無印良品が海外に進出してから24年。その間、25の国や地域に進出して320店舗を出店。現在も海外事業の業績は好調に推移しています。2016年1月には、2016年2月期の通期業績予想の上方修正を発表。東アジア地域での新規出店が好調で、中国ではスキンケア用品やフレグランス用品を中心に伸びています。
こうした海外展開の成功を支えている「商品」は、どのように開発されているのでしょうか? 『無印良品が、世界でも勝てる理由』(KADOKAWA)を刊行した良品計画前会長・松井忠三氏に、そのヒントについて聞きます。■ 「われ椎茸」がヒットした理由
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無印良品の歴史を語るとき、必ず出てくるのが初期の大ヒット商品、「われ椎茸」です。当時、親会社の西友では形のしっかりした干し椎茸が売られていましたが、西友生活研究所が椎茸が家庭でどのように使われているのかを調べたところ、ほとんどがだしを作るために使われていることがわかりました。そして、だしをとるために使うのなら、形は完璧でなくてもいいのではないか、という話になったのです。
また、椎茸の産地に行ってみると、形のよい干し椎茸を選ぶには手間がかかることや、割れていたり、形が不揃いのものは商品にできないので自分たちで使うか、最悪の場合は捨てていることもわかりました。
そこで、割れたものや不揃いのものも一緒にして「われ椎茸」と名付け、値段を通常の3割ほど安くして売り出しました。パッケージには、「大きさはいろいろ、割れもありますが、風味は変わりません」と、安くなっている理由も書いたことも効果があり、大ヒットになったのです。
このように無印良品には誕生した当時から、ものを「つくる」というよりは、「探す、見つけ出す」という考え方がありました。日本に昔からあるいいもの、あるいは日常生活で使われているものの中から、優れたものを見つけ、無印良品のコンセプトを入れながら、商品化していくという道をたどってきたのです。
■ 無印良品が磨いてきた「見いだす力」
何十回あるいは何百回洗濯をしてもお客様に満足してもらえる「ホテル仕様のタオル・シーツ」や、劣化して壊れやすい部分を外した「かっぱ橋道具街仕様の柄のない鍋・フライパン」もそうです。シンプルな機能に特化した商品を見つけ、選んで、無印良品流にアレンジしたのです。
日本の生活の中にあるいいものを「探す」だけにとどまらず、さらに世界のいいものを無印良品流にしていこうという流れも生まれました。
1984年に「まんまの色」と名付けられて販売されたセーターは、新疆ウイグル自治区のカシミヤやキャメル、南米ペルーのアルパカ、トルコのアンゴラモヘア、イギリスの伝統的なウールであるシェットランドや古代種のジャコブの羊毛など、世界各地から良質な原毛を求め、それぞれの持ち味をもっとも生かせる方法で編みました。
それぞれの国の気候や風土、文化に根差したいいものが必ずあるので、それを見つけて無印良品に持ってくるというのが、当時からの商品開発のポリシーです。インドやチベットなど、ほうぼうを商品の開発部隊が歩いて、「これはいいな」と思うものを見つけてきたのです。
ところが、一時期「見いだす力」が衰えてしまった時期がありました。
世界中からいいものを見つけてくる活動は、時間もコストもかかります。そこで、商社の人たちにお願いして商品を探し出してもらう方法に切り替えたのです。商社にはさまざまな調達部門があり、大量の情報やネットワークを持っています。そこを頼みにしたのです。
しかし、商社の人の中には無印良品の哲学をきちんと理解してくれている人と、そうではない人たちがいました。その結果、玉石混交のものが集まるようになり、そこから選別しているうちに、今まで使っていなかったような色やデザインが紛れ込んでしまい、無印良品らしさが失われていってしまったのです。
無印良品のお客様は敏感なので、「最近の無印は薄っぺらくなった」と離れていってしまいました。これは2000年ごろに起きたことで、赤字転落の原因のひとつにもなったのです。
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