認知症の男性が徘徊(はいかい)中に線路に入ってしまい、列車にはねられて死亡した。この際の振り替え輸送などの損害賠償をJR東海が遺族に求めていた訴訟で、最高裁はきのう「遺族に賠償責任はない」との判決を下した。

 事故は2007年末に発生。一審は長男に、二審は妻に男性の行動を監督する義務があったとしたが、最高裁は「夫婦だから」「子供だから」というだけでは監督義務があるとは言えないと判断した。

 認知症になった人の言動に神経をすり減らしながらも、懸命に対応しているのが在宅介護の現状だ。判決は、実態に即したもので妥当と言える。

 今回のケースでは、同居している妻も要介護認定を受けた「老老介護」で、長男は遠隔地に住んでいた。家族が重い責任を負わされれば、認知症の人を閉じ込めることや身体拘束を助長しかねない――。介護に携わる人たちからはそんな懸念が出ていた。

 判決も補足意見で、介護する人に責任を負わせれば、認知症の人の行動を過剰に制限することになりかねないと言及した。人の尊厳を守る大切さを改めて指摘したと言えるだろう。

 一方で、被害を受けた側をどう救うのか、という課題は残った。民間の個人賠償責任保険などを整備・拡充することで対応できるのか。新たに公的な基金や救済の仕組みを考える必要があるのか。今後の検討課題だ。

 高齢化が急速に進む日本では、認知症になる人も増えていくと予想されている。一人暮らしや高齢者だけの世帯も増える。徘徊は防ぎきれないという前提に立って、個人や家族任せではなく、地域で広く支える仕組みが必要だ。

 先駆的な取り組みで知られる福岡県大牟田市は、認知症の人が行方不明になったときに行政だけでなく地域の各団体、登録した市民に一斉メールで情報発信するネットワークを作り、市全域で模擬訓練もしている。目指すは「認知症になっても安心して歩ける町」だ。こんな取り組みを各地に広げたい。認知症の人や家族が、初期段階から必要な医療を受けたり相談したりできる環境作りも欠かせない。

 昨年1月に公表された認知症施策の国家戦略「新オレンジプラン」で、政府は「住み慣れた地域で自分らしく暮らし続けることができる社会の実現」を掲げている。判決を機に、この歩みを着実に進めていきたい。

 認知症の人が安心して暮らせる社会は、誰にとってもやさしい社会になるはずだ。