬金術師が7日間徹夜してまで作成した物だ。プレイヤーが死亡、もしくはログアウトするとリストから名前が消えるようになっているらしい。
 シンは仲間の錬金術師に感謝しつつ、そこからプレイヤーの名前が消えていくのをしばしの間眺め続けた。

 時間にして、およそ3分程度。ついにリストに表示されている名前が【シン】のみになった。

「俺で最後か」

 ふとそんな言葉が漏れた。

 戦っているときはただただ前だけを見ていたが、こうして終わってみると何とも感慨深いものだった。

 ログアウトすればもうここに戻ってくることはないだろう。デスゲーム化などという事態を引き起こしたゲームが引き続き運営されるなど、どう考えてもありえない。

(最後がこんなことになっちまったわけだが、これを除けばずいぶんと楽しませてくれたよな)

 シンにしてみればTHE NEW GATEをプレイしていた期間は今までの人生の実に1/3を占める。良くも悪くも、長い時間をこのゲームとともに過ごしてきたのだ。

「じゃあな、THE NEW GATE」

 別れの言葉を呟き、シンがログアウトしようとしたその時、目の前の扉がギィッという音をたてた。

「ん?」

 扉の方に気を取られ、ログアウトの文字に触れようとしていた指が止まる。

 きらびやかな装飾の施された重厚な扉が、音を立ててゆっくりと開いていく。開いた部分からは強い光が差し込み、扉の先がどうなっているのかシンのいる方からは確認できない。

「なんだ? もうイベントはないはずじゃ……」

 困惑するシン。
 そんなシンをよそに、扉は開き続け溢れ出す光は部屋を白一色に染めていく。

「なにか、おかしい」

 異変を感じ、シンの伸ばした指がログアウトの文字に触れるより一瞬早く、部屋を光が満たした。
 その光にのまれるように、シンの意識はそこで途切れた。


 最初に感じたのは風だった。
 温かな風が肌の上を流れていくのをシンはぼんやりとした意識の中で感じ取った。
 次いで背中に触れる硬い感触と鼻をくすぐるほのかに甘いにおい。
 視界が暗いのは目を閉じているからか。

「ん……」

 体を起こしながら目を開く。
 視界に広がるのは一面の草原と点在する雑木林。
 シンが寝ていた場所には白とピンクの花が咲き誇っていた。シンを中心に直径およそ3m。先ほどシンの鼻をくすぐったにおいはこの花のにおいだったようだ。

「ここは……」

 自分はなぜこんなところにいるんだという疑問を解消するべく、頭を働かせる。

(今日は異界の門の最深部でボスモンスターのオリジンと戦って、勝った。そう、俺はTHE NEW GATEをクリアしたんだ。それでログアウトが可能になって皆が解放されて最後に俺が残って……)

 だんだんと意識がはっきりしてくる。
 シンが最後に見た光景、それは、

「門が……開いた?」

 そう、最後のボスモンスター【オリジン】を倒したことでログアウトが可能になり、自身もログアウトしようとした矢先に閉ざされていた門が開いて、そこで意識を失ったのだ。

「なんだったんだ、あれ。それにここは」

 改めて周囲を見回しても、見えるのは一面の草原と雑木林だけ。他には何も発見できない。

「もしかして、まだゲームの中にいるのか?」

 シンは最後に伸ばした指がログアウトの文字に触れたかどうか、わからない。あれは何かのイベントで自分はログアウトしていないだけなのではないかと思い、ものはためしとメニュー画面を呼び出してみる。

「……おいおい」

 目の前に並ぶのは半透明の画面とそこに並ぶ項目。まごうことなきTHE NEW GATEのメニュー画面だった。

「なんだ、まだゲーム内だったのか」

 ああびっくりした、シンがそう思いながらメニュー画面にむけていた視線を下ろしていく。
 そこにはログアウトの文字が――

「…………ない」

 なかった。
 所持金とヘルプの間にあるはずのログアウトの文字がどこにもない。オリジンを倒したときに確認した際には確かにあったはずの五文字が消滅している。

「おいおいおい嘘だろ!?」

 メニュー画面内の項目を片っ端から開いて確認するが、やはりどこにもログアウトの文字は発見できない。
 まるで、デスゲームのときのような。

「っ!! そうだ、他の奴らは!」

 自分以外に誰かいないか。その可能性に思いいたったシンはアイテムボックスから生存者(サバイバーズ)リストを取り出し開いた。他にも取り残されたプレイヤーがいればリストに表示されるはずだ。

「なんだ……これ」

 リストにあった名前は【シン】のみ、だがその下の空白部分には、

――――『ネットワークに接続できないため表示できません』

 というメッセージが浮かんでいた。

 生存者サバイバーズリストはアイテムを使用したアバターを経由してTHE NEW GATE内のネットワークにアクセスし、生存しているプレイヤーを確認すると仲間の錬金術師は言っていた。
 そこから考えると今現在、シンのアバターはTHE NEW GATEのシステムから切り離されているということになる。

