最近は割とあけすけにブログを書くことが多い。以前はもっとホンワカとして柔らかい物腰だったような気がするのだが。
自由な発信
自由とは言っても限度がある、少なくとも利用しているブログサービスの規約に反することや、反社会的な書き込みをすることと混同はできないであろう。そうじゃなくて、割と自分の頭の中で考えたことをオブラートに包まず発信することについて、最近は顕著なのである。従来は、まぁそんなに長くないこのサイトの歴史を見ればもっと柔和で穏健な記事調だったような気もするのだが、 ここ最近のエントリーを見ればかなりエッジが効いているといっても過言ではない。
もし今、誰かに諫められたとしても「そうなのかなぁ」などとそれに懐柔される気はさらさらしない。むしろ「ほっとけ」って言っちゃいそう。それは現在、本当に気持ちよく、何の後悔もなく記事を更新できているからだろうね。言いたいことをズバズバと書くことがこんなに気持ち良いなんて想像もしてなかった。やめられんよ。まぁ当然、自分で気づかないところで誰かを傷つけたり地雷を踏むこともあるだろうから、そんな時は真摯に受け止めて自己点検及び修正を施していかねばなるまいね。
さてさて、そんな中で最近、思うことがあるので記事にする。この「好きに書く」ことと「人気を得る」ことは決して同居できぬものであるということだ。
人気を得る行為は恣意的なものではなく計算的行為
好き放題に記事を書くことで何が起きるかというと、読者離れである。ブログを更新し続けると定期購読者というのは増えていくように思えるのではないか?実は違う。自分の好きに意思を発出してあけすけにものを語っていくと、読者が減るという現象を目の当たりにする。「何を書いているんだ」「思ってたよりも、この人なんか違う」理由は人それぞれであろうが、断言するような物言いが増えたブログに見切りを付けて定期購読を止めるものと思われる。
人気を得たいのであればこれではいけないだろう。万人の気持ちをつかむのは難しいにしても、98%の人間は惹きつけておきたい、そのために計算的に人気を得るための記事を書く必要も出てくるだろう。これが好きに書くことと人気を得ることの相違である。どうしても自分の言いたいことを素直に語っていたら、好き嫌いで読者が分かれていくものだ。これは仕方のないこと。リアルにおいても同じだろう。誰からも好かれたいと振る舞っている人は全方位型で気を遣わねばならない。だが、自由に振る舞っている(言いたいことをしっかりと言っている)人は嫌われはするだろうが、その分本物が周りに集まる。
中には好きにブログを書いた結果、人気者になるブロガーもいるのだろうが、稀有である。あまりに特殊な例過ぎて他の模範にすらなり得ないイレギュラー因子である。しかもそれは、蓋を開けてみると結構なアンチがいたりして、目に見えないだけの場合もある(ほとんどの場合はこれじゃないか)。あいつは誰からも好かれている、なんて考える奴は脳内お花畑ちゃんなのだろう。
嫌われることを恐れるな(あとがき)
ちやほやされたいのかしらねえが、誰も傷つけないようなエントリーに終始した結果、どうも中途半端になっている記事も散見できる。「で、結局あなたは何が言いたいのさ?」ってことが全くわからん記事が大漁。
「僕はこう考える」「こう思う」って、多少なりとも断じる必要はあろうよ。「ここはこうかもしれない、どもこうとも考えられる。僕はどっちの味方でもあるのよ☆」とか信用ならねえ。自分の意志をはっきりさせると良い。
かつては全方位に好意をばら撒いていた時期もあったが不毛であった。これからは言いたいことをバンバン言っていきたい。ブログの場だけではない、知り合いだろうが友達だろうが、言いたいことはしっかりと言える人間になりたい。「ナカヨチだから言わないでおこう」とかは徹底的に排除したい。
購読者が減る、と先述したが、逆もまた然り。購読者が増えることもある。しかも今度はこのように素直に意思発信した結果購読してくれた読者さんだから、従来よりも濃い方なんじゃないかって勝手に想像してる。素直に自分の言いたいことを発信し続けて、それでもずっと残ってくれる読者さんが真の定期購読者だと僕は思うね。
定期購読も止めるなら今の内だよ、更新通知見たくない上っ面の読者さんは今すぐ更新解除しよう!自分に嘘は良くないよ!
俺は返報ブクマとか一切やってないから、自分で面白いと思った記事しか見に行かないからね!利害関係で相互読者とかやってませんので!