おはようございます、ポジ熊です。今回はブログを止めるブロガーに想いを馳せてみましょう。
ブログを止める
ブログを止める、ということは更新を止めるということです。止めるに至るまで色々な原因が考えられますが、当然、物理的に書けなくなった場合もありましょう。例えば仕事が超絶忙しくなったとか、ネット環境から中長期的に遠のくだとか。そういった場合もブログを止めてしまうのでしょうが、今回は「物理的には更新できるのに止めてしまう場合」について原因を考えてみたいのですよ。
人はどういう時にブログ更新を止めてしまうのか?
知識の枯渇、という可能性を考えてみましょう。確かに自分の知っている専門分野の記事を数多く筆耕していれば、いつかはその分野のネタというのは尽きるかもしれません。また、一般的にはあまりできない稀有な体験をした場合に、その内容を記事にすればその有用性から耳目を集めることができ、サイトは有名になるかもしれません。けども枯渇は早いでしょうね。何本か記事に分けたところで切り売り感は否めないでしょうし。なんだかんだである特定の情報に頼ってブログを更新している人は寿命が短いのではないかと推察できます。
さて、結論を申しましょう。知識が少ない、もしくはインプットの枯渇ごときでブログを止めてしまう人間というのは所詮そこまでだった、ということです。とっとと止めた方がいいでしょう。また、何かを入れないと「出せない」と考えてしまう人の未来もそんなに明るくないのではないでしょうか。どうしてここまで断じることができるのか、それは「ブログなんてものは更新しようというやる気があれば、いくらでも更新できる」からであります。当たり前だ、とおっしゃられるかもしれませんが、これは大事なことですよ。
そもそも「あれがないから危ない、これがないから続かない」などという発想論そのものが論理性を欠く。ブログの更新なんてのは仕組みはいたって簡単、更新すれば良い。そこに絶対的方法なんてのはありそうでないのです。本人のやる気次第で3日で終わることもあれば3年続くこともある。それだけ根性や精神論が大きい分野であると考えます。
インプットが足りない?そんな人には今までの人生を呆けて生きてきたのかと問う。身の回りの物品にインスピレーションが湧かないくらい死んだ目で世界を見ているのか。何を題材にしてもブログなんてのは書けるのですよ。たとえネタが心の中にあろうともね。原理的な考え方は強いですよ、弱点がない。
この人は止めちゃうのではないかブログ
はっきりいってこんなものは傍からはわかりません。こういうブログが危ないだとか、こういうブログは続きやすいだとか。何十人何百人のデータに基づいて検証してみなければそのようなことは言えない。ただ、想像するに、誰かのブログが危ういと思いうブログこそが危うい可能性がある。自分もその思想があるに他ならぬからです。「自分だったら止めちゃうかも」このような発想をするからこそ、他所のブログに危うさを覚えるものです。
繰り返しますが、ブログを更新する上でこれが必要だとかあれが必要だとか論じている時点で弱い。論拠を自分において自信を持って更新している以上は、終わりなどが頭にちらつくことなどないのです。拠り所は自分です、どんなに主義主張を連日書き連ねてもOKです、ブログなんて止めようと思わなければ止めないもんです。