「ネットワークに接続できない。ならなんで俺はアバターを動かせる?」

 ログアウトしていないのにシステムから切り離される。そんなことがあるのだろうか。そんな事態になればシンは自身のアバターを動かすこともできなくなる。シンはVR技術に詳しいわけではないがとにかくTHE NEW GATEはそういう仕様だ。普通に考えて、ネットワークからの切断とアバター操作が可能なことは矛盾している。

「わからん、どうなってるんだ」

 先ほどまでの安堵感が一気に抜けて、再度地面に寝転がるシン。
 立ち上がる気になれず、頭だけは働かせていたがいくら考えても答えがわからない。

(だめだな、こういうときはいったん頭をからっぽにする)

 これは頭がゴチャゴチャした時のシンなりの落ち着き方だ。わからないときはいったんすべて手放して、考えを再構築する。

 一つ、ネットワークに接続できない。
 二つ、アバターは操作可能。
 三つ、上記の二点は両立できない。

 一つ目は生存者サバイバーズリストのプログラムとリストに表示されたメッセージから確認できる。
 二つ目のアバター操作を行うにはネットワークへの接続が不可欠というのも事実。実際にシステムの不具合でネットワーク接続が切れた経験を持つプレイヤーが、アバターが動かなくなったと言っていたのでこれも間違いない。
 三つ目はわざわざ確かめる必要もない。

 では両立できるようにするにはどうすればいいか、シンの考えはこうだ。

 生存者サバイバーズリストに不具合が起きていて実際にはネットワークと接続できているという可能性。これは起こっていてもおかしくない。
 次にネットワークと接続できていないがアバターが操作可能になっている可能性。実際問題シンは既に自身のアバターを動かしているので否定はできない。

「あと考えられるとしたら、あれだな、ファンタジーだ」

 真面目に考えを巡らせていた時、ふと頭をよぎった考えについ苦笑してしまう。

 シンは生粋のネットゲーマー。友人からはネトゲ廃人と呼ばれるたぐいの人間だ。そして同時にアニメや漫画、ライトノベルにネット小説などにも食指を伸ばしている。
 既に定番となっていたログアウト不可のデスゲームものの小説も読んだことがある。実際体験してみると小説とそっくりなことが起こったりして驚いたものだ。そして、それとは別にゲームとそっくりな世界に来てしまうという設定の小説も多く見かけた。
 理由は様々だが、シンが読んだ小説でステータスが維持されたままゲームの世界に来てしまうというものが多かった。

 ついさっきシンの頭をよぎったのもそれだ。今いる場所はゲームではなく本物のTHE NEW GATEの世界なのではないかという考えが唐突に浮かんだのだ。
 ネットワークに接続できないのも、それでいてアバターを動かせるのも、それで説明がついてしまう。

 まさかな、と思いながらシンはいったん思考を切り上げ、空を見上げた。視界いっぱいに青空が広がり、小さな雲がゆっくりと流れていく。
 視界の端には草原に点在する林の先端が見えた。そちらに視線を向ければ葉の一枚一枚までくっきりと見ることができる。

「…………」

 見える。はっきり見える。くっきり見える。


 見えすぎる(・・・・・)


 ゲームで見るよりもはっきりと見える。それこそ本物(・・)のように。

 VRヴァーチャル・リアリティ技術が発達したことで、たしかに本物そっくりな世界を構築可能になった。視覚、聴覚に限らず触覚、嗅覚、味覚に至るまで再現可能だ。
 しかし、しかしだ。いくら再現可能といってもそれはまだ『そっくり』の段階だ。本物を見たことがあればはっきりとそれが作られた偽物なのだとわかる再現度でしかない。あくまで綺麗なグラフィックなのだ。

 だが、シンの目にうつる雲の動き、葉の色つや、野に咲く花の輪郭、そのすべてが本物にしか見えない。

「…………」

 シンはゆっくりと自身の手を顔の前にかざした。ゲームでは存在しなかった皺や指紋がある。

「本物……なのか」

 一度気づいてしまうとあとは芋づる式に理解してしまう。目の前の光景も、葉のこすれる音も、風が肌をなでる感触も、鼻をくすぐる匂いもすべてがゲームをしているときに感じていたものとは違うということを。

「デスゲームの次は、異世界トリップって……」

 VRMMOプレイヤーの都市伝説を二つ続けて体験することになったシン。
 人によっては喜ばしい状況なのかもしれないが、できれば時間を空けてほしかったなとかなりずれた感想を抱いてしまうのは冷静なのが表面だけだという証明だった。

「あーーー……なんだってんだよ~~」

 だらけた声をあげながらその場でごろごろと転がる。
 オリジンと戦っていた時の勇ましい姿はどこへやらである。
 オリジンと戦った疲れに加え、ログアウトできると思ったところからまさかの異世界トリップで体はともかく精神が休息を求めているのだ。
 一言でいえばだるいのである。
 少々燃え尽き症候群も入っているのでしばらくダラダラしていたいという気持ちがシンの胸中を満たしている。

