退院しました

退院をした。急に喉が腫れ激痛がするようになり、飲食はおろか唾液を飲み込むことすらできなかった。高熱を出し、個人医院に何度か掛かったが良くならず、何も口にできず一日に2時間も眠れぬ状態が4日ほど続き、ついには熱が41度に達そうとしていた。そうしてついに救急車で運ばれ総合病院へ行き、そのまま入院となったのであった。血液検査やら何やらを経て、主治医によるとこれはヘルペスでしょう、とのことだった。そう若くない先生をして「このように悪化した状態は見たことがない」と言わしめるほど喉が悪化しており、数日は点滴のみの生活であった。そのうち抗ウイルス薬が効いたのか徐々に良くなり、ミキサー食からおかゆへ、おかゆから一般食へと、徐々にちゃんとしたものへと食事が変化していった。昨日、「食事もできるようになったことですし、入院費もかかるので明日から自宅療養に切り替えたほうが良いでしょう」との診断を主治医から頂いたため、入院費を支払い、まだ万全ではないが、なんとか荷造りを済ませ、病院を出た。外は寒く、ぶり返してはいけないと思い、電車で帰ることを諦めタクシーに乗った。アパートの住所を告げる。

タクシーの後部座席に揺られながらぼんやりと考える。今回は様々な人のお世話になった。入院中は数人の友人が見舞いに来てくれ、着替えなどの差し入れも貰った。ありがたいことである。特に、高熱を出し自分では何もできない状態であった入院前の数日に朝から晩まで看病をしてくれ、いよいよ様子がおかしいということで救急車を呼んでくれた友人には頭が上がらない。あの友人が居なければ、総合病院に行くことはおろか、その前の数日間で死んでいたかもしれない。入院してからは会っていないので、しばらくは自宅療養だが、完治した際にはお礼をしに行かなくてはなるまい。

と、そこまで考えたところでふと違和感に気付いた。どうも、看病をしてくれた友人の名前が思い出せない。いや、名前はおろか顔さえも思い出せないのだ。いくら高熱で朦朧としていたからといえ、ずっとつきっきりで看病してくれた友人が誰であるか覚えていないなんてことはあるだろうか。それに考えてみれば、救急車で運ばれた際、その友人は一緒に付いては来なかった。普通は付添人として同乗することになるのではないだろうか。何かがおかしい。あの友人は一体誰だったのか。いや、そもそも、その「友人」は本当に存在したのだろうか…。思考にもやがかかったように考えがまとまらない。背筋にぞくりとしたものが走る。

「着きましたよ」

ハッとした。タクシーの運転手から声がかかったのだ。どうやら家に着いたみたいだ。退院をしたからといってまだ完治したわけではない。思考がうまくできないのはまだ下がりきっていない熱のせいだろうと結論付ける。後のことは完全に回復してからまた考える事にするのが良い。運転手に運賃を払い、車を降りる。そうだ、部屋に戻ったらまずは換気をしなくてはなるまい。エレベーターに乗りボタンを押す。ヘルペスであったので空気感染はしないとは思うが、それにしても淀んだ空気は入れ替える必要がある。散らかった飲みかけのペットボトルやウィダーinゼリーのゴミも片付けないといけない(かろうじて摂取していたものだ)し、きっと冷蔵庫の食材も全て腐ってしまっているであろう。考えるだけで陰鬱な気分になってしまう。体調が悪化する前にさっさとやることを済ませて布団に潜るのが良い。エレベーターを降り、財布から鍵を取り出し玄関のドアを開けた。中に入る。久しぶりの我が家だ。靴を脱ぎ、玄関から上がりスリッパを履く。

「おかえり」

その瞬間、スライド式のドアを隔てたリビングの方から急に声が聞こえた。思わず身体が硬直する。

全身にひどい寒気が走り、体温が急激に低くなっていくのを感じる。なぜか声だけははっきり覚えている。それはあの「友人」のものに相違なかった。身動きがとれない。どうすればいい、思考がまとまらない。

(誰か助けてくれ)

頭の中で助けを求めるが、助けなどあるはずもない。ここには私と「友人」しか居ないのだ。

私が動けないでいると、リビングのドアがスライドし、ゆっくりと開いた。