小手指ヶ原古戦場/白旗塚/誓詞橋 @埼玉県所沢市
2011年12月10日(土)
今日は所沢市観光協会のホームページで紹介されていた新田貞義ゆかりの地である小手指ヶ原古戦場、白旗塚、将軍塚を見学することにしました。まずは小手指ヶ原古戦場と白旗塚です。古戦場の碑から50mほどの場所に白旗塚があります。
場所は少し分りにくいです。国道463号線所沢入間バイパスの誓詞橋交差点を南方面に曲がり(所沢市街方面からだと左折)、すぐに右手に所沢ロイヤル病院が見えるので病院の前の道を左折、すぐに右手に所沢市立埋蔵文化財調査センターが見えます。突き当ったら右折し100m程進むと右手に小手指ヶ原古戦場の碑があります。
簡単に言ってしまえば、埋蔵文化財調査センターの裏側です。周辺は畑、雑木林が多く建物はあまりないので、近くまで行ってしまえば、容易に見つけることができます。
埋蔵文化財調査センターがある一帯は小手指ヶ原と呼ばれ、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけてしばしば合戦が展開された場所です。特に歴史的な合戦の一つとして、元弘三年(1333年)上野国新田庄(こうずけのくににったのしょう・現在の群馬県太田市)を本拠地とする新田義貞の鎌倉攻めがあり、小手指ヶ原で幕府軍との合戦の火蓋が切って落とされました。一進一退の激戦となりましたが、幕府軍は徐々に新田軍の進軍を許し、5月22日に陥落、鎌倉幕府は滅亡しました。
また、小手指ヶ原古戦場の碑から西方面へ、人や自転車しか入れない畑の中の細い砂利道を50m程行った場所に白旗塚(しらはたづか)があります。
この白旗塚は源氏の末裔である新田義貞が、ここに陣を張り源氏の旗印とされる白旗を立てたという伝承があるそうです。
小手指ヶ原古戦場は埼玉県の文化財に指定されています。
『この案内板の正面に小手指ヶ原古戦場の碑があります』

【小手指ヶ原古戦場の碑】埼玉県指定文化財


【説明板】

『碑の脇の細い砂利道を進むと白旗塚です。写真奥、木が見えている所です』


【白旗塚】

『上ることができます』

『塚の上には白旗塚と書かれた石碑と浅間神社の石祠がありました。浅間神社があるということは昔、富士講の方達に信仰されていた場所なのでしょうかね?ということは人工的に作られた富士塚?それとも古墳を利用した富士塚?またはただの古墳?調べてみたんですが、ちょっと良く分らなかったです。いづれにしても、周辺は平地なので僕は人工的に作られた丘のように感じました。後で知ったのですが、ここは心霊スポットとしてブログに取り上げられていました。古戦場なだけに如何にもそういう噂が立ちそうな場所ではあります。夜は周囲の明かりが少ないので怖いかもです(TT)まあ肝試し以外で夜に来るなんて奇特な人はいないと思いますがw』


【塚からの景色】
『畑が多いです』

【誓詞橋】
『国道463号線所沢入間バイパスの誓詞橋交差点にあります。道の反対側には石碑もありました。現在の橋は架け替えられたものですが、この橋も新田義貞にゆかりがあり、軍兵に忠誠を誓わせた場所と伝えられているそうです。欄干は進軍する馬に跨った兵の装飾になっていました』

《小手指ヶ原古戦場・白旗塚》
所在地:埼玉県所沢市北野2-12 所沢市立埋蔵文化財調査センター裏辺り
《誓詞橋》
所在地:国道463号線所沢入間バイパス誓詞橋交差点
2012年1月28日(土)投稿
今日は所沢市観光協会のホームページで紹介されていた新田貞義ゆかりの地である小手指ヶ原古戦場、白旗塚、将軍塚を見学することにしました。まずは小手指ヶ原古戦場と白旗塚です。古戦場の碑から50mほどの場所に白旗塚があります。
場所は少し分りにくいです。国道463号線所沢入間バイパスの誓詞橋交差点を南方面に曲がり(所沢市街方面からだと左折)、すぐに右手に所沢ロイヤル病院が見えるので病院の前の道を左折、すぐに右手に所沢市立埋蔵文化財調査センターが見えます。突き当ったら右折し100m程進むと右手に小手指ヶ原古戦場の碑があります。
簡単に言ってしまえば、埋蔵文化財調査センターの裏側です。周辺は畑、雑木林が多く建物はあまりないので、近くまで行ってしまえば、容易に見つけることができます。
埋蔵文化財調査センターがある一帯は小手指ヶ原と呼ばれ、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけてしばしば合戦が展開された場所です。特に歴史的な合戦の一つとして、元弘三年(1333年)上野国新田庄(こうずけのくににったのしょう・現在の群馬県太田市)を本拠地とする新田義貞の鎌倉攻めがあり、小手指ヶ原で幕府軍との合戦の火蓋が切って落とされました。一進一退の激戦となりましたが、幕府軍は徐々に新田軍の進軍を許し、5月22日に陥落、鎌倉幕府は滅亡しました。
また、小手指ヶ原古戦場の碑から西方面へ、人や自転車しか入れない畑の中の細い砂利道を50m程行った場所に白旗塚(しらはたづか)があります。
この白旗塚は源氏の末裔である新田義貞が、ここに陣を張り源氏の旗印とされる白旗を立てたという伝承があるそうです。
小手指ヶ原古戦場は埼玉県の文化財に指定されています。
『この案内板の正面に小手指ヶ原古戦場の碑があります』
【小手指ヶ原古戦場の碑】埼玉県指定文化財
【説明板】
『碑の脇の細い砂利道を進むと白旗塚です。写真奥、木が見えている所です』
【白旗塚】
『上ることができます』
『塚の上には白旗塚と書かれた石碑と浅間神社の石祠がありました。浅間神社があるということは昔、富士講の方達に信仰されていた場所なのでしょうかね?ということは人工的に作られた富士塚?それとも古墳を利用した富士塚?またはただの古墳?調べてみたんですが、ちょっと良く分らなかったです。いづれにしても、周辺は平地なので僕は人工的に作られた丘のように感じました。後で知ったのですが、ここは心霊スポットとしてブログに取り上げられていました。古戦場なだけに如何にもそういう噂が立ちそうな場所ではあります。夜は周囲の明かりが少ないので怖いかもです(TT)まあ肝試し以外で夜に来るなんて奇特な人はいないと思いますがw』
【塚からの景色】
『畑が多いです』
【誓詞橋】
『国道463号線所沢入間バイパスの誓詞橋交差点にあります。道の反対側には石碑もありました。現在の橋は架け替えられたものですが、この橋も新田義貞にゆかりがあり、軍兵に忠誠を誓わせた場所と伝えられているそうです。欄干は進軍する馬に跨った兵の装飾になっていました』
《小手指ヶ原古戦場・白旗塚》
所在地:埼玉県所沢市北野2-12 所沢市立埋蔵文化財調査センター裏辺り
《誓詞橋》
所在地:国道463号線所沢入間バイパス誓詞橋交差点
2012年1月28日(土)投稿