「あ~~~……はぁ……」

 しばらく幼児退行でもしたかのようにごろごろしては停止するという動作をエンドレスで繰り返していたシン。思考することを放棄して僅かとはいえダラダラしたことが休息になったのか、さきほどより幾分かましになった倦怠感の中、思考を再開する。

 現状はわからないことだらけ。周囲には人っ子一人いないので情報収集もままならない。まだ少し重く感じる体を起こしつつ、これからどうするか考えることにした。

(とにかく、情報が足りないな。とりあえずメニュー画面はでるからステータスやアイテムを確認して、それから人がいそうな場所を探すか)

 メニュー画面を呼び出し、ステータス画面を表示する。
 画面の左半分にはシンの分身たるアバターが立体表示され、右側に【能力値】【装備】【称号】【スキル】などの項目が並ぶ。

 立体表示されたアバターは黒髪黒眼、やや鋭い目つきをしていること以外特徴のない、どこにでもいそうな平凡な顔をした青年の姿をしていた。このアバターはシンの顔、体格をそのまま反映してあるので180cmの身長がありながら少々ひょろいという印象を受ける。リアルでも運動部の友人からもっと体を鍛えろとさんざん言われたものだ。

 【装備】を確認するとオリジンと戦った時と多少変わっており、マフラーと手甲、具足は装備されていなかった。装備されていたのは赤いラインの入った黒のロングコート【冥王のロングコート】にコートとセットになっているズボン、そしてアクセサリだ。
 武器の欄には【真月】の文字。自慢の愛刀は健在のようだった。
 装備の在庫を確認するとはずされていた装備以外にもここへ来る前に持っていた装備がそのまま残っていた。アイテムや所持金を確認した時も同じだったので、持ち物については問題なさそうだ。

 次に【能力値】。
 元のままだとしたらLUC以外のステータスが9の文字で埋め尽くされているはずだ。弱体化していないことを祈りつつ画面を開く。


 名前:SIN 
 性別:男
 種族:ハイヒューマン
 LV:255
 JOB:侍
 HP:22832
 MP:21349
 STR:2225
 VIT :2017
 DEX:2170
 AGI :2236
 INT :2032
 LUC:  36


「…………いやいやいや」

 画面から目を離し、しばし遠くを見てから画面に目を戻すシン。
 そんなことをしたところで目の前にある表示に変化があるはずもない。

「いやまて、ちょっとまて!」

 またもや画面から目を離し、遠くを見つめる。さらに目をこすってから視界がぼやけていないことを確認してから画面に視線を戻す。
 まるで信じられないものを見たときの漫画の一コマのようである。

「……見間違いじゃない……か」

 結局、三度見直してシンはようやくそれ(・・)が見間違いでないことを認めた。
 理由は簡単。その能力値がLUCを除いて、かつての自分のものとかけ離れていたからである。

 VRMMORPG【THE NEW GATE】は他のVRMMORPGと違い多大な時間をかけることでLUC以外のすべてのステータスを上限まで上げることができる。

 クローズドβからプレイしているシンはその圧倒的なプレイ時間と計算された高効率の狩り、さらに度重なる転生で自身のアバターのステータスを上限まで上げきった唯一のプレイヤーだ(カンスト一歩手前まで到達したプレイヤーは他にもいたが)。

 故にシンの各ステータスは軒並みカンストしておりHP、MPが9999、STR、VIT、DEX、AGI、INTが999、LUCのみ36だった。LUCが低いのはLUCの上限が99なのとアバター作成時に決定した値から変更(上げることも下げることも)できないからだ。だが今のシンのステータスは上限値だった999の2倍以上の数値を表示していた。

「ゲームの仕様……ぶっちぎりすぎだろ……」

 もはやあきれるしかなかった。

 数値が大きすぎて、今の自分の強さというものが全く分からない。

「…………さすがに驚き疲れてきたな……」

 さっきから驚いてばかりで今の自分はさぞ滑稽なのだろうなと自虐してしまいそうになる。
 とはいえ画面とにらめっこし続けるのも不毛なので、とりあえず他の項目の確認にうつることにした。

(初めて見るものがあるな)

  一通り確認してわかったことは称号とスキルに新しいものが加わっているということだ。

 称号には【臨界者】【到達者】【解放者】が、スキルには【冥王の波動】【集束波動】【拡散波動】が加わっていた。

 オリジンを倒した時に聞こえていたはずだが、すっかり忘れていたシンである。

 どんな効果があるのか知るため、シンは称号の一覧から新たに加わった三つを選択する。

【臨界者】
・その力、限界を超える。
 全ステータス上限解放。解放前に切り捨てられた数値がある場合、その分ステータスが上昇する。

【到達者】
・輪廻の果てに至りし者に祝福を。
 称号を獲得した時点におけるすべての能力値を2倍にする。

【解放者】
・あなたは捕らわれし人々の希望となる。
 拘束、隷属などの行動を制限、禁止する魔法、罠、アイテム等の効果を無効化する。

「……………なんだこれ」

 得た称号はどれも仕様外のものばかりだった。ほぼすべての称号を知っているシンでさえ、こんなゲームバランスを崩壊させるような効果を持った称号は知らない。

 ステータスアップの謎が解けたのはいいが、これではほとんどチートである。
 レア装備を持っているとか最初から高レベルとかいう次元ではない。だというのにLUCのみ元のまま(ゲームの設定通り)なのは何かの嫌がらせだろうか。

