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第二話:ラズベリーと蜂蜜
森を抜けたところにあるのは一面の花畑。
ここにある花は、背の高い蔦に、白い小さな可愛らしい花をつけている。
正体はラズベリー。
この花畑は、森に自生していたラズベリーを株分けして、俺とティナで作り上げた。
「うわぁ、クルト様、すっごく綺麗です」
ティナがはしゃいで、花畑の前で感嘆の声を上げる。
笑みを浮かべて振り向くティナ。花畑をバックにするティナは綺麗だった。
「確かに綺麗だ。花も素敵だけど、もう少ししたら、ラズベリーが収穫できる。楽しみだね」
「はい、ラズベリーは甘くて酸っぱくて大好きです!」
花畑を作ったのは、花を愛でるためじゃない。
アルノルト家の治める土地は貧乏だ。俺が治めている一番新しい村は特に。そんな中、観賞用の花を育てる余裕なんて無い。
なら、なんでそんなものを育てているのか? それはもちろん、この世界で一番の菓子職人になるという夢のためだ。
ラズベリーはお菓子の材料になるが、目的はそれだけじゃない。
ラズベリーは多年草で年に二回実を収穫できるし、それは年に二回花をつけるということ。ここが重要だ。さらに、もともとが山に自生していた品種なので、病気にも虫にも強いし、手もかからない。
花畑の隅には、高さ五〇センチほどの木箱が十個ほど並んで置かれていた。
木箱は下段のところに通路が用意されており、その通路を忙しく蜂が行き来している。
「ハチさんも、ラズベリーが好きみたいですね。たくさん花の蜜を吸ってます」
「ラズベリーは花の蜜も甘いからね。ラズベリーを吸ったハチが作る蜂蜜は、すっきりした甘さで、おいしくなる」
俺とティナがやっているのは養蜂だ。
日本と違い、この世界では甘味は非常に貴重だ。
お菓子に必須の砂糖なんてまず手に入らない。砂糖以外の甘味となると果物か、はちみつ。前者は季節に大きく左右されるが、はちみつなら保存が利く。
はちみつを安定して手に入れること、それがないと何も始まらない。
幸い、領地にはミツバチが生息していた。
なので、俺は日本に居た頃の経験を活かして養蜂をすることにした。山梨の実家は養蜂と果樹園で生計を立てており、少なからず知識があった。
養蜂をせずに、採取するという手も考えたが、野生の蜂の巣を見つけるのは大変だ。はちみつを得るために毎回巣を潰さないといけないので、やり過ぎるとあっという間に数を減らす。それにそもそも野生のハチの巣から取れる蜜の量が少ないという問題があった。
「ティナ、準備はいいか」
「はい、クルト様!」
俺たちは全身を覆う麻の服に着替える。
蜂の針が通らないようにするためにかなり分厚くしているし、蜂の嫌がる臭いを染みつかせている。
ミツバチたちは気性は穏やかで自分から人間に襲いかかったりしないが、巣に近づくものには必死に襲い掛かってくる。
慎重に木箱に近づく。
何百匹ものハチたちが俺たちに群がってくる。
それを無視して木箱の上蓋をとる。蜂が恐ろしい勢いで空に向かって飛び立つ。
そんなハチたちを掻き分け木箱の中に手を伸ばした。
木箱の中には十枚の板が等間隔に入っている。これら一枚一枚が蜂の巣だ。
一枚を取り外す。板には蜂の巣らしい六角形の穴がたくさんあいており、そこには蛹や幼虫……そしてたくさんの蜜が詰まっている。その証拠に綺麗な蜂蜜色に染まっている。
ブラシで巣にくっついているハチを落とす。
「いよいよ、蜜を採るんですね」
ティナがごくりと喉をならした。
随分と彼女を待たせたものだ。
「随分と時間がかかったね」
養蜂は三年前からはじめた。一年目は悲惨だった。野生のミツバチの巣をみつけて、女王蜂と雄蜂を手に入れて木箱の巣に居れてみたが、木箱の出来が悪く全滅。その後、めげずに試行錯誤を繰り返して、なんとか木箱の中に巣を作るところまで行った。
そこから巣を大きくし、蜂を増やすことに成功したのはいいが、まだまだ働き蜂の数が足りずに蜜をどんどん生育に使われてほとんど収穫できなかった。
まずは蜂を増やすことに専念しようと、どんどん巣枠を増やしていったが、寒さ対策が不十分で頑張って増やしたハチたちが冬に全滅。
