中日スポーツ、東京中日スポーツのニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 中日スポーツ > 芸能・社会 > 紙面から一覧 > 記事

ここから本文

【芸能・社会】

サブちゃん、しみじみ 安藤昇さん「お別れの会」

2016年2月29日 紙面から

安藤昇さんの遺影が飾られた祭壇

写真

 昨年12月16日に肺炎のため89歳で亡くなった俳優・映画プロデューサー安藤昇さんの「お別れの会」が28日、東京・南青山の青山葬儀所で営まれ、演歌歌手の北島三郎(79)や俳優の梅宮辰夫(77)、岩城滉一(64)、村上弘明(59)ら約700人が参列した。

◆60年前の出会い回想 『おい、坊主』

 東京・渋谷を拠点に“安藤組”を率いていた安藤さんと、高校を卒業して歌手を目指し上京、渋谷で流しの修業を始めた北島が出会ったのは1950年代半ば。北島は「安藤さんから『おい、坊主。頑張ってやれや』と言われたり、『おい、坊主。どうだ元気か』という感じで」と当時を回想。

 その後、北島が歌手デビューし、映画に出演して京都の撮影所にいた際、突然安藤さんが訪ねてきたことも。「ものすごく低姿勢で、こっちの方が恐縮してしまった。その時はもう『サブちゃん』でしたね。一緒に渋谷でやってたあの坊主がと、うれしかったんでしょう」と懐かしんだ。

◆「寂しさ違う」

安藤昇さんの「お別れの会」の焼香に訪れ、葬儀所を後にする北島三郎=東京・南青山で(五十嵐文人撮影)

写真

 北島は映画「昭和残侠伝 破れ傘」(72年)で安藤さんや高倉健さんと共演。浅草国際劇場(82年に閉館、現浅草ビューホテル)で行われた北島の舞台公演で、安藤さんと1週間共演した思い出も告白。「流しのころから知ってるので寂しさが違う。いつか私も旅立つので向こうでお会いしたい。ありがとうございましたとお礼を言いました」と話した。

◆梅宮も絶句…

 3本の映画で安藤さんと共演した梅宮は、祭壇に献酒する際に「また昭和の映画スターが逝ってしまい寂しい。そちらの世界でもお元気で…」と絶句。その後、体調不良で会見予定を急きょキャンセルした。移動にも歩行器を使っていたが、岩城は「ちょっとお元気がないような気がしますけども心配するようなことはない。寒い時期なので膝が痛い、腰が痛いというのはある」と気遣った。

 祭壇中央には17、18年前に取材で撮影された安藤さんお気に入りの遺影が飾られ、中島貞夫監督らが弔辞を読んだ。安藤さんの側近だった実業家の海老澤信・実行委員長は、安藤さんの希望でメロンを買って見舞った際に容体が急変、最期をみとり「すべてやり尽くして満ちあふれた姿でした」と明かした。

 

この記事を印刷する

PR情報





中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日新聞フォトサービス 東京中日スポーツ