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関西の音楽を支えた難波ロケッツ、本日閉店

Lmaga.jp 2月29日(月)18時50分配信

「規模のわりにユルくて自由なハコだった」(カヤマテッペイさん)

──カヤマさんはブッキング・マネージャーになられる前はバンドマンとしてロケッツに出演されていたということで、近年のロケッツに中と外から深く関わってこられたと思うのですが。

そうですね。僕がバンドで出始めた頃にはもうかさごさんの時代だったから、ヴィジュアル系のイメージもなかったんですけど。実際に店で働き始めてからは、毎週のようにラルクのファンが訪れて壁に落書きが増えていくのを見たりして、伝統的にヴィジュアル系のハコとして世間で認知されているというのを改めて感じたりしてきましたね。

──ライブ/クラブ・スペースとしての難波ロケッツの他のハコにない良さというのは、具体的にどこにあったと思われますか?

それはもう規模のわりにめっちゃユルい、ということですね(笑)。キャパが(スタンディングで)300人規模の大阪のライブハウスだと、ほかはキッチリとした会社経営のハコが多いじゃないですか? ウチも親会社は一応ありましたけど、ノルマも抑えめな感じのやり方で野放しだったし、そのスタッフ任せなところがイイという人もいましたね。

──確かに、規模の大きさのわりに採算度外視的なイベントや出演者も、かなり懐深く自由に受け入れてやっていた印象があります。90年代にしても、ライブハウス営業はヴィジュアル系で深夜はテクノというまったく別の顔が平気で同居していたので。

やっぱり、その時にいるスタッフの色に染まりやすいんでしょうね。田中フミヤさんとかがいた時はテクノが振り切って強かったし、かさごさんの時代にはまたかさごさんの色が強かったので。クラブ系のイベントでもフロアをすごくデコレーションしたりすることが多かったんですけど、小さいところではなくて、この規模のクラブでそういうことが自由にできるハコはあまりなかったと思います。だから、中のスタッフが面白いと思ったら何でもやったらエエやんという方針が特徴的だったのかなと。使う時間帯も、都合が付けばなんとかなるよという感じで自由でしたし。ド平日のライブ・イベントで、タイムテーブルを見ると終わりが28時とか(笑)。

──カヤマさんが担当されていた時期で、最もロケッツらしいことが出来たイベントなどについて教えてもらえますか?

僕が入って一番最初に手掛けた“ポジティヴノイローゼ”ですね。それはF.M.W.を参考に、ロケッツの中に2ステージを組んで3日間やったイベントで、OOIOOやヒカシューをメインにいろんなバンド(※三田村管打団?、ふちがみとふなと、倉地久美夫、folk enough、ムーズムズなどが多数出演)に出てもらいました。度肝を抜くくらいの大赤字でしたけど(笑)。そんな採算度外視なことも“やったらいいよ”となるところが今の結果なのかもしれないですけど、少し愚痴を言わせてもらえば、ロケッツの家賃はロケッツの売り上げだけで賄えていたので。経営的に(親会社から)切り離して続けさせてもらえればと思っていたんですけど、今は何人か手を挙げていただいている方の中から新しいオーナーが決まるかどうか次第ですね。ただ、その後もロケッツという名前を使うかどうかも、まったく見通しが立っていない状態ですけれど。

そんなロケッツ最後の日、2016年2月29日に行われるクロージングパーティー(20時スタート、チケット無料・2drink1000円)は、平日のオールナイトで終わりが30時予定と、まさにロケッツらしい終わり方となる。

取材・文/吉本秀純

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最終更新:2月29日(月)22時59分

Lmaga.jp

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