たとえば産経とFNNの世論調査は、
と伝える。民主党と維新の党の合流構想について、20、21両日に行った産経新聞とFNNの合同世論調査では「期待しない」が63・1%となり、「期待する」の32・5%を大きく上回った。夏の参院選比例代表の投票先でも、安倍晋三政権打倒を掲げる野党5党は、与党の計45・7%に対し計26・3%にとどまった。
産経の世論調査などあてになるものか、という考えは甘い。なぜなら日経も
と伝えているからだ。日経は、3月に発足する予定の民主党と維新の党の合流新党に「期待する」は25%で「期待しない」が64%に達した。夏の参院選の投票先に民維新党をあげたのも13%にとどまり、自民党の33%になお水をあけられている。
とするが、産経・FNNも内閣不支持層でも新党に「期待する」は38%で「期待しない」の50%を下回った。
としており、同様の傾向だ。朝日や毎日が調査しても同じような結果になるだろう。両党による新党結成に「期待する」と答えたのは民主支持層60・8%、維新支持層35・7%、無党派層37・6%。安倍内閣不支持層でも44・7%だった。
私自身も、繰り返し書いてきた通り、民主党と維新の党の合流に期待するものなど何もない。ただ、民主と維新のみならず、生活や社民も含めた野党の合流にまで話が進めば、彼らの生き残りのためには止むを得ない選択かもしれないとは思う。岡田克也と松野頼久はそこまで頭にあるようだが、頭の凝り固まった民主・維新両党の議員には反発も強かろう。また、党勢がすっかり衰えた2014年の衆院選にさえ、「菅直人の選挙区に生活の党は刺客を立てよ」などと言っていた「小沢信者」の間にも、吸収なんかされてたまるかとの反発があるかもしれない。小沢自身は同じ選挙の前に衆院議員に民主党への移籍を勧め、それに応じた鈴木克昌(一新会代表を務めたこともある小沢一郎の側近)と小宮山泰子(こちらはただのつまらない世襲議員)の比例復活当選を実現させた。つまり小沢は当時からもう「引き際」を意識して行動していたと思われるのだが、今年5月に74歳を迎える「教祖」の心を知らぬは信者ばかりなり、という状態は、小沢が政界を引退するまで、いや下手をしたら引退後も続くのだろう。
90年代の「政治改革」で日本の政治を決定的に悪くしたA級戦犯である小沢一郎の話はこれくらいにして、民主党と維新の党の合流に期待できない理由だが、いうまでもなく現在でさえ保守的な(それどころか右翼までいる)、しかも新自由主義的傾向の強い民主党に、それに輪をかけてタカ派でしばき主義的傾向の強い維新の党が合流してできる新党が民主党の欠点をさらに強調した魅力ゼロの政党にしかなりようにないからだ。だからそんな「新党」には期待できない。
新党の党名をめぐっても民主・維新両党はすったもんだしている。これに関して、「一新民主党」という党名案を出した民主党シンパのブログ記事を昨日書いた『kojitakenの日記』の記事で批判した。新党に何の期待もしないと表明している人間に喙をはさまれるいわれなどないとお叱りを受けそうではあるが、前記記事について補足するとすれば、明治・大正期の東京の庶民にとって「維新」の同義語であった「御一新」を直ちに想起させる「一新」は論外として、さらに「新」の名のつく政党名だけは絶対に止めてもらいたい。「新」のついた政党に良い印象など一つもないからだ。日本新党、新生党、新進党、それに「維新」がらみの政党などなど。政党名から離れても、新自由主義だの超新星(恒星の大爆発)だの悪性新生物(癌)だの、「新」と名のつくものにろくなものはない。
それと、野党は昨年憲法学者たちのお墨付きを得て立憲主義をタテにとって安保法案に反対したのだから、党名に戦前の立憲政友会や立憲民政党などに倣って「立憲」の名を冠した方が良いと思う。「民主」の名前は嫌だとか、大政翼賛会を形成した政友会や民政党とは一緒にされたくないというのなら、19世紀の昔に大隈重信が設立した「立憲改進党」の名前を復活させれば良い。この政党にもろくでもない実績があるから嫌だというのなら、いっそのこと「立憲党」にすれば良い。何しろ相手は、「立憲主義とは耳慣れない言葉だ」と言って憚らない東大法学部卒の国会議員様を抱える自民党だ。立憲主義だけでも自民党との差別化は可能だろう。
というより、どうせ保守政党なんだから西洋の正統的な保守主義の思想である立憲主義を、内実が伴わないことはわかり切っているけれども名前だけでも民・維合流新党に標榜してもらいたいと思う今日この頃だ。
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ここ最近、こちらのブログでも「kojitakenの日記」の方でも野次馬かzenzaburokaという輩が“立憲”ってのを奇貨として、再分配や社会政策を攻撃しているのが目立ち、昨日の「kojitakenの日記」のエントリでも遣り取りになったのですけど「どうせ保守政党なんだから西欧の保守主義の正統的な思想である立憲主義を」ってやってしまうと、僅かに残っているソーシャルやリベラル的な要素すら捨象する碌でもない結果にならない嫌な予感しかしないんですよね(だから世論調査でも「期待しない」が多くなったりもするんでしょうし)。
何というかあぁいう輩の言う“立憲ネオリベ”の(安倍政権を指して言う)“分配ファシズム”批判って、ストローマン論法言い換えると案山子論法って印象しか持てないのです。一時の「異次元緩和」や僅かに人気取り程度に行われた社会政策を見てはやれケインジアン政策だ・やれ再分配重視だってハシャいでいますけど、実際には消費税引き上げで異次元緩和の効果が薄れたばかりかさらなる引き上げでが代替財源とやらで社会福祉への支出も切り捨て・法人税引き下げの一方で赤字企業にまで課税する外形標準課税を実施・大学の授業料は引き上げとかやってたりする訳でしょう。これで何処が“再分配”なんですか?寧ろ“逆・再分配”って形容の方が相応しいんじゃないですか?
どうも、このエントリの最後で「どうせ保守政党なんだから西欧の保守主義の正統的な思想である立憲主義を、内実が伴わないことはわかり切っているけれども」って言ってますけど、その言葉尻を新自由主義者に巧いとこ利用されてしまって反って社会政策や福祉・再分配を血祭りに挙げて、おまけに「立憲主義に則った」憲法改正で平和や反戦まで失ってしまう嫌な予感しかしないんですよね。現にアメリカで保守派が社会政策や福祉を否定する言葉として用いられているのが「立憲」であることを、もう少し考えてみるのが宜しいかと存じます。
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