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東京五輪最終聖火ランナーの坂井義則氏が死去 69歳 「原爆の子」平和の象徴として大役担う
昭和39(1964)年東京五輪の開会式で最終聖火ランナーを務めた坂井義則(さかい・よしのり)氏が10日午前3時1分、脳出血のため東京都内の病院で死去した。69歳だった。通夜は13日午後6時、葬儀・告別式は14日午後0時、東京都練馬区関町北4の16の3、本立寺で。喪主は妻、朗子(ろうこ)さん。
広島に原爆が投下された20年8月6日、広島県三次市で生まれた。中学で陸上競技を始め、早大では日本陸連の強化指定選手に選ばれた。東京五輪の代表選考会で敗れた後、聖火ランナーに選ばれ国立競技場の聖火台に点火する大役を果たした。国内外のメディアは当時19歳だった坂井氏を「アトミック・ボーイ(原爆の子)」と呼び、戦後復興と平和の象徴とされた。
41年バンコクアジア大会では1600メートルリレー金メダル、400メートルで銀メダルを獲得した。
早大卒業後はフジテレビに入社。スポーツや五輪の報道に携わり、スポーツ部専任部長などを歴任。現在はフジクリエイティブコーポレーション制作部のエグゼクティブプロデューサーを務めている。