人間が絶えず動き回るのはなぜだろう? 英国ケンブリッジ大学の進化生物学者マット・ウィルキンソン氏によると、動き回ることこそが、人間を特徴づけている重要な要素であって、動物たちが生きていく原動力になってきたという。ウィルキンソン氏に、最新刊『Restless Creatures: The Story of Life in Ten Movements(落ち着きのない生き物たち:10の行動に見る生命の物語)』について話を聞いた。
――移動する力が進化を突き動かしてきたと書かれていますが、どういうことでしょうか?
生命の歴史をその誕生まで遡ってみると、自分の周囲の環境を探索する能力のあった生物が、そうでない生物ではたどり着けなかった資源を手に入れてきたことがわかります。それだけではなく、彼らはある場所から別の場所へ移動できました。何らかの不幸が身に降りかかってきたとしても、生存する可能性が高かったのです。移動こそが、これまでの生命の進化に影響を及ぼしてきたし、今でもそうなのです。(参考記事:2013年1月号「落ち着きのない遺伝子」)
――進化論を提唱したダーウィンは、移動についてそれほど語っていなかったと思いますが。
ダーウィンのアプローチは、世代間で起きた進化のメカニズムに焦点を当てたものでした。私のアプローチはそれとは少し違って、より広い範囲を視野に入れています。ダーウィンの説に挑戦しようとしているのではなく、進化を考える際に「移動」という視点を取り入れようとしているのです。移動の歴史を通して生き物をとらえると、あらゆることが鮮明に見えるようになります。(参考記事:2009年2月号「ダーウィンの着眼」)
――子どもの頃、テロダクティルという翼竜に夢中になっていたそうですが、それがどのようにして現在の研究につながっているのでしょうか?
子どもは誰でも恐竜に興味を抱くものだと思いますが、私の場合、絶滅した空飛ぶ爬虫類にすっかり魅了されてしまいました。今でこそ、この地上から完全に姿を消してしまったけれど、ほとんどの動物がなしえなかった空を飛ぶという能力をいかに身に付けたのだろうか。その構造をぜひ知りたいと思うようになりました。そこから、進化の過程全般と、生物力学の法則に興味を抱くようになったのです。どのように動き、どのように機能しているのか、という生物に備わった機械としての働きについてです。そこでは、移動が大きな影響力をもっていて、それを知ったとき、私は目が覚める思いでした。動物を形づくってきたのは、移動の必要性だったのです。(参考記事:「ペリカンに似た翼竜、中国で化石発見」、「新種の翼竜、ブラジルで大量の化石発見」)
――ホモ・サピエンスはサバンナで暮らすようになる過程で、高い位置から周囲を見渡せるように、直立二足歩行をするようになったと一般的に考えられています。これは間違った説でしょうか?
(笑)間違いだと思います。そう考えているのは私だけではありません。二足歩行をするようになったのは、森で暮らしていたころだったという研究者たちの意見に、私も同意します。それに磨きがかけられた場所がサバンナだったのです。(参考記事: 2010年7月号「新・人類進化の道」、2015年10月号「眠りから覚めた謎の人類」、「最古のヒト属化石を発見、猿人からの進化に新証拠」)
――移動するのに欠かせない足ですが、その働きについて教えてください。
あまりに身近すぎて考えたこともないでしょうけど、私たちの足は生体工学の傑作と呼べるほどよくできています。一歩踏み出すたびに、さまざまな機能を働かせているのです。着地するときの足は柔軟に形をかえる必要があります。体重を支える安定した“土台”の役目を果たさなければいけないですし、地面をしっかりととらえる必要もあるからです。逆に、地面から離れるときの足は、しっかりと固定されたレバーのようになります。効率的に足を前へ蹴り出すためです。これは「ウィンドラス機構」と呼ばれる巧妙なメカニズムです。船のいかりを巻き揚げるウィンドラスという機械の働きに似ていることからこの名前がつきました。一方、類人猿の場合は、足で物をつかむという機能を発達させました。(参考記事:「“ルーシー”の足には土踏まずがあった」)
――物語を話すことが好きな人間の特性と、脳が移動のためにデザインされていることに関連性があると書かれています。どういうことでしょうか?
これは私の意見なのですが、私たちの心理がいかに移動に適応したかを意味しています。体の構造が移動に適応していったのは明らかですが、私たちの心も同じようにそれに適応しました。その一つの側面として、景色やイメージをつなぎ合わせて、移動ルートを再構築する能力があります。移動中に見かけた風景や事物をルートの目印にするのです。狩猟採集社会ではこの能力が大いに役立ちました。私たちには、優れたナビゲーション能力が備わっていると言えるでしょう。
物語を話す場合にも、私たちは一連の出来事をひとつの話にまとめて、そこから何らかの意味を引き出そうとします。この意味を引き出す能力は、一連のイメージからルートを再構築する能力と同じものであると考えられます。
――人類の文明にとって「徒歩旅行」が重要であると強調されています。具体的に説明してもらえますか?
私が言う「徒歩旅行」とは、探検しながら移動することです。A地点からB地点への移動というだけではなく、歩いていくことで周りの環境をよく知ろうとすることです。環境だけではありません。自分自身、そして自分の周囲の世界についても知るのです。はっきりとした目的地がなくても、道に迷ってしまっても構いません。場所から場所へ移動する途中で感覚を研ぎ澄ますようになれば、それが徒歩旅行だと私は思います。
この良い例が、マレーシア半島に暮らすバテク族の人々です。彼らを集中的に研究してきたライ・タック・ポ氏によれば、自分たちの森林を探検することはバテク族にとって非常に重要な行動であるそうです。ただ場所から場所へ移動するだけでなく、自分たちは何者であるのかを見つけ、自分たちの住む世界を知り、祖先とつながり、文化的アイデンティティを維持する手段なのです。
――本の最後で、「薄汚れた致命的な移動技術」によって人類は脅威にさらされていると書いています。自動車をそこまで嫌う理由は何ですか? 「自分で動かす乗り物」の方がはるかに次世代のためになると思われるのはなぜですか?
自動車が嫌いな理由はたくさんありますが(笑)、交通事故による死者がどれだけ多いかを見ればおわかりになるでしょう。世界保健機関(WHO)は、年間125万人が交通事故で命を落としていると推計しています。これには、大気汚染や運動不足による肥満が原因の死者数は含まれていません。また、徒歩旅行の機会もなくなるので、移動することの心理的側面にも影響を与えます。住宅地は自動車での移動を前提に設計され、より多くの人が、互いに離れて暮らすようになっています。家と職場は遠く、家族や友人からも離れ、人々はさらに孤立していくのです。
――では、自動車は所有していないんですね。
(笑)持っていません。幸いなことに、私が暮らすケンブリッジでは、自動車を持つ必要がないのです。自転車なら、少なくとも自分の筋肉を動かすことができます。時には、いつもとは違う道を探検する機会も増えます。私が言う「徒歩旅行」とはまさにこういうことですから。