「MMOからの異世界トリップ物は大概チートだが……これはやりすぎ感があるなぁ」

 もともとのステータスですら公式チートと言われていたシンである。THE NEW GATE内で最高のLV.255のパーティー(十二人組、転生0回)を相手に一人無双したときなど全員が散り際に「このチートめ~!!」といったほどだ。
 何十回と転生をしたカンストに手が届きかけているような廃プレイヤー相手にはさすがに無双はできないが、それでも四対一くらいまでなら互角に戦えた。そもそもシンとまともに打ち合えるプレイヤー自体稀だったが。

 そのステータスがさらに強化されているのだ、即死でもさせられない限り対人戦で負けることはないだろう。

 この称号が広く出回っていないことを祈るシンだった。





 ◆◆◆◆





 その後、シンは称号の他、各種スキルや魔法を一通り確認し、いくつか実際に発動して効果のほどを検証してみた。幸い周りには壊して困るようなものもなかったのである程度強力なスキルや魔法も試すことができた。

 大きなクレーターを量産したことでわかったことは武芸スキルを使用した際に発生する硬直時間や再使用までの待機時間がなくなっていることや魔法の威力調節ができることなど。

 今まではリアリティがあったとはいえゲームの世界だったので武芸スキルを使用した後の硬直時間や再使用までの待機時間を当然と考えていたが、現実ならそんなものあるはずがないので助かった。だからといって武芸スキルを使えば予備動作なしで技が繰り出せるわけではないが。

 ゲーム特有の不自然さがなくなった反面、腱を痛めるとか、関節が外れるといった細かい怪我まで考えずに動くことができなくもなった。これも現実なら当然のことだ。なにせ今シンがいるのはゲームの世界ではない。敵の攻撃を受ければHPゲージが減るだけでは済まないのだ。しっかり考えて動かないといざというとき行動できなくなる危険性がある。

 シンはここはゲームではないが現実なんだとあらためて自分に言い聞かせた。

 以前は現実世界とゲームの世界の違いに戸惑ったが、今度はゲームの世界と現実の世界の違いに戸惑っている。そんな自分を感じながら、シンは仮想現実であるTHE NEW GATEの世界がいつの間にか自分にとって第二の現実になっていたのだなと思った。
 ならば今自分がいる場所は、差し詰め第三の現実と言ったところか、とそんなことを思ってシンは苦笑する。
 第二の現実(ゲームの世界)では実感を得るまでずいぶんかかったのだが、さすがに第三の現実ともなると適応が早いようだ。ついさっきまで脱力していたのが嘘のように動き回っている自分に我がことながらあきれるシンだった。

「さて、そろそろ行くか」

 そう言いながらシンがアイテムボックスから取り出したのは、一枚の栞だ。どこにでもありそうな白い栞を頭上へかざす。

「ゴー・ホーム!」

 シンがそう唱えると栞の周りに光が集まりだし、野球ボールくらいの光の玉になったところでその形を隼に変化させた。
 光でできた隼はその場にふわふわ浮き、頭を一定の方向へ向けている。

 シンが使用したのは【導きのしるべ】というアイテムで、登録した地点の方向を指し示してくれるアイテムだ。探索するフィールドに配置された回復ポイントを記録させる使い方が一般的だが、一部のプレイヤーはシンのように自分のホームポイントを記録して使っていた。

 マップが機能していないため自分のいる場所が分からなかったシンだが、アイテム欄にあった【導きのしるべ】の登録地点を調べてみるとゲーム中に拠点として使っていたホームのみ選択可能だったのでまずはそこに行こうと決めた。

 ちなみに光が隼の形をしているのはシンの趣味。光はプレイヤーの好きな形に変更できるのだ。


「いざ、我が家へ!」

 光のさす方向へ走り出すシン。目的地を選択する際に表示された彼我の距離67ケメル。1ケメルがだいたい1kmに相当するのでおよそ67km先ということになる。
 普通に徒歩で行くにはけっこうな距離があるが、強化されたシンの体力と脚力は普通とはかけ離れている。軽く走るだけでもかなりのスピードが出る。
 走るシンのスピードは既に時速70km/hほど。加えて乗り物に乗っているわけではないので木々の生い茂った森だろうがごつごつした岩が転がっている荒地だろうがおかまいなしに駆け抜けられる。

「いぃぃぃやぁっっほぉぉぉぉぉ!!」

 風を切って走る感覚は実に気持ちが良く、シンは目覚めてから胸にたまっていたもやもやを晴らすかの如く大声をあげながら走った。ちょっとしたランナーズハイ状態だ。
 どこまで体力がもつかわからなかったが、ほとんど体力を消費している感がなくいくらでも走れそうな気がしたので休憩をはさまずに走り続ける。

