私は基本的に就業時間の1時間前くらいには会社に着いている。何をしているかというと、仕事なんかするわけがなくて、自分のデスクに座って新聞を読んだり、読書をしたり、ニュースをチェックしたり、コーヒーを飲みながらリラックスした時間を過ごしている。
もちろん、就業時間より早めに来る人はけっこう居て、私より早い人も何人かいる。何をしているのかわからないけれど、それぞれの時間を過ごしているのだろう。朝ごはんを食べている人もいるし、当然、仕事をしている人もいる。働き者だ。私には信じられない。
そんな風に過ごしていると、たまに、仕事をしている人が、私に話しかけてくる。
「◯◯の案件のことなんですけど…」
「え?」と思う。え?仕事の話ですか?暇そうに見えるかもしれないけど、私はまだ就業時間じゃないんですよ?
■大切にしている時間を他者に奪われること
私も一応、社会人なので、就業時間外に仕事の話をされても、露骨に嫌な顔はしない。表面上は、通常通り対応する。しかし、そこは配慮があってもいいのではないか、と思う。就業時間になるまでは、私の時間だ。新聞を読んでいて暇そうに見えるかもしれないが、私にとっては日々の時事を追いかける上で重要な時間である。すごく大切にしている時間だ。その時間を、無遠慮に奪われるのはとても悲しい。
雑談ならまだいい。「このへんで美味しい油そば屋さん知ってる?」とか、「昨日の錦織圭凄かったね」とか、そういう話題で話しかけられるなら、私も嫌な気分にはならない。しかし、仕事の話なら別である。
オフモードの時に、他者によって強制的にオンモードへ切り替えられるのが不愉快なのだ。
■「それって、今じゃなきゃダメなの?」
「それって、今じゃなきゃダメなの?」と思う。確かに私は自分の意志で就業時間より前に来て、自席に座っている。就業時間前に仕事をしている働き者からしたら、仕事上で疑問点が浮上し、担当者が自席に座っており、暇そうにしているから聞いてしまう。理屈はわかる。
確かに私にも落ち度はある。自分の時間を邪魔されたくないのなら、会社近くのカフェで就業時間まで時間を潰せ、という話だ。しかしながら、そこまでガードを張らなければならないことなのだろうか。そこって、配慮があってもいいんじゃないか、と思う。これは、気遣いの問題である。堅苦しく言うと、マナーの問題である。別に強要するつもりはないけれど、私が逆の立場なら、きちんと就業時間になってから、仕事の話をする。
その人が、朝早くから外出しなければいけなくて、どうしても今これを聞かなければいけない。そういう時は、仕方ないと思う。でも、もし私が就業時間ギリギリに来る人間だったらどうするのだ?そういう状況になってしまうのは、ちょっと計画性がないとも言える。
仕事を早く進めたいのはわかる。そりゃ早出して仕事してるくらいだから、やる気も十分なんだろう。しかし、こちらにその意気込みを向けるのは、もう少しだけ待ってもらえないだろうか。
私も就業時間内であれば、快く対応できる。私の朝の時間を奪わないで欲しい。
■アメリカ人的時間感覚の心地よさ
以前、日本人とアメリカ人の時間的感覚に違いについて書いた。
「アメリカ人との約束は、5分前に行ってはいけない」 正しい時間の守り方とは?
記事を要約すると、日本人は待ち合わせ時間よりも早く着いたら、5分位なら約束の時間よりも早く訪問してしまうが、アメリカ人はその5分を大切にして、きっちり時間ぴったりに訪問する、という話だ。
この時にも触れたが、私はアメリカ人的時間感覚の方が肌に合っている。時間に対する異常な執着がある。5分でも惜しい。無駄にしたくない。大人数での飲み会において、1次会の後、店を出て2次会の店を決めるまでのぐだぐだに耐えられない人間だ。
そして、上記の記事でもコメントで寄せられていたが、日本人が持つ「終わり」の時間に対するルーズさが耐えられない。ルーズな時間感覚は誰も幸せにならないだろう。「時間」に関する価値観の違い、というのは、社会的コミュニケーションをする上で、非常に重要なテーマであると思う。
個人的な感覚としては、若い世代を中心に、私と同じような時間的価値観を持った人が多くなってきているように感じる。もう少し世代交代が進めば、疑問を感じるケースも少なくなってくるのだろうか。
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