私は「仕事があることに感謝しろ」という言葉が、あまり好きではない。
感謝というのは、人間の美しい感情だが、
人に強要されてするものじゃないと思う。
「仕事があることに感謝しろ」という言葉を聞く度に、
私は「まるで奴隷に対して言っているような言葉だ」と感じる。
衣食住の基本的なニーズを満たし、生きていくためだけに働くのなら、
乱暴な言い方だが、奴隷も同じようなものじゃないかと思う。
奴隷の主人にとって、奴隷は「財産」だから、
死なせないように食べ物を与え、寝る場所を提供し、
凍えないようにボロでも服を着せるだろう。
そして、その奴隷の主人は、以下のように言うだろう。
「お前が生きていられるのは、誰のお陰だ。
俺が食べ物をやり、寝床を与え、服を渡しているからだろうが。
その代償として働くのは当たり前だ。
お前に働く仕事があることに感謝しろ。
仕事があるお陰で、お前は食べ物にありつけ、寝床を得ることができる。
お前が生きていられるのは、俺のお陰だ。」
「お前が生きていられるのは、誰のお陰だ」という言葉も嫌いだ。
私の心臓を動かして、呼吸を可能にしているのは、他でもない私自身だ。
どんなにお世話になった人でも、
その人は代わりに私の心臓を脈打たせ、血液中を全身に巡らせ、
私の身体の37兆の細胞を生かすことはできない。
人は誰でも、例え赤ん坊であっても、
自分で自分の生命を維持して生きているのだ。
感謝の強要を受け入れてはいけない。
みな自分の足で立って生きていることを忘れてはいけない。
そんな風に思ったので、徒然なるままに思ったことを書いてみました。
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