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スーパーにならんでる豆乳飲料の味、多すぎやしないか? 場合によっては逮捕だ
一体いつ頃からだろう、私たちが豆乳の新しい味に驚かなくなったのは。
豆乳飲料おしるこ味。バニラアイス味。コーラ味。気づけばスーパーに豆乳があふれかえっている。こんなに要るんだろうか。 多すぎやしないですか、豆乳の味。メーカーに事情を聞いた。場合によっては即逮捕だ。 > 個人サイト Twitter(@ohkitashigeto) 明日のアー 入社以来22年間ずっと豆乳にたずさわってるキッコーマン飲料の大島秀隆さん。豆乳マイスター"プロ"だそうだ
出しすぎではない――大島さんはずっと豆乳作ってるんですか?
「入社して22年ですか、ずっと豆乳ですね」 ――これはちょっと出しすぎだなという意識はありますか? 「ないですね」 ――でも豆乳が牛乳のようなものだとしても、コーラと牛乳まぜた飲み物ってないですよね 「ノンアルコールビールってあるじゃないですか。ノンアルコールっていってるけど実は清涼飲料で、アルコール飲んでる雰囲気を付与してるだけじゃないですか。そこから考えると全然ありじゃないの?って。 モンブランの味(マロン)だったり焼きいもの味だったりジンジャーエールの味がする無炭酸の豆乳とかそういうものがあってもいいんじゃないの? とは思います」 なんでこういうことになってるのか最初っからきかせてもらいます。場合によっては逮捕しますので 場合によっては逮捕だ(※筆者です)
豆乳飲料黎明期大島「紀文(※後に豆乳はキッコーマン飲料株式会社に移る)が豆乳という名前で発売したのは1979年ですかね。」
――そもそも豆乳というものがなかったんですか? 「豆腐があったので飲んでる人は飲んでただろうし豆乳と言ってたとも思うんです。 でも飲み物としてどう発売するかって色んな名前考えて、豆乳という名前をつけて、豆乳協会を設立して豆乳類というものの位置づけを食品の中で作りましょうというのを色んなメーカーと一緒になってやったんです。 ちなみに、出した当初は、なんだかよくわからないから生菓子の扱いだったそうです」 ――ういろうとかお団子コーナーに? 「そもそも紀文が豆乳はじめた経緯というのに大豆のたんぱく質をとってほしいというのがもともとあったんです。 それが大福の横に豆乳が置いてあっては困る。なのでそのあと農水省などにはたらきかけてJASの規格の中に豆乳類が入ったりしました」 ――そもそも豆の会社じゃないですよね 「おでんだね、練り物ですね。魚の身はほとんどたんぱく質なんですけど、つみれを作ったりはんぺん作ったり。でも冬場にかたよりすぎるので、消費が。夏場にみんなにたんぱく質をとってもらうようにと作ったのが豆乳。 ――そんなにたんぱく質をとらせようとらせようとしてたんですか……くそ、お母さんみたいだ 「昔はね、そうですねえ」 編集者として現場に同席した古賀
第一次豆乳ブームはアルカリ食品「1983年にアルカリ食品っていうのがブームになって、そのときに豆乳もブームが来ます。昭和58年。
ブームのときはブランドは40を超えてたらしいです。ただやっぱりね、あんまりおいしくないっていう話になってブームは一瞬のうちに去ったんです」 「部屋を間違えたと思った」と部屋に入るなり警察官にかこまれた大島さん。名刺交換でとまどう
1995年の技術で大豆のにおいが消える「なんでブームが去ったかというと大豆の青臭いにおいが飲み物としてはあんまりおいしいものではなかった。
残されたメーカーは大豆の匂いをおさえる工夫をする。でもマスキング(※別の香りをつけて隠す)しても、最後の最後で大豆の香りが出ちゃう。 じゃあ根本的に匂いを抑えないと、と。うちの場合は1990年代にはいってようやく確立してきたんですけど、化学分析機器が発達して瞬時に分析できることになった。これで飛躍的に開発スピードが上がったんですね。1995年とかそれくらいですかね」 今までは鼻や舌の効く人が官能評価というものをやってたそうだ。機械になって飛躍的に開発スピードがアップしたと。やはり豆乳の種類は技術革新によるものなのか。 コスプレしたインタビュアー相手に熱心に説明する大島さん
