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Yukibou's Hideout on Hatena

自分用備忘録的な何か。

「介護保険の徴収を開始しました」

雑記

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ちょっと前の話になるが、自分は40歳になってしまった。

なんか意味があるわけではないんだが、10年ごとの節目を迎えると妙に感慨深い。なんというか、一つのサイクル的なものを感じるのだ。

30歳になった時は「これでオッサンの仲間入りなのかな…」とか思って、少し嘆き悲しんだ。「若者の〇〇離れ」というニュースを聞くと、「べ、別に離れてねーし! むしろあっちが離れて行ったんだし!」とか思ってたんだが、もう自分は「若者」ではないのだ。

40歳を迎えた時は、20代から30代になった時ほどの心境の変化はないものだと思っていた。この10年でじゅうぶんオッサンになった気でいたし、「ゆきぼうおじちゃん」と呼ばれたとしても、グサっとくる度合いは随分減少していた。

べ、別に40歳になったからって何か変わるわけでもねーし、き、気になんかしてねーし!と思っていたのだが、先日給料明細を見たところ、今まで見たことのない文言が書いてあるのに気がついたのだ。

「介護保険の徴収を開始しました」

お、おう…

40歳からはそんなものも払うのか…

そういや、会社の健康診断も40歳からは毎年人間ドックになるんだった。これから毎年バリウム飲むのか。あれ、一緒に飲む発泡剤が我慢できないんだよなぁ… オマケに便秘だし…

かの有名な心理学者カール・グスタフ・ユングは「40歳は人生における正午」という言葉を残している。人間40歳までは上昇する一方だが、40を過ぎると下降に転じてあとは日が暮れるのを待つのみなんだそうだ。

幸いなことに、見た目で顕著な老化は訪れてはいない。生え際が後退してるわけでもないし、白髪は増えたが髪の量も申し分ない。

妻に言わせると特に臭いもしないんだそうだ。逆になんにも臭わないからつまらないと言われることもある。たぶん加齢臭も大丈夫だろう。

体力に関しては明らかな衰えを感じる。まあ、今は病気で薬を飲んでいることもあるが、とにかく徹夜とか、そういう体に無茶な負担をかける事が出来なくなった。ここ最近では、娘が生まれた時はほぼ徹夜だったが、帰りの車で頬を叩きながら運転しないと眠ってしまうほどにフラフラだった。

単語が思い出せずに「あれだよあれ、なんだっけえーと…」という機会は増えた。正直、娘が大きくなって「勉強教えて!」と言ってきた時に教えられるか自信がない。やれても中学までだろう。まあ、その頃にはむしろパパは相手にされなくなっているかもしれないが…

現代日本の平均寿命は約83歳だ。ウチの祖父も祖母もだいたいこのくらいでこの世を去った。

40歳を超え、だんだん大きく広がる明るい未来だけでなく、いずれ収束して閉じていった後のことも少しは考えないといけない。まだまだ入り口だから、深刻に考える必要はないのだが、給料明細に書いてあった「介護」という文字は、晩年のかなりの年月を介護業者の元で過ごした祖母を思い出して身につまされる。

出来ることなら綺麗に終わりたい。

誰にも迷惑をかけることなく、言葉を残す人には想いを伝えて、自分の自我を失わないうちに、苦しまずに眠るように終われたらどんなに幸せだろうか。

だが、そんなに簡単ではないことは祖父と祖母を見てきたから、一応頭ではよくわかっているつもりだ。問題は自分がその立場になってしまった時に、相手に対して傷つけるような事を無自覚的にしてしまったり、憎しみのようなものを抱かせずにいられるような、正常な行動をとれる能力がまだ自分に残っているのかという事だ。

正直に言うと、自分が認知症にならないでいられるという自信は全くない。むしろ、なんかボケそうな気がしてならない。気力を失ったら何もやる気が出ないのが自分の悪いところなのだ。だから、もし大切な何かを失ったりしたら、強く生きていける自信がない。

それが誰になるのかは現時点ではわからないが、将来自分の面倒を見てくれる人に対して、不快な気持ちになって貰いたくない。

給料明細の「介護保険」文字を見て、ふとそんな事を考えてしまった。

残された時間はどのくらいあるんだろう。

自分は綺麗に終われるだろうか。