甚大な被害をもたらした福島第一原発事故の責任が、司法の場で問われることになった。

 東京電力の勝俣恒久元会長ら当時の幹部3人がきのう、業務上過失致死傷罪で強制起訴された。事前の津波対策を怠り、原発周辺の入院患者を死亡させたなどと起訴状は指摘している。

 あの事故を「想定外」で片付け、誰の責任も問わぬままでいいのか。東電は利益優先で原発の安全対策を怠ったのではないか――。そうした市民の疑念を反映した強制起訴である。

 巨大事故は、さまざまな要因が複雑に絡みあって起きる。絞られた争点で元幹部ら個人の過失責任を「法と証拠」に照らして問う法廷は、全容解明の場としては、おのずと限界がある。

 それでも、元幹部が事故前にどんな情報を得ていて、どんな判断をしたかは、これまで十分に明らかになっていない重要なパーツだ。原発を抱える電力会社の組織の在り方や企業風土にも光を当て、教訓がくみ取れる裁判になることを期待する。

 この事故では告発を受けた東京地検が「今回のような規模の津波は予見できなかった」と不起訴にしたが、11人の市民からなる検察審査会が2度にわたって「起訴相当」と議決した。

 12年に東電が公表した事故報告書は、事前の津波想定とその対応、事故時の情報の扱いなど、組織全体にかかる問題ほど抽象的な記述で、責任や教訓があいまいなままだ。

 国会の事故調査委員会(事故調)は「事故の根源的な原因は震災以前に求められる」と指摘した。だが、東電の事前対応に関してはいまも、不明な部分が多い。最大15・7メートルの津波が襲うとの試算を手にしながら、なぜ十分な備えをしなかったのか。どんな判断が働いたのか。

 政府の事故調は約770人から聞き取りをし、これまでに同意が得られた約200人分の調書を公表したが、東電関係者はわずか20人ほどにとどまる。

 裁判が大きな空白を少しでも埋めるものになってほしい。

 同時に、事故調の役割も改めて考えたい。いずれの事故調も1年ほどで活動を終え、検証は不十分なままだ。再発防止を目的に関係組織の問題にまで切り込むのが事故調の本来の役割のはずだ。そうした仕組みや機能をもっと充実させるべきだ。

 放射性物質をまき散らした原子炉は水で冷やし続けねばならず、汚染水が生じている。今も約10万の人々が故郷から避難している。事故は今も続いている。二度と繰り返さない教訓を引き出す努力がもっと必要だ。