 途中四本の腕をもつ熊(テトラグリズリー)頭が二つある蛇(ツインヘッドスネーク)炎のような鬣を持つ猪(フレイムボア)を見かけたのでどのくらいの強さか確かめるために片っ端から戦闘をしかけた。レベルは熊、蛇、猪の順でそれぞれ87、68,79だ。
 名前とレベルは【分析・Ⅹ(アナライズ・テン)】によって表示されたので間違いない。

 どれも一定の行動パターンを繰り返す初心者プレイヤーが良く狩る魔物(モンスター)だ。シンのレベルでは片手間で倒せるモンスターだが戦ってみると生物特有の姑息さや生き汚さが垣間見え、大丈夫だとわかっていてもヒヤリとさせられることがあった。

 モンスターとの戦闘に時間をかけすぎるのも良くないと考え、その後は走ることに専念した。

 草原を横断し、岩を飛び越え、森を駆け抜けることさらに1時間。視界の先に大きな城壁が見え始めたところで光の隼が点滅し、目的地が近いことを知らせた。

 スピードを落として、立ち止まる。隼が指し示す方向は城壁のある方向から少しずれていた。どうやら城壁の前に広がる森の中にあるらしい。シンの記憶が確かならホームの近くに城壁に囲まれた町などなかったはずである。

「いつの間にできたんだ、あれ」

 城壁を見ながらぽつりとつぶやく。
 城壁は高さが六階建てのビルくらいあった。削りだした石を組んで作ったと思われ、重厚な雰囲気を醸し出している。

 所々欠けているのは魔物の襲撃か、それとも戦争か。

 ゲーム中では大人数同士の戦闘はよくあることだったのでシンも攻城戦の経験があるが、これはやりにくそうだと感じた。城壁には魔物避け、硬化、魔法弱体化の効果が付与されているのがわかったからだ。それも上級に近いものが。

 シンのいるほうからは入り口は見えないので町じゃないかと予想はしているが、実際に中がどうなっているかは分からない。だがこれだけ強化された城壁が囲んでいるのが廃墟ということはないだろうと後で調べることにした。

 今はまだ用はないので視線を森に戻し、隼の指し示す方向へ歩くいていく。

 100メルほど歩くと明らかに周囲と植生の異なる空間があった。今まで見えていた木々は太さがせいぜい3~40セメルほどなのに対し、その空間を囲んでいるのは1メルを超える大樹だった。ちなみに1メルは1m、1セメルは1cmに相当する。

 大樹に囲まれた空間の中心にはシンの記憶とぴったりと一致する建物が存在していた。

 見た目は岩と木を組んで作られた一軒家。ゲーム中は店舗と住居を兼ねていた。
 暖簾の出ている店舗側の入口の上には『よろずや 月の祠』と大きく書かれている。

「見た目はとくに変わってないな」

 間違いなくオリジンとの決戦前に見たときと同じだった。変わらずに存在しているホームにシンは安堵した。

 ゲーム中でシンが営んでいた『よろずや 月の祠』は武器、防具、アイテムを扱う総合店だ。基本的にシンがフィールドやダンジョンで手に入れたものや気分が向いたときに作ったアイテムを売っていた。

 シンの出かける場所のほとんどが高レベルモンスターの闊歩するフィールドやダンジョンなのでレアアイテムや素材を手に入れやすく、それらを並べていた店は掘り出し物のある隠れた名店として主に上級プレイヤーに有名だった。物が物だけに値段はかなり高めだったので買える者がほとんど上級プレイヤーに限られていたことが原因だが。

 そんなかつての自店の賑わい(賑わったのは極稀だったが)を思い出しながら暖簾をくぐり、扉を開くシン。商品を置いた棚と受付があるだけだった店内はどうなっているかなと考えを巡らせながら店内に入る。

 店内には鎧を着込みマントを羽織った複数の男女がいた。その内の何人かがシンが入ってきたことに気付き、さらにその内の二人がシンに近づいてくる。

「すまないが今取り込んでいてね。あとにしてもらえないか」

 そう言ってきたのはやけに豪華な装飾をされた鎧を着た金髪の青年だ。身長はシンと同じくらいだが鍛えているのだろう、腕や脚はシンよりも太い。

「何かあったんですか?」
「いいから外に出てろっつってんだよ!」

 事情を聞こうとしたシンに強い口調で命令してきたのは金髪の青年とともにシンに近付いてきた茶髪の青年だ。こちらも金髪の青年同様、装飾過多な鎧を着ている。身長はシンよりも頭一つ高く、体格も身長に見合ったがっしりとしたものだ。

「こっちも今日中じゃないと困るんだが」
「うるせぇな。冒険者風情が口答えしてんじゃねぇよ!」
「おい、よせイラン!」

 イランと言うのはおそらく茶髪の青年の名前だろう。こいつに丁寧語はいらないなと判断したシンは素の口調でイランに抗議した。
 渋るシンにいらついたのか力ずくで押しだそうとしてくるイラン。シンを突き飛ばそうと鳩尾に掌底を放ってくる。シンは特に反応せずイランの口元がにやりと歪む。