2000年の棚作り「中身を作る一方、売り場ですね。当時のスーパーの飲料陳列棚は果汁ものがあって牛乳があってその間になんとなくパラパラっと豆乳があって、みんな通り過ぎちゃうんです。
やっぱり縦にならんでないとなかなかみんな足が止まらないですね。ある程度1Lサイズを用意して品数増やして、豆乳コーナーって売り場を作る。 それを5年くらいかけて作ったんですよ。あれが2000年前後くらいですね」 スーパーに豆乳コーナーができたのが2000年くらいらしい。なるほど、その辺りから味が増えてったような気もするな…。 広報の方とともに事情をきかれる
やってきたイソフラボンブーム「で、中身もおいしくなりました、棚もなんとなく目に留まるようになりました、飲む人がふえてきて、第一次ブームでトラウマになってた人も戻ってきたところでイソフラボンっていう…」
――出た! イソフラボン!! 「大豆にはイソフラボンという成分が入っていて女性の更年期障害を緩和したり乳がんのリスクを下げますみたいな研究が発表されて。すっごい勢いで消費が増えた。 2000年過ぎたところから2005年までビューンと上がってったところが第二次ブーム。2005年でメーカー生産能力頭打ちになり、これ以上作れませんと。工場が足りなくてラインが一杯な。」 ――日本全国の豆乳の限界点!! 「そんなときにイソフラボンをかためたサプリがいくつもトクホ申請されて。でもイソフラボン単体をたくさんとっても大丈夫なのかどうか日本人にはそんな経験がないからわかんないという発表があったんです。 でもそれが聞こえ方としては、大豆製品をたくさんとっちゃいけないのかなとなって。」 ちょっとした誤解で消費量が下がるようだ。健康をめざした食品の販売って扱いがむずかしそうだ。 ラムネ!? コーラ!? 君、もう言い逃れできんだろ!
味付きの最初は?――それで味が付いたものはいつ出たんですか?
「古いのはフルーツミックスと麦芽コーヒーなんですよ。豆乳の発売の2、3年後には出てますよ。1982年とか。棚を作った当時もうちでいうと6、7品の商品と他社の商品を集めて、とかですね。 95年で技術が伸びて、その後棚を作って、イソフラボンの話で伸びて、その間にやってたのが匂いを抑えるだけでなくコントロールしましょうっていうこと。必要なものは残して、要らないものは抑えるようにしてた。 たくさん商品出せるようになったのは結局大豆の匂いをコントロールできるようになったからなので」 ――おおー!! 来た!(大北) ――そうか! (古賀) 「匂いをとるだけじゃなくてコントロールするので豆腐用豆乳みたいに豆腐にしたときにおいしい匂いだけ残すとかそういった技術ができた。そしてフルーツと混ぜられるようになった。 たとえば柑橘系のものとまぜても後味をおいしく、飲んでも"大豆くさくないように"作れるようになった」 ――そうか、もはや大豆くさくないんだ 「それが2005年とか2006年とかの話だと思います。 2005年にピークがきてそこからちょっと消費が落ちるんですね、イソフラボン過剰摂取の話、その間にいろんなものを作って出した。 その後また男性にも健康効果があるとかちょこちょこ発表になると、昔飲んでた人がやっぱり身体にいいのねって戻ってくるんですよね。 2009年で底を打ってまた戻ってきて、2011年くらいから第二次ピークを超え始めて、各メーカーさんライン増やしたりしてそれからずっと過去最高を更新してますね」 豆乳飲料は味もふえつづけてるが数もふえつづけてるのだ
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