あらゆる生物が持つ“体内時計”
私たち現代人は起きてから寝るまで時間に追われて生きている。朝寝坊したと慌て、電車が来ないとイライラし、締め切りに間に合わないと嘆く(私のことです)。自由気ままに生きている動物のようにゆっくり暮らしたいと思うことも多いが、彼らも決して時間から解放されて暮らしているわけではないのだ。
実際、動物は私たちが使っているような機械時計は持たずとも、睡眠・食事のタイミングや代謝、遺伝子発現といった反応が起こる時刻はかなり正確にコントロールされている。これは自身の内部にある「生物時計」の働きによるものであり、一般には“体内時計”とも呼ばれている。
生物時計には一年に一度起こるような繁殖や回遊を司る「概年(がいねん)時計」から、約一ヶ月周期の「概月(がいげつ)時計」、約1日周期の「概日(がいじつ)時計」、さらには月の満ち欠けに伴う潮汐リズムに合わせた「概潮汐時計」など、様々な種類の時計が含まれている。それらをひとまとめにして生物時計として扱っているが、通常、“体内時計”と呼ばれているものは、最も研究が進んでいる概日時計のことである。
概日時計は、先に述べた睡眠などの約24時間周期を持つリズムの制御に関わる生物時計であり、私たちヒトだけでなく、シアノバクテリアから魚類、昆虫、鳥類、植物、哺乳類に至るまで多くの生物がもっている共通の仕組みである。私たちは普段の生活であまり概日時計の存在を意識しないが、その働きを顕著に感じることができる現象として時差ボケが挙げられる。
時差ボケは旅行者があまりにも早く移動したために、自身が持つ概日時計が現地の明暗周期と一致しないために起こるものだ。現地の時刻に合わせて生活していくうちに徐々に体内時計は現地の時刻に合っていくが、この同調因子として光と食事が特に重要であることが知られている。
植物の場合では、日の長さを測ることで季節を知り、最適なタイミングで花を咲かせるのに概日時計は利用されており、この場合の同調因子は温度と光である。
シアノバクテリア以外の生物では、こうした24時間の概日リズムは転写・翻訳を介したフィードバック・ループによって生み出されている。簡単に言うと、遺伝子同士が互いに行う発現制御(遺伝子Aが遺伝子Bの発現を制御し、遺伝子Bが遺伝子Aの発現を制御する)が約24時間に一回起こるように遺伝子回路が形成されている。こうした周期的な遺伝子発現を参照することで生命は時間を知り、行動や代謝などの生理応答を決定している。
とくに私たちヒトを含めた哺乳類の場合、脳の視交叉上核と呼ばれる小さな領域に存在する概日時計が重要であることが知られている。この時計は「中枢時計」と呼ばれ、肝臓などの末梢臓器にある「末梢時計」を制御することで、体全体で同じ時刻を参照できるようにする司令塔のような役割を持っている(図1)。
鳥類や昆虫などでは中枢時計がある位置は多少異なるものの、脳(付近)が中枢時計として機能している点では類似している。つまり動物では、脳の時計は他の組織の時計に対して支配的であるという階層性が存在する。
では、植物ではどうなのだろうか。当然のことながら、植物は脳を持たない。このことは個々の組織・細胞が完全に独立して時間を測っており、概日時計の階層性が存在しないことを意味するのだろうか?それとも植物にも脳に相当するような組織がどこかにあり、そこが時計の中枢として働いているのだろうか?
図1 動物には中枢時計と末梢時計がある。植物にも「脳」のような中枢はあるのか?
植物にも「脳」が存在するのか?
植物は条件が整えばある細胞から別の細胞へ簡単に運命転換してしまう(例えば、挿し木では茎の一部が根になるが、これは動物ではまず見られない現象である)。こうしたことから植物研究者らは、植物は動物とは異なり時間を測るなどの基本的な生理応答は各細胞・組織で自律的に行っていると考えてきた。
こうした理由もあって、植物の概日時計の働きに階層性が存在するか、言い換えれば、組織ごとに概日時計の機能分担が存在するかどうかという問いはほとんど顧みられることがなかった。組織の違いは無視され、植物個体全体もしくは葉全体を対象とした研究しか行われてこなかったのだ。この考え方は本当に正しいのだろうか。植物といえども多細胞生物である以上、個々の細胞が持つ時間情報を統合し、個体として統一的な時間を測る必要があるのではないだろうか。
この疑問に答えるために、私たちは植物の各組織における概日時計が同じ性質をもっているかを調べることにした。そこで、植物の葉を構成する主要な組織である葉肉(主に光合成をするための組織)、維管束(道管や師管からなる通道組織)、表皮の3つの組織を短時間で高純度に回収する方法を開発し、葉全体と葉肉、維管束の各組織における24時間周期の遺伝子発現リズムを測定した。
その結果、葉全体や葉肉に比べて維管束では、時計遺伝子の発現量、遺伝子発現リズム、概日リズムの安定性などが異なっており、少なくとも維管束と葉肉の概日時計の性質が異なっていることが明らかとなった。つまり、植物にも組織ごとに異なる概日時計が存在することが示された。めでたし、めでたし――。
でも話はこれで終わらない。これらの概日時計はどのように機能しているのだろうか?既に述べたように動物(哺乳類)には中枢時計と末梢時計が存在しており、中枢時計のリズムが乱されると末梢時計のリズムも乱れることが知られている。しかしその反対、末梢時計を撹乱しても中枢時計には影響しない。
そこで私たちは、ある組織の時計の撹乱が他の組織の時計へ与える影響を測定することで、植物にも概日時計機能の階層性が見られるかどうかを調べた。維管束の概日時計機能を撹乱した形質転換植物と、葉肉の概日時計機能を撹乱した形質転換植物を用意し、それぞれの葉肉と維管束の概日リズムを計測した。
予想通り、葉肉の概日時計を撹乱した植物では葉肉のリズムは乱れており、維管束の概日リズムは正常であった。ところが、維管束の概日時計を撹乱した植物では維管束の概日リズムだけでなく、葉肉の概日リズムも乱れていた。
図2 維管束と葉肉間の概日時計の階層性
これは葉肉の時計は維管束の時計に影響しないが、維管束の時計は葉肉の時計に影響を与えていることを意味しており、植物にもまた維管束と葉肉の時計の間に階層性が見られることが明らかになった(図2)。