朝一のコーヒーで人々が争っている。一体何があったというのか?朝一の味噌汁で争う事は無いのにコーヒーになった途端に…コーヒーと言う名前が行けないのだろうか?
♡マメたん♡とかならこうはならなかったのだろうか?
まあポジ熊君(ポジ熊君とタイピングするのが面倒なので以下ポジックマ君)のこの記事に対して。
これに対してス〇ップ仙人と言うお方が
ネットで調べたら朝一のコーヒーは体に悪いらしいよ?ちゃんと調べてから書こうね?恥ずかちぃよ?と言う事だ。
しかしネットで拾ってきた知識を鵜呑みにして他人の意見を批判するのは少し危険かもしれない。
確かに起床後はコルチゾルレベルが最も高い時間帯であることは事実だ。しかし朝食を摂ることでインスリンの分泌が促されればコルチゾルレベルは下がるし、朝食後のコーヒーであれば影響を小さくできるかもしれない。
元になっている研究についてどのように行われたかわからないが、そのような影響を排除する為に絶食状態でカフェインを摂取したと推測される。
研究のエビデンスレベルにもよるが1つ研究の結果で朝一のコーヒーが危険と決めつけるのは無理がある。このような疫学研究では2つの実験で真逆の結果が出る事なんて普通にあることだ。出来る限り多くの信頼できる研究結果を集めてその上で判断するのが良いだろう。
今回のケースでは朝一のコーヒーはカフェインの過剰摂取につながる可能性があるというレベルでしかない。よってこの研究結果で朝一のコーヒー=体に悪いとは証明できない。身体に悪いのはカフェインの過剰摂取でありその要因の1つになる可能性はあるかもしれないという事だ。
では仮に朝一のコーヒーが体に悪いかも?と言う結果で朝一のコーヒーをやめる必要があるかと言うとそんなことはない。その結果を受けてどのような行動を選択するかには幅がある。
別に大した影響でないと判断すれば朝一のコーヒーを止める必要はないし、気になるようであれば朝はジンジャーエールでもファンタでもこつぶでも飲めばいいし何も飲まなくても良い。しかし他人に押し付ける事でもない。
熊君も過剰摂取には気を付けようと言っているし、スワップさんは朝一は白湯だ。それでいいと思う。一体、何の話だろう?
その、つまり僕たちには行動を選ぶ自由があり、互いにその多様な価値観や思考の違いを受け入れる事が出来る。それなのに人々は争いをやめようとはしない。受け入れられないのだ。
喫茶店に行った事はあるだろうか?僕は会社帰りや休日に良くコーヒー屋さんに行く。ミニスカートの女性を斜め正面から見える位置をキープし小説を読むふりをしてパンツを見ながらコーヒーを楽しむ時間は至福の一時だ。
僕はコーヒーはブラックしか飲まない。コーヒーにミルクを入れてニヤリとしている人を見ると、ブッかけorスカトロの人なんだな、と思う。理解は出来ないが性的嗜好の違いを受け入れる事は出来る。価値観も性的嗜好も違って当然だ。
それをコーヒーはBLACKですよ?ミルクをブッかけけるなんて頭大丈夫ですか?なんて価値観を押し付けるから争いに発展するのだ。
店内を見渡してみよう。それぞれが多種多様な色をしたコーヒーを飲んでいる。それはまるで人の皮膚の色や宗教の違いのようだ。喫茶店は地球の縮図と言っても過言では無い。それなのに誰一人として争っている人間などいない。ただただ、ゆっくりと時間が流れていく。それってスゴくない?
世界の人種の違いや宗教観の違いに端を発する人々の争いに対する1つの答えが喫茶店にはある。別に焼肉屋でもファミレスでも良い。
さあ急ごう。僕達には時間が無い。♡マメたん♡なんかで争っている時間など勿体無いのだ。
フォッ??