二年目は同じように蜂を増やすところから初めて、なんとか冬を乗り切り、さらに増えた蜂に対する餌不足を解消するために巣箱の近くに花畑までこしらえた。ハチたちが遠くまで蜜を探しにいけば、それだけ働きバチたちは、花の蜜を食事に使ってしまう。巣の近くにたっぷりと餌を用意してやると、飛躍的に巣に溜め込む蜜の量が跳ね上がる。
そして、ようやく今日の収穫に至った。
「どうですか、クルト様、いい感じですか?」
「きっちり、蜜の蓋もできてるし、ほら今も蜜が滴ってる。いい感じだよ」
巣箱のよこにある道具に巣枠を動かしながら答える。
その道具は分離機といい、ドラム缶のような形で、中に巣枠を縦に固定するための金具がついている。……原理は単純なので苦労はしたものの、なんとか作れた。
巣枠をかっちりと嵌めて、まずナイフで巣の表面こびりついた固まった蜜で出来た蓋を取る。
蜜が乾いて自然に蓋のやくわりを果たすのだ。蜜の蓋をとると、とろっと黄金色のはちみつが流れて、分離器の底に溜まっていく。
「さて、行くよ」
分離器の上部には手回し式のハンドルがついている。それをくるくる回すと、巣枠を固定している部分が中で回転する。
すると、遠心力によってどんどん蜜が流れていく。
原始的な手法だと、巣を圧搾して根こそぎ蜜を絞りとる。確かにそちらのほうがたくさんの蜜を取れる。だがハチの巣を潰してしまうのだ。遠心力で取り出す方法だと蜜だけを取れて巣を再利用できる。
巣箱にこの巣枠を戻すと、また蜂たちが戻ってきてくれるので、来年も採取できるのだ。ハチにとって巣作りは重労働。巣を作り直させるとハチたちは働き蜂を増やす余裕も、蜜を溜め込む余裕もなくして、次の蜂蜜の採取量が激減する。
一通り、蜜を絞りとったあと巣箱に巣枠をもどして新たな巣枠をもってくる。
それをすべての巣枠に対して行った。
途中で疲れてきたのでティナに替わる。
「うわあ、たっくさん採れましたね、クルト様! こんなにたくさんの蜂蜜初めてみました!」
目を輝かせて、ティナは尻尾をふる。
この時代、蜂蜜はとっておきのご馳走だ。
森の中を血眼に探しても一日で一つ見つかるかどうか。見つけても野生の蜂の巣の蜜の貯蔵量は少ない。
「うん、やっと成果が出た。正直、何度も駄目かと思ったよ」
まる二年間ろくに蜂蜜が採れなかった。よくティナも付き合ってくれたものだ。
俺たちは、一つの木箱から取り出したハチの蜜を抱えて場所を移して、分厚い服を脱ぎ捨てる。
「これ、舐めていいですか!」
「ちょっと待ってね。最後の仕上げをするから」
大きなバケツを取り出す。
そして、分離器に目の粗い布を取り付けて濾していく。
巣から取り出しただけの蜂蜜には、ゴミや、幼虫、死骸や、蛹の殻、巣の欠片など、いろいろと混じっているのだ。
それを一気に綺麗にする。こうしないと蜂蜜は食べれない。
そしてようやく、蜂蜜ができた。一つの木箱から一三リットルほど。いい感じだ。
「さあ、食べてみよう」
俺とティナは蜂蜜に指を突っ込む。
蜂蜜が指にべっとりとつく。そして、ぺろりと舐めた。
甘い。ほっぺたがとろけそうになるほど甘い。ラズベリーの蜜を吸ったハチが作った蜂蜜だからなのか、ほのかな酸味がした。
ティナは、両手でほっぺを抑え、声にならない声をあげて、最高の笑顔を浮かべる。
よほどお気に召してくれたようだ。
「残りの木箱はまた明日にしよう。今日は帰ろう。帰ったらこの蜂蜜でお菓子を作ろうと思う」
「うわぁ、クルト様のお菓子! 楽しみです!」
ティナが目を輝かせて、尻尾をふる。
「今までよりも、ずっと甘い素敵なお菓子を作るから期待しておいてくれ」
「そんな、そんなの、もう幸せすぎて死んじゃいそう」
まったく、ティナは大げさだ。
今までティナに作ったお菓子は、この山に自生するアケビや山ぶどうを使ったものぐらいだった。
微かな甘さはあるものの、やはりお菓子としては物足りない。
だが、こうして蜂蜜……それも極上のものが手に入った。
久々に腕がなる。
本当のお菓子を作れる!
さあ、この世界での夢の第一歩、最高のお菓子を作ってみせよう。
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