ゴールドコーストへ引っ越してきた当初、どこへ行っても、どの景色を切り取っても、朝も昼も夜も美しいものばかりで圧倒されました。
そのころいくつかのお別れが重なり、それまで築いてきた生活のベースとしていたものをなくしたタイミングで、これからオーストラリアでどうやって生きていこうかな、と考えていました。そんなある日ふと気づいたことがありました。
「みんな海を見てる 」
ビーチサイトで、Cafeから、高台のお家から、車の中から、、、みんなが海を見ているのです。旅行者も地元の人も関係なく。ゴールドコーストは東海岸なので、朝はとくにサンライズが美しいのですが、昼も夜もやっぱりみんな海を見ています。ひとりでも、お友達といても、家族といても、それぞれが海を見ている。ひととひとが向き合うのではなく、みんなそれぞれが海とお話ししている、そんな印象を受けました。
「あぁ、神様の存在ってこういうことなのかもしれない」と思ったのです。
海と自分だけの時間
私自身、ここへ越してきて海を見ない日はありません。海を見ているあいだは、海と自分、それだけを感じています。でも引っ越してくる前は都会の片隅でいつの間にか「人」だけを見る生活をしていた気がします。そういうタイプの人は集まるもので、お互いを見つめう濃度が良い意味でも悪い意味でもどんどん高くなり、息苦しくなっていました。
ゴールドコーストの海を見ているうちに、人がどう思う、とか、人が何をやってる、とか、人のコトはどうでもよくなったのです。
ほんとうの自分は海と自分自身が知っている。それで十分じゃないか、と。
こころと言動を一致させ、正直にシンプルに生きる
これまでの悩みの多くは、ほんとうの自分と言動が一致していなかったことが原因。場の空気を読み損得を計算して「こうしておいた方がいいかな」と自分をパッケージすることが習慣になっていて、そんな自分に疲れを感じていました。ゴールドコーストの海との対話は長年まとっていた重いパッケージをはがしてくれ、ほんとうの自分はそんなに悪くないんじゃないかなと思わせてくれました。こころと言動を一致させると自分のことが好きになれるんですね。
もちろん完璧にパッケージフリーとなったわけではありません。そんなズレを修正し、パッケージなしの自分に戻してあげることが大げさかもしれませんが人生の宿題のような気もしています。
神様はどこにでもいる
私は無神論者ですが、あえて言うと「海教」、海が私の神様です(^^)でも、鬱々としていた数年前でも、ちょっと上を見上げれば空は広がっていたし(空教)、足元にはお花が咲いていたはず(花教)。そういうことに気づけていたら、いつでもどんな場所でも突破口はあったのかもしれません。この先海のない場所へ引っ越して、このことは心にとめておきたいと思っています。
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今日で2月も終わりですね。
日本は春、オーストラリアは秋、新しい季節を迎えます。
去年1月にスタートしてから(旧ブログも含めて)毎日更新をしてきたこのブログですが、3月からは少しだけスローダウンして、週末に完成した記事分を翌週にUPする、という感じでしばらくやってみたいと思います。
いつもお読みくださってありがとうございます。
引き続きどうぞ宜しくお願い致します
kei