ロールモデル
「社内にロールモデルとすべき人がいない」との話をよく聞きます。
ロールモデルとは、自分にとって「行動や考え方が、お手本となる人」のことですね。
まさに、社内に目標とすべき人や憧れの人がいなくなった、ということです。
「会社の内にいる人たちを見回したときにどう思うか」という、いたって主観的な話ですが、言われてみると、「たしかにそうかも」と思います。
感覚的には、終身雇用・年功序列が崩れ、また、コンプライアンスの浸透によって、かっては「大きい存在」であった上司や先輩たちが、窮屈そうにしている「ただの人」としか見えなくなったから、だと思っています。
いずれにしても、社内に「ロールモデル」と呼べる人がいないことは、さびしい話だと思います。
メンター
一方、会社の中には、ゆるやかな「徒弟制度」もあります。
これも、効率化に伴う人減らしと組織のフラット化などにより、「制度」としては失われつつあるかもしれませんが。
この会社の中における「徒弟制度」は、メンタリング論として整理されています。
経験豊かな人(メンター)が、未熟な人(プロテジェ)のキャリア形成に関して支援することをさします。
新入社員に対して、若手の先輩社員が担う「指導係」という仕事も、メンタリングと言えます。
さて、このメンタリングは、「キャリア的機能」と「心理社会的機能」に分類されています。
キャリア的機能
メンターの組織的地位や影響力などをもって発揮できる支援行動で、いわゆる「上司」がその役割を担うもの。
具体的には、以下の5つの行動が含まれます。
- スポンサーシップ
- 推薦と可視性(目に見えるような引き立てたてを行うこと)
- コーチング
- 保護
- チャレンジングな仕事の割り当て
これらの行動を通じて、プロテジェが仕事を覚えたり、昇給・昇格するといった客観的なキャリアの支援をなすもの、と言えます。
心理的社会機能
お互いの信頼関係と親密性をベースとしており、メンターに地位や影響力がなくても成立するもの。
具体的な行動は以下の4つ。
- ロールモデル
- 受容と確認
- カウンセリング
- 友好
プロテジェが自分の能力に対する意識や、明確なアイデンティティの形成、自己有能感(自分が組織に役立っているという存在意義確認)を促すもので、主観的なキャリアの発達を支援するといえるでしょう。
理想的なメンターとは
「キャリア的機能」と「心理社会的機能」を並べてみると、
有能な上司と信頼関係を結び直裁的な指導を受ける
ことが、プロテジェにとって最高だといえますが、現実的には難しいでしょうね。
一方、自分が指導する立場になったとき、それも「上司」ではない場合、どうでしょうか?
メンターとして、上述の「心理的社会機能」に取り組むでしょうか?
社内にロールモデルがいなくなった、もうひとつの理由
「徒弟制度」が失われつつある中、仕事としてメンターの役割までは期待されなくなっているように感じています。
後輩なり新入社員が配属され、「指導係」を仰せつかった際、仕事や事務手順を教え「独力で仕事をこなせる」までは指導したとしても、精神的な面まで踏み込むことは、そんなにはないと思うのですね。
一方、終身雇用・年功序列全盛期においては、「心理的社会機能」を担うメンターは、当たり前に存在していたと。
プロテジェの立場からすれば、鬱陶しい存在なのですよね。
上下関係や礼儀作法にうるさく、精神論をぶたれる。
毎晩のように飲みに連れて行かれては、ガミガミと説教もされるわけです。
「もういい加減にしてくれ」と思うのですが・・・。
悩みを言えば、親身になって相談にのってくれますし、何かことが起きたときには、一生懸命になってカバーし、あるいは、知らないうちにフォローしてくれています。
仕事として、というよりも、かわいい後輩を守る、そんな意識の人がたくさんいたように思うのです。
そういう人は、煙たいけれど、身近なロールモデルであったわけです。
(やるのは前半部分だけ、という人も、多々いたと思いますが・・・)
それが、良し悪しは別にして、この手のメンター、あるいは、師匠となる人がだんだんと少なくなっていると思うのです。
そして、このことが社内にロールモデルがいないと思う、もうひとつの大きな理由だと思うのです。
世の中に求める人
社内にロールモデルがいないという人は、どうしているのか。
自分で作った理想像に向かう人もいれば、ロールモデルも理想像も持たない人もいるでしょう。
そして、会社の中ではなく、広く世の中にロールモデルを求める人も。
これは、社会人のみならず、学生にも当てはまることでしょう。
世の中で成功している人に憧れ、ロールモデルとするのは、明治時代から(もしかしたらそれ以前から)あった話です。
ところで、以前と今と比べて何が違うのか。
身の回りにロールモデルとなる人がいなくなったこととあわせ、「成功している人」とのキョリを縮めるツール、つまりインターネットという強力な情報伝達ツールが、世に広まったことが上げられます。
ロールモデルとなる立身出世を遂げた偉人のことは、21世紀初頭までは口伝か伝記本、そして、マスメディアを通じて見る・知るという状況でした。
それが、ネットの普及に伴い、自発的でコントローラブルな情報発信が簡単に、しかも双方向性でのコミュニケーションができるようになったことで、より多くのロールモデルとされる人が(そのレベルを低下させつつ)出現し、それに能動的に関与しようとする人が増えてきた、と言えるでしょう。
師匠を名乗る詐欺師
このように、ネットを主戦場に「ヒーロー」が出現し、ロールモデルになるケースが増えたのではないかと思います。
ここでの問題は、自らを「ヒーロー」として作り上げることが容易になったため、ニセモノが横行し、詐欺まがいの商法がはびこっていること、だと思います。
その典型的な手口として、
豪勢な暮らしぶりを喧伝することで、一般の人に憧れを抱かせ、「誰でもなれる・できる」と煽っては、そのノウハウと称するものを高額で販売する
ことが上げられます。
言うまでもなく、本人の豪勢な暮らしを支えているのは、ノウハウを買わせる仕組み、もしくは、借りたお金で、販売しているノウハウによって生み出される利益そのものではありません(多少はあるかもしれませんが・・・)。
よって、この時点ですでにニセモノを売りつけていると言えるわけですが、購入者にとっては、その成功者はロールモデルであり、成功ノウハウを伝授してくれる「お師匠様」なわけです。
上の例は、「秒速のなんちゃら」で有名だった人の話ですが、いろいろと見聞きするところによると、似たような話が今だにゴロゴロしているようです。
もちろん、レベルも規模も小さいです。さらに言えば、やっている本人が詐欺まがいの行為であると気づいていないケースもあるかもしれません。
ですが、「迷える子羊」に対して、師匠然としながら言葉巧みに誘惑し、お金と場合によっては時間や労力を毟り取っているのですね。
ま、「迷える子羊」もほとんどはいい大人でしょうし、いい加減に気づけよ、と思いますが・・・。
まとめ
この手の商材、あるいは、セミナーやサロンと銘打った情報ビジネスは、たくさんあります。中には、しっかりとした情報を適正に販売しているものもあるでしょう。
なので全てを否定するつもりはありません・・・。
ですが、詐欺まがいの行為が横行する背景のひとつとして、本当の意味で身近なロールモデルやメンターが少なくなっていることがあるのでは?と考え記しました。
それでは、また、次回!