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私はもっと楽をしたい、なぜなら怠惰だから。

何だかんだ言って偏差値の高い大学に行くべきですよね

雑記

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私は偏差値は関係ないと考えているのですが、社会に出るとやっぱり偏差値の高い大学は有利だよね、と感じています。

 偏差値は関係ない

私はよく若者をテーマにしたシンポジウムに参加したり、その映像資料を見たりすることが多いのですが、発表者(名前出したら胡散臭いと言われるのがオチなので出しません)の多くは大学の偏差値は意味をなさないから、気にするものではない、と言っています。
ペーパーテスト、偏差値は公平であると言いますが、人間の能力にはばらつきがあるのは当然です。人によって身長や顔が異なるのと同じように、頭の中も違います。
勉強すればするほど点数が上がるのだから公平だ、と言われますが、当然勉強出来る人と出来ない人がいます。勉強は出来ないけれどスポーツはめちゃくちゃ出来る。勉強は出来ないけど芸術的センスがある。数学は極端に出来るけれど語学は全くダメ。
典型的なのはアインシュタインで、彼は5歳まで言葉をあまり話さなかったと言います。言語が不得意でも後に偉大な業績を上げることがあるわけです。
このように得意、不得意があるのにペーパーテストで点数が良い人がいわゆる良い大学に入れる、というシステムは公平とは言い難いです。
なので受験勉強ができなくても、自分の能力を発揮して活躍できる可能性は大いにあるわけで、大学の偏差値が低いからと言って、人生終了にはならないのです。

とは言っても

偏差値と個人の能力にはあまり関係がないのですが、日本の場合社会に出ると、やっぱりどの大学を出たか、というのは非常に重要視されます。日本は個人よりもどこに属しているか(いたか)が注目されがちです。
なので宮廷大学や早慶を出ていると、就職は比較的行いやすいですし、個人プレーにしても大学のブランドを使うと展開が優位に行えます。
偏差値は関係ない、とはよく言いますが、でも何だかんだ言って偏差値の低い大学を出るよりも偏差値の高い大学を出る方が、長い目で見ると色々得をすることになるだろうな、と思います。
シンポジウムの発表者も偏差値は関係ないと言いつつも、現状では偏差値の高い大学に行くべきと言っていましたし、私も同感です。何か身も蓋もない内容になってしまいました。

個人の評価が苦手?

あまりこういう言い方は好きではないのですが、日本人は個人を評価するのが苦手なのかな、と思ったりもします。
個人を信用していない、というと大げさですが、どこに所属しているかという、ブランドというか、多くの人が認めているものを個人が持っていないと、その個人を評価できないというか。ブランドの評価と個人の評価が混同されているような。
日本で何らかの研究をするなら、どこかに所属していないと変な目で見られます。東大に研究室持ってたら「優秀な方なんですね」という評価ですが、個人で研究をしていると「コイツは大丈夫か?」という評価になります。海外では個人の研究者だと「この人はとてつもなくすごい人なのか、自分の研究所を持っているのか」という評価になります。
自分の評価は正しい、という根拠(?)を得るために、社会的にある程度認められた組織などを持ち出しているような気がしないでもないです。評価なんか人によって違うのが当たり前だと思うのですが。
ぐだぐだになりましたが、日本で生きていくなら偏差値の高い大学に入って、その名前を利用していくのが賢いやり方なのかもしれないな、というお話でした。