この方が北白川肇子さんです!
列外派で何度も出てきている北白川肇子さん
もしかしたら皆さまの中には
「って言うか北白川さんって誰?どんな人?」
という方もいらっしゃるかもしれない。
と言うことで初心に戻って北白川肇子さんを紹介しちゃうよー!
(北白川肇子さんのお写真を見る限り、ぶっちゃけ美智子さまよりも魅力的な笑顔だよね。見るからに性格が良いことがわかるもん。)
北白川肇子さん
昭和14年11月生まれ。
旧皇族北白川宮家のご出身
お母様は尾張徳川家出身の北白川祥子さん
香淳皇后に長く仕えた女官長でした。
肇子さんのおばあさまは明治天皇の第七皇女
肇子さんの母方の祖父も侍従
そして常陸宮妃華子さまの従姉妹です。
(北白川祥子さんのお兄さんが華子さまのお父様)
肇子さんは11歳の頃から皇太子妃候補として注目されていました。
戦後臣籍降下してからも毎年元旦には皇居で昭和天皇香淳皇后明仁皇太子と御挨拶されていました。
当時学習院で学ばれていた肇子さんは初等科以来常に学年で1,2を争う程の優秀な成績。
また運動神経もぴか一でバレーボール、アイススケート、スキーなどがお得意でした。
「明朗闊達、お茶目な性格」。
当時のマスコミからも「皇太子妃として相応しさをもつ女性」として記事にされました。
『入江日記』にはこう書かれています。
小野君はもう北白川さんに決まつたといふ原稿の依頼。桐山君、清水君が来たがこれはまだ知らないらしい
(昭和32年11月29日)
小野君とは小野昇という読売新聞の記者です。
もう庶民にも北白川さんで決まりと思われていました。
北白川さんにほぼ決定して常磐会会長の松平信子さんも肩の荷がおりたことでしょう。
ところがどっこい。
小泉東宮参与、黒木東宮侍従らが水面下で正田美智子嬢を皇太子妃にしようと画策していました。
で、ギリギリまで反対しそうな女性陣には黙っておいて
もう引き返せなくなってから良子さまや皇族そして松平さんへ知らせました。
そりゃ怒るよ。
松平さんは面目丸つぶれだし、北白川肇子さんや北白川家の皆さまにも失礼だもの。
だから↓こう言ったんだよね。責任はあんたらにあるからね!って
まあ、頭と性格と根性が悪い明仁皇太子と結婚しない方が幸せだったかもしれません。
北白川肇子さんはその後、島津家の分家である侯爵家だった玉里島津家(単に玉里家とも呼ばれることもあります)の4代目当主島津忠廣氏とご結婚されます。
結婚式には双方の親戚である島津久永さんと島津貴子さん夫妻も招待されました。
肇子さんの娘さんの島津彩子さんは徳仁皇太子殿下の皇太子妃候補と騒がれました。
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(島津彩子さんは平成元年に徳仁皇太子殿下の御学友とご結婚されました)
(肇子さんだけではありません。
同じく有力な明仁皇太子のお妃候補だった島津純子さんの娘さんは徳仁皇太子殿下の皇太子妃候補の波多野真理さん。
他にも、明仁皇太子のお妃候補だった伏見章子さんの御嬢さんは徳仁皇太子殿下のお妃候補となった草刈智子さんです。
上の動画に出ています。
そういえば雅子さまのお母上である優美子さんも皇太子妃候補の一人だったとか。(有力ではないでしょうが))
もしかしたら皆さまの中には
「って言うか北白川さんって誰?どんな人?」
という方もいらっしゃるかもしれない。
と言うことで初心に戻って北白川肇子さんを紹介しちゃうよー!
(北白川肇子さんのお写真を見る限り、ぶっちゃけ美智子さまよりも魅力的な笑顔だよね。見るからに性格が良いことがわかるもん。)
北白川肇子さん
昭和14年11月生まれ。
旧皇族北白川宮家のご出身
お母様は尾張徳川家出身の北白川祥子さん
香淳皇后に長く仕えた女官長でした。
肇子さんのおばあさまは明治天皇の第七皇女
肇子さんの母方の祖父も侍従
そして常陸宮妃華子さまの従姉妹です。
(北白川祥子さんのお兄さんが華子さまのお父様)
肇子さんは11歳の頃から皇太子妃候補として注目されていました。
戦後臣籍降下してからも毎年元旦には皇居で昭和天皇香淳皇后明仁皇太子と御挨拶されていました。
当時学習院で学ばれていた肇子さんは初等科以来常に学年で1,2を争う程の優秀な成績。
また運動神経もぴか一でバレーボール、アイススケート、スキーなどがお得意でした。
「明朗闊達、お茶目な性格」。
当時のマスコミからも「皇太子妃として相応しさをもつ女性」として記事にされました。
『入江日記』にはこう書かれています。
小野君はもう北白川さんに決まつたといふ原稿の依頼。桐山君、清水君が来たがこれはまだ知らないらしい
(昭和32年11月29日)
小野君とは小野昇という読売新聞の記者です。
もう庶民にも北白川さんで決まりと思われていました。
北白川さんにほぼ決定して常磐会会長の松平信子さんも肩の荷がおりたことでしょう。
ところがどっこい。
小泉東宮参与、黒木東宮侍従らが水面下で正田美智子嬢を皇太子妃にしようと画策していました。
で、ギリギリまで反対しそうな女性陣には黙っておいて
もう引き返せなくなってから良子さまや皇族そして松平さんへ知らせました。
そりゃ怒るよ。
松平さんは面目丸つぶれだし、北白川肇子さんや北白川家の皆さまにも失礼だもの。
だから↓こう言ったんだよね。責任はあんたらにあるからね!って
まあ、頭と性格と根性が悪い明仁皇太子と結婚しない方が幸せだったかもしれません。
北白川肇子さんはその後、島津家の分家である侯爵家だった玉里島津家(単に玉里家とも呼ばれることもあります)の4代目当主島津忠廣氏とご結婚されます。
結婚式には双方の親戚である島津久永さんと島津貴子さん夫妻も招待されました。
肇子さんの娘さんの島津彩子さんは徳仁皇太子殿下の皇太子妃候補と騒がれました。
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(島津彩子さんは平成元年に徳仁皇太子殿下の御学友とご結婚されました)
(肇子さんだけではありません。
同じく有力な明仁皇太子のお妃候補だった島津純子さんの娘さんは徳仁皇太子殿下の皇太子妃候補の波多野真理さん。
他にも、明仁皇太子のお妃候補だった伏見章子さんの御嬢さんは徳仁皇太子殿下のお妃候補となった草刈智子さんです。
上の動画に出ています。
そういえば雅子さまのお母上である優美子さんも皇太子妃候補の一人だったとか。(有力ではないでしょうが))
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