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トイアンナのぐだぐだ

まじめにふまじめ

なぜ女と働くと「わがままで、めんどくさい生き物で、意味不明」と感じてしまうのか?

女性の生き方 キャリア

家事代行サービス企業の役員・K氏が書いた「女性に読んでほしくない女性のマネジメントについて」という記事が炎上した。すでに元記事は削除されてしまったので要約すると、女とはこういう生き物らしい。

 

  1. 口は出すが責任は負いたくないわがままな生き物
  2. 「何がなんでも1億円目指すぞ!」といった数字だけでやる気を出さないめんどくさい生き物
  3. 問題を解決できなくても、辛さに共感してくれればいいと思う意味不明な生き物

 

個人的な感想としては「女性顧客を多く抱える企業の役員が女をバッシングしたら、中身が何であれ悪手でしょう」という一言に尽きるが、1点だけ同意したのはK氏が女性を「わがまま、めんどくさい、意味不明」と自分が理解できないものとして認識していた部分だ。

 

K氏が本当に除外したのは「俺と違う奴全員」

まずはこのK氏が描いた女性像の例を挙げよう。

男性は「何がなんでも1億円目指すぞ!」と言ったら頑張る人がいますが、女性は「数字を追うというだけで毎日燃えられる意味がわからない。」と思っています。

「何のためにこの仕事に取り組むべきか?どのような意味があるのか?」ということの説明が必要です。

この引用を見て「俺、男だけど別に数字を見せられても燃えないぞ……」とひっそり思った方も多かったに違いない。

K氏のように高い目標数値を見せられただけで「おっしゃ!この仕事やったるで!」と思っている人間は社会人の何割だろうか。家庭第一で子供を幼稚園に迎えに行くのが何よりも楽しみな人もいれば、ネットゲームに課金するため仕方なく現実世界で稼いでいる人もいるだろう。漫画『新社会人よ、窓際を目指せ 』のようにしょっぱなから左遷を願う人もいる。

 

こういう人たちはK氏にとっては全員理解できない「めんどくさい生き物」となってしまう。K氏は女性は「高い目標値を見せられても燃えない人」だと批判したが、その実「俺と違う感覚で仕事をしている奴」を「めんどくさい生き物」として理解の外に置いたのだ。

 

多様性はめんどくさいもの

であるにもかかわらず私がK氏に同意するのは「自分と違う感覚を持つ人って、理解するの難しいよね」と認めているところだ。企業ではよく同質の人間が集まることを「社風」と称す。同じようなメンタリティを持った人間同士で仕事をすると事が早い。仕事の動機付けもワンパターンでいいし、意思決定も早そうだ。

こういった背景から、日本ではモノカルチャーを享受する企業も多い。総合商社は今でも体育会系・高学歴男子を求める傾向にある。メガバンクは出身校はおろか、出身部活動で出世が決まることもある。多様性?何それ美味しいの?と思いたいのが伝統的日本企業の実情だろう。 

 

だがすでに政府は「一億総活躍社会」を標榜してしまった。そこで急ごしらえの「多様性」、特に女性雇用が求められるようになった。総合職の女性はいりません! と宣言する勇気がある企業はいまや少ないだろうし、もっと進んだ企業では多様な国籍・宗教・性的志向の人材を意欲的に採用している。

 

だが本来、多様性には手間もかかる。たとえば、こういった努力だ。

  • 相手のタブーを知り、言わないようにする
  • 自分が理解できない行動を取っても腹を立てず「そういうものだ」と受け止める
  • 丁寧に仕事を説明し、相手の立場に立って動機付けする

そしてK氏の発言は多様性ブームに対する「でもそれって、めんどくさいじゃん!」という正当なアンチテーゼだったと思われる。

K氏の所属する家事代行サービス業のようなメガベンチャーですら牛耳っているのは30代、ジム通いが趣味な体育会系志向の男性だったりする。これまでの人生で「マッチョッチョな男社会で同質化して生きるのってキモチイイ」と味わわせられてきたのにいきなり異物の「女性」とやらをマネジメントしろと言われた。ふざけるな! という急激な多様化に対する悲鳴とも言えるだろう。

 

「めんどくささ」を減らすのがマネジメントの責務

だが私はK氏を援護しない。なぜならその「めんどくささ」を減らすことがマネジメントの仕事だからだ。

 

K氏が現場の平社員ならまだ分からないでもない。例えば中高男子校から進学し、大学では体育会系サークルに所属。趣味は自転車と格闘技っス、みたいな男性が就職後、初めて女性総合職を育成する環境に置かれ「何で俺が女のマネジメントなんかやらなきゃいけないんですか!」と上司に泣きつくことはあるだろう。

だがそこで「めんどくささ」を制度や決め細やかな指導で減らしていく会社設計こそ、役員レベルのマネジメントが取るべき責務ではなかったか。

 

たとえばK氏は「面談で女性を泣かしてしまった回数は50回以上」と同記事で書いていた。50回も人を泣かせる業務には改善点があるはずだ。

もしかすると面談システムが多様化した企業にそぐわないスタイルになっていなかったか。相手に気を配る話し方を研修で新卒時から教えれば双方のストレスを軽減できないか。パワハラになる前に防ぐ制度を作れないか?

 

そういった制度を用意して、多様性に伴う「めんどくささ」を減らすことがK氏の責務であったはずであり「多様化とか言ってるけど、女ってわがままで、めんどくさい生き物で、意味不明。でも諦めればいいとわかった。受け容れるしかない」と書いてしまうのは現場社員の愚痴でしかない。マネジメントの仕事ではない。

 

多様化のスイッチはすでに押された。これから同様に「なんで女ってこうなんだ」「なんで○○人って」「なんでXXな奴は」と頭を抱える機会は増えていくだろう。あとはどうやってお互い幸せになれるか、制度を一緒に考えようじゃないか。

今日はそんな話をしたかった。