本文の開始
広島市は、大正8年(1919年)に制定された都市計画法の適用を受けて、本市とともに都市計画区域となった隣接町村に合併を働きかけ、昭和4年(1929年)4月、隣接7か町村(仁保村・矢賀村・牛田村・三篠町・己斐町・古田村・草津町)との合併が実現しました。これにより、人口は27万人を超え、全国で7番目に人口の多い市となりました。
7年(1932年)太田川改修工事に着手、また宇品港は広島港と名を改め、翌8年(1933年)には修築が始まり、15年(1940年)からは工業港建設と埋立地を臨海工業地帯とする事業が始まりました。
昭和20年(1945年)8月6日、人類史上最初の原子爆弾が市中心部上空約600mで炸裂しました。広島の街は一瞬にして焦土と化し、多くの人々の生命が奪われ、全ての都市機能は壊滅的な被害を受けました。同年末までの死者は約14万人(誤差±1万人)と推計され、生き残った人々は様々な形での後障害に苦しめられ、その影響は今なお続いています。
瞬時に壊滅し、廃墟の街となった本市の復興は、鉄道・電車などの輸送機関や通信・電力などの復旧から始まりました。市民も食糧や物資の欠乏に苦しめられながらも生活の再興を進めていきました。一方、市は、昭和21年(1946年)の秋には、復興都市計画を決定しましたが、資金難などによりなかなか進みませんでした。こうした状況を打開したのが、昭和24年(1949年)8月6日に公布された我が国最初の特別法「広島平和記念都市建設法」でした。これにより道路・橋梁・住宅などの整備が本格的に進むこととなり、高度経済成長前夜の市域拡張期を迎えました。
広島平和記念都市建設法の
住民投票のポスター(昭和24年(1949年))
戦後、市町村が所管する事務の増大に伴い、その能率的処理のためには自治体規模の合理化が必要となり、昭和28年(1953年)町村合併促進法、31年(1956年)新市町村建設促進法により、町村合併は全国的機運になりました。広島市では30年(1955年)4月安芸郡戸坂村、31年(1956年)4月安芸郡中山村、同年11月佐伯郡井口村と合併を行い、翌32年(1957年)人口は40万人を超えました。33年(1958年)末には、戦前の最高を突破し、39年(1964年)4月には人口50万人を超えました。
また、36年(1961年)の広島空港(現広島ヘリポート)開港、39年(1964年)の山陽本線全線電化開通、40年(1965年)の太田川放水路通水、広島民衆駅完成、41年(1966年)の国道2号新広島バイパス開通等交通基盤の整備等を通して市勢は一段と伸長、広島都市圏が形成されるようになりました。
その結果、市域を越えて広がった日常生活圏内の諸問題を一体的に処理するため、周辺町村との合併機運が高まりました。
完成した広島駅(昭和40年(1965年))
33年(1958年)には「大広島」構想を発表し、本市を中核に広域都市圏を建設しようという構想を相次いで打ち出しました。こうした動きのなかで、43年(1968年)1月、周辺19か町村による広島地区広域行政懇談会が設置され、45年(1970年)3月、広島市基本構想策定により、周辺町村との合併は一挙に進みました。
46年(1971年)4月の安佐郡沼田町との合併をはじめとして、同年5月安佐郡安佐町、47年(1972年)4月安佐郡可部町、同年8月安佐郡園町、48年(1973年)3月安佐郡安古市町、佐東町、高陽町及び安芸郡瀬野川町、同年10月高田郡白木町、49年(1974年)11月安芸郡熊野跡村、安芸町、50年(1975年)3月安芸郡矢野町、船越町の計13か町村が本市と合併しました。
そして、55年(1980年)4月1日には、全国で10番目の政令指定都市となりました。その後、60年(1985年)3月に、佐伯郡五日市町と合併して人口は100万人を超え、平成17年(2005年)4月には佐伯郡湯来町と合併しました。
昭和49年(1974年)バスセンターのオープン、50年(1975年)山陽新幹線の全線開通、53年(1978年)7月基町地区再開発事業が完了、54年(1979年)広島空港(現広島ヘリポート)へのジェット機乗り入れ、57年(1982年)西部開発事業の竣工など、相次ぐ社会資本の整備とともに本市経済も順調に伸びました。アストラムラインが開通した平成6年(1994年)にはアジア競技大会、8年(1996年)にはひろしま国体・おりづる大会ひろしまを開催し、12月に原爆ドームの世界遺産一覧表への登録が決定しました。
アジア競技大会開会式の集団演技(平成6年(1994年))
13年(2001年)には紙屋町地下街「シャレオ」が開業し、広島高速4号線(広島西風新都線)が開通しました。
18年(2006年)7月には広島平和記念資料館の本館が国の重要文化財に、19年(2007年)2月には平和記念公園が国の名勝に指定されました。
21年(2009年)3月には、新しい広島市民球場(マツダスタジアム)が完成しました。
新しい市民球場(マツダスタジアム)が完成(平成21年(2009年))