「うおっ!」

 だがシンは放たれた掌底にびくともせず、反対にイランがバランスを崩しその場に尻もちをついた。鎧と床がぶつかり、無視するには大きすぎる音が店内に響く。周りにいた者たちの視線がイランとシンに集中した。
 自体が飲み込めず呆けているイランと、どうしたもんかなと動くに動けないシン。

「くっ、てめ――」
「なにを騒いでいる!」
「――っ!!」

 逆上したイランが剣に手をかけかけたところで店内に響く大声にびくっと身をすくませた。
 その様子にシンは面倒事が寄ってきたかと心の中でため息をついた。

 人垣が自然と割れて、一人の男が姿を現す。やはり無駄に豪華な鎧を着込んだ金髪碧眼の美丈夫は数メル先からシンとイランを睨みつけている。
 先ほどと打って変わって静かにしているイラン。
 シンはといえば、人垣が割れる様を見て「モーゼか……」と実にどうでもいい感想を口にした。

「誰も入れるなと言っておいたはずだが?」
「申し訳ありません! ルスト様!」

 すかさず頭を下げるイラン。イランの様子からかなり地位の高い人物なのだろうとシンは予測を立てる。
 平伏しているイランを一瞥もすることなくルストはシンに近づいてくる。その目はシンを完全に見下していた。

(うわっ、イランよりめんどくさそうなのが来た)

 そんなシンの心境も知らず。のっしのっしという擬音がつきそうな足取りでルストはシンの前に立った。

「…………」
「?」
「おい! ルスト様を前にしながら名乗りもせずに突っ立っているとは何事だ!!」

 沈黙を保ったままのルストにシンが首をかしげているとイランが怒鳴り声をあげた。どうやらルストがシンをにらみつつ何も言わずに立っていたのは名乗るのを待っていたからだったようだ。

「失礼しました。俺の名はシン、流れ者です」

 様付けされる人物に目をつけられても困るのでシンは頭を下げつつ名乗った。シンの経験上こういうタイプは形だけでも平伏していればやり過ごせることが多いと知っていた。

「ふん、礼儀を知らんな。まあよい、流れ者とあっては満足な教養もあるまい」

 平伏したままのシンに対して横柄にうなずくルスト。そんな言葉を聞き流しつつ、異世界でもこの手は使えるのかと見下されていることを欠片も気にしていないシン。

「用は済んだ。ゆくぞ」

 ルストはそういうとそのまままっすぐに歩みを進めた。それに気付いたシンはとっさに左に避ける。
 シンの動きを見ていた金髪の青年のほか数名がその動きに目を細めた。

「ちっ」

 去り際に舌打ちを残していったのはイランだ。店内にいた者たちはルストに追従してさっさと店外に出てしまった。そのおかげで既に店内には金髪の青年を含め三人しか残っていない。

「イランが済まない事をした。代わって詫びるよ」

 そう言って話しかけてきたのは先ほどの金髪の青年。他の二人もどことなく申し訳なさそうな表情をしている。

「いえ、特に何かされたわけでもないですし」
「そう言ってもらえると助かるよ。私の名はアルディ。アルディ・シェイルだ。もし騎士団を頼ることがあったら私を訪ねてくれ」
「シンです。機会があったらそうさせてもらいます」

 アルディが差し出した右手に同じく右手を差し出しながらシンは答えた。
 どうやらさっきの集団は騎士だったらしい。それにしてはやけに態度がでかかったなと思うシンだが、アルディたちの態度を見るに全員がそうでもないのだろうと考えを改めた。

 アルディが店を出ると残りの二人も軽く会釈してから店を出て行った。おそらくアルディの部下なのだろう。

 騎士の面々が店を出ていくと店内が途端に広く感じられた。見えなかった棚やそこに並んだ商品がシンの目に入る。

(武器はほとんどが銅か鉄、よくて銀製、防具も皮製のものが加わったくらいか。アイテムは低ランクの回復薬ポーション魔法薬エーテル、あとは状態異常回復の丸薬が少々。素材はなしと)

 商品を一通り見て自分の頃と比べ物にならない低レベル(・・・・)ぶりにシンはあきれてしまった。どれも初心者が使うようなものばかりだったからだ。

(俺の頃より繁盛してなさそうだな……)

 店の経営状態が心配になってしまったシンである。

「さっきからなにぶつぶつ言ってるの?」
「へ?」

 唐突に話しかけられ何とも気の抜けた返事をしてしまうシン。無意識のうちに考えを口にしていたらしい。声の方向に顔を向ければこちらを見る金色の瞳と目があった。

 カウンターの向こうからシンを見ていたのは黒髪金眼のエルフの少女だった。絹のような光沢をもつ黒髪の間から尖った耳が見えているのでおそらく間違いないだろう。
 容姿の整っている者が多いエルフの例にもれず、不思議そうにシンを見る彼女は十人が見れば十人が見惚れるに違いない美少女だった。身長はシンより頭一つ分ほど低く160セメルくらい。肌は健康的な白さを保ち、全体的にすらりとした体格をしているが胸だけはしっかりとその存在を主張していた。
 ただ見た目は17か18歳といったところだが長命種であるエルフが見た目通りの年齢であることは極稀で実は何百歳という可能性もあるので注意は必要だが。

