押井守監督
『押井言論2012-2015』を上梓した押井守監督へのインタビュー後編。5月に劇場公開される実写ファンタジー『GARM WARS』の話題から、さらに同作の日本語版をプロデュースする鈴木敏夫氏、『魔法少女まどか☆マギカ』の脚本家・虚淵玄氏との関係性へと話は広がった。
―― 押井監督は「映画は観る人が何を期待するか次第」と言われました。最近、押井監督の作品群の中でカルト扱いされている『天使のたまご』(1985)を見直したんです。20代の頃はさっぱり理解できませんでしたが、年齢を重ねてから見直すと「あぁ、これはひとりのクリエーターの心象風景なんだな」とスッと理解できた。「卵=企画であり、卵を温めている少女は押井監督自身なんだな」と。映画って観る側の理解力や経験値も求められるものだなと実感しました。
押井 それはあるでしょうね。観る側の器以上のものには映画はならないわけです。20代と40〜50代では経験していることが全然違いますから。若い頃に観てわからなかった映画が、後からわかるようになった経験は僕にもあります。例として挙げると、ポール・ニューマン主演の『ハスラー』(61)。あれって、ただの玉突き映画としか思えず、どこが面白いのかわからなかった。なんで若くて才能のあるポール・ニューマンが負けるのか、ポール・ニューマンとくっついているお姐ちゃん(パイパー・ローリー)がなぜ死ぬのか理解できなかった。それは僕が若くてバカだったから。50歳すぎて見直したんだけど、すごい映画だと思った。やっぱりハリウッド作品の脚本はすごいと。自分で映画を作ったり、脚本を書くようになって分かった。人生の実相を描いている作品なんだよ、あれは。すごくアメリカ的なね。人生には勝つヤツと負けるヤツがいるわけだけど、負けるほうが楽なんですよ。みんな負けたがっているという映画。これは人生経験のない若い頃に観てもわからないよ。映画って、結局は必要としている人間にしかわからないんです。求めよ、さらば与えられん、なんです。
―― なるほど。押井監督の作品も、見方次第でさまざまな発見ができる。
押井 『GARM WARS』は誰に向けて作ったのかというと、ビミョーなんだけど、強いて言えばお客さんを選ぶ作品だろうね。というか、僕の撮る映画全般がそうなんだけど。でも、日本と外国では僕の作品の見方がびっくりするくらい違う。欧州の人たちの高踏趣味的な見方が必ずしもいいってわけじゃないけど、日本だといつも同じことしか尋ねられない。「この作品は何が言いたいんですか?」と(苦笑)。