2016年1月10日ジャーナリスト竹田圭吾氏が51歳の若さで亡くなった。竹田さんは2001年から2010年まで『ニューズウィーク日本版』編集長を務め、近年ではテレビ番組のコメンテーターとしても活躍した。竹田さんの妻・裕子さんが「新潮45 3月号」に手記を発表し、竹田さん最期の日々を綴ったその感動的な内容が話題となっている。
手記は竹田さんが最後の入院をした1月5日から始まる。この日竹田さんは朝から事務所でなんとか仕事をしようと机に向かっていたという。娘さんの作ったすりおろしりんごを食べた後、裕子さんは竹田さんの異変に気付いた。以下《 》内は「新潮45 3月号」より抜粋。
《食後に水を飲もうとしてちょっとむせた。その後も何回か水分を摂ったけれど、今までと違う。水分すらうまく飲み込めない? 不安になり病院に行こうと言ってみるけど、本人からはいとも簡単に「いやだ」と言われてしまった。夜になり、熱があることに気づいた。なるべく冷静に、なるべく刺激をしないように、熱があること、早く処置をしてもらったほうが安心なことを話し、子どもたちにも加勢してもらってようやく病院へ行くことになった。病院ではすぐに点滴を入れられた。期せずして娘が作ってくれた特製すりおろしりんごが最後の食事になった。》
竹田さんが「がん」と診断されたのは2013年9月のことだ。二人の子どもにどう話そうかと悩んだ竹田夫婦は病名をはっきりとは明かさなかったという。
《そんな子どもたちが主人の詳しい病名を知ったのが今回の入院直前だった。自力で動けなくなっていた主人を、救急車で病院に連れて行くことになった。
救急隊員の方に訊かれるまま病院名や主人の状態などを話しているとき、「何のがんですか」と言われた。そばには子どもたちがいる。一瞬躊躇したが「膵臓がんです」と答えた。主人に付き添い私は救急車に乗って病院へ行った。娘はその晩インターネットで膵臓がんを調べ、「覚悟をした」と言った。》
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