「ああ、品ぞろえがどんなものか見てたんだ」
「そうなの? その割にはやけに目つきが鋭かったような気がしたけど」
「そんなつもりはなかったんだけどな」
「まあいいわ、いやな奴らも帰ったし好きに見てっていいわよ」

 エルフの少女はそういうとカウンターに備えつけられた椅子に座った。

「いやな奴らってさっきの?」
「そう、ちょくちょく顔を出しては師匠がいつ帰ってくるのかって聞いてくるの。しつこいったらないわよ」

 よほど頻繁に来るのだろう。少女の口調から辟易しているのがシンまで伝わってきた。

「大変だな。あ、自己紹介がまだだったな。俺はシン。見ての通りの流れ者だ」
「ただの店番に自己紹介するなんて生真面目な人ね。ティエラ・ルーセントよ。ティエラでいいわ。ここの店主代理の弟子兼店番ってとこかしら。何かいいアイテムや素材をもってきてくれたら買い取るわよ」
「ああ、その時はよろしく。にしても騎士が頻繁に来るなんて、ティエラの師匠ってそんなにすごい人なのか?」
「何言ってるの。月の祠の店主代理シュニー・ライザーっていったら今時子供でも知ってるじゃない」
「はぁ、そんなに有名なのか。てか代理?」
「本人が言ってるのよ。なんでも本当の主がいるんだって」
「そんなに有名な奴のさらに上がいるのか……」

 そんなに有名な奴がいるなら経営は大丈夫そうだなと少々勘違い気味の感想をもつシン。だがその店主代理という人物の名にどこか引っかかりを覚えた。

「シュニー・ライザーね………シュニー・ライザー…………シュニー……シュニー・ライザーぁあ!?」
「な、なに! どうしたの!?」

 突然大声をあげたシンに驚くティエラ。思わず立ち上がってしまい倒れた椅子がガタンと音を立てた。

「ああわるい。ちょっと驚いてな」

 椅子の倒れる音に我に返り、謝るシン。どこかで聞いた名前だと思っていたがそれもそのはず、ゲーム中で月の祠の店番を任せていたのがシンが作成したサポートキャラクターの内の一人でその名前がシュニー・ライザーだったからだ。

「すまんがその師匠について確認したいことがあるんだけどいいか?」
「え、ええ。私にこたえられることなら」

 シンの剣幕にティエラは若干引き気味だ。しかし、まさかの一致に驚いているシンはティエラの様子に全く気づかない。

「そのシュニー・ライザーって人は種族がハイエルフで髪は腰まで届く銀髪、瞳は透き通るような青色、身長は166セメルでそのうえスタイル抜群の美人じゃないか?」
「たしかにそうだけど……なに? あなた師匠のファン?」

 ティエラの若干だったひき加減がかなりのものになっているがやはりシンは気付かない。

「いや、そうじゃない。そうだな、シュニーとは知り合いみたいなものなんだ(ゲームじゃ店主と店員だったけど)」
「師匠の知り合い? ホントなの? それ」
「向こうが覚えているかは分からないけどな」

 先ほどの形相を見たせいかティエラはシンに疑念たっぷりの視線を送っている。
 シンとしても突然訪ねてきて自分は店主の知り合いだといったところで信用されるとは思っていない―実際問題、むこうがシンを覚えていない可能性もある―ので知っているのは自分だけかもしれないとフォローしておく。

「そういえばシュニーは今どこに行ってるんだ? さっきの話だと長期っぽいが」
「悪いけどそれは言えないわ。騎士団に話してないのにあなたに言えるわけないでしょ?」
「……たしかに」

 この世界の身分がどうなっているのかわからないシンだが、さっきのアルディたちの様子から騎士がそれなりに高い地位であることが分かる。流れ者の自分じゃ信頼おけないよなとシンは肩を落とした。

「一応伝言くらいなら請け負うわよ。というか私の仕事の半分は師匠への言伝を受けることだし」
「半分って……どんな量だよ」
「ほとんどが国やギルドの上層部からよ。伝言と言っても結局のところ依頼ね。いろんな国から来るから機密のはずなのにみんな見て見ないふりをしてるわ」
「なんというか、すごいとしか言えんな」

 国の上層部から依頼が来るなんてどんな奴だよ、と思ってしまうシン。

「受けることは滅多にないけどね。で、どうする? 伝言する?」
「そうだな、一応頼んでおくか」
「伝言料はジュール銅貨10枚、1000ジュールよ」
「金とるのか……ジュールってのは?」

 シンは聞いたことがない単位に首をかしげる。THE NEW GATE内の通貨はすべてジェイルだった。

「本気で聞いてるの? 通貨も知らないでよく旅してられるわね」
「いや、以前使ってた通貨と違ってたんだよ」
「以前使ってた通貨? もう四百年くらい通貨は変わってないはずだけど。見せてもらってもいい?」

 四百年。その言葉を聞いてシンは固まった。四百年も前の通貨を普通に使えると思っていたシンは急に自分がまるで浦島太郎にでもなってしまったような気がした。

「これなんだが……」

 シンはアイテムボックスから1ジェイルを取り出し、カウンターの上に置いた。ジェイルは直径3セメルほどの円形の金貨で中央に八枚の翅をもった竜とその腕に抱かれる少女が描かれている。

「……ねぇ、今それ、どこから出したの?」

 ティエラはティエラでなにもない空間から出てきたジェイル金貨に目を丸くしていた。

「どこって、アイテムボックスからだが?」
「アイテム……ボックス……」

 その言葉を聞いたティエラはジェイル金貨が出てきた時以上の衝撃を受けているようだった。

「ティエラ?」
「あっ、えと、なに?」
「いや、なんだかすごく驚いていたみたいだが、どうかしたのか?」
「どうかしたのかじゃないわよ。アイテムボックスが使えるなんて驚くに決まってるじゃない」
「? 驚くことなのか?」
「あなたねぇ……」

 なぜかがっくりと肩を落とすティエラ。シンはなぜティエラがこんなに驚いているのかさっぱりわからなかった。

「今の時代、アイテムボックスが使える人なんてハイロードやハイエルフ、ハイピクシーみたいな長命種の王族の中のさらに長老や王クラスじゃないと使えないし、そもそも持ってもいないわ。それをひょっこり現れたあなたが持ってるなんて言ってあまつさえ使ってるんだから驚きもするわよ。実はどこかの王族とか言わないわよね?」
「ないな。俺が王族とかまずない」

 アイテムボックスの現状にシン自身驚いていた。まさかプレイヤーならだれでも持っていたアイテムボックスがそんな重要人物しか使えないような状況になっているとは想像もしていなかった。
 ちなみに種族名の前に『ハイ』がつくのはその種族に十回以上転生することでなれる上位種族だ。THE NEW GATEにはいくつもの種族があるが基本はヒューマン、ビースト、ドラグニル、ドワーフ、エルフ、ロード、ピクシーの七種。ヒューマンは人族、ビーストは獣人族、ドラグニルは竜人族、ロードは魔人族、ピクシーは妖精族と呼ばれることもあった。

「当たり前に使ってたんだけどな」
「はぁ、当たり前なわけないでしょ。そういえばあなた種族は? 人族にしか見えないけどあなたの魔力っていろいろ混ざってるようなひどくあいまい感じがするし。エルフにロード、ドラグニル、他にも色々、どうなってるの?」
「それは俺にもわからないな。とりあえず俺の種族はハイヒューマンだ」

 ステータス画面に出ていたから間違いないだろうとシンは自分の種族を明かした。ハイヒューマンはヒューマンの上位種で状態異常や魔法耐性が高いという種族特性がさらに強化されている。他のゲームと違うのはバランスタイプでありながら能力値が全種族中ダントツ最下位なせいでソロでもパーティーでもほとんど使えないキャラとして有名だったところか。

 THE NEW GATEの世界設定ではヒューマンは他の種族より遅れて生まれ落ち、そのため大気に満ちる魔力を多く取り込み魔法や状態異常への強い耐性を獲得したとされている。それだけなら魔法使いの天敵として活躍できそうだったが、設定には続きがある。それは耐性に力をとられすぎて他の能力が未成熟なまま生まれてしまったという点だ。

 この設定のせいで使えないキャラとして不動の地位を獲得してしまったのがヒューマンという種族なのだ。前衛装備に身を固め魔法耐性に物を言わせて魔法をくらいながら魔法使いに近付いても他の前衛種族に歯が立たず叩きのめされる。魔法使いとして戦おうにもMPもINTも魔法特化のエルフやピクシーにはかなわず、魔法を打ち合えば同じバランス型のロードにすら簡単に押し負ける。
 もはや魔法に対する捨て身の盾か、状態異常をばらまく盗賊や狩人としてしか活躍できないという状況だったのだ。

(まあ、俺にはそれがむしろプラスだったけどな)

 不遇の立場にあったヒューマンだがステータスがカンストしたシンからすれば種族特性によってさらに無双に磨きがかかったのでありがたかったのだが。それが言えるのは本当にごく一部のプレイヤーだけだったことだろう。

「ハイ……ヒューマン……?」
「ん? ああ、そうだけど?」

 かつてのヒューマンの待遇を思い出し、馬鹿にした奴らを吹き飛ばして回ったっけなと思い出に浸るシン。そんなシンに対して何やら呆然とつぶやくティエラ。
 そして、そのあとティエラが口にした一言でシンも驚愕することとなった。

「ハイヒューマン……滅亡した……種族……」
「へぇ滅亡……滅亡ぉっ!?」
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