陸軍人への手紙 体制内変革を志向、裏付け
2・26事件の14年前、直筆で
1936年のクーデター未遂「2・26事件」を首謀した陸軍青年将校らに思想的影響を与えた国家社会主義者、北一輝(きた・いっき)(1883〜1937年)が事件の14年前、陸軍上層部の人物に送った直筆の手紙が見つかった。国家革新を呼びかける内容で、調査した国学院大の柴田紳一・准教授(日本近現代史)は「暴力革命ではなく、軍の上部工作で体制内変革を志向していたことを裏付ける貴重な資料だ」と分析する。
事件から今年で80年を迎えるが、北が軍人に送った手紙が見つかるのは極めて珍しい。手紙は22(大正11)年5月19日の消印で、東京の北から、陸軍の台湾軍司令官を務めていた福田雅太郎(まさたろう)大将(長崎県大村市出身、1866〜1932年)に宛てた1通。国学院大が2012年、西日本の古書店から購入し、所蔵している。
内容は、当時、日米英などで調印したワシントン海軍軍縮条約に触れ「党人(政党政治家)多くは大臣病(入閣争い)に捕らわれ、真に国家を思うもの幾ばくぞ。海陸その守備をうしなえば、国家はここに滅亡すべし」と議会政治を批判。軍縮後の退役軍人の処遇について「大陸発展の先駆者たらしめん」と中国大陸への移民政策を提言し、有力者の福田大将に「本部(東京)に帰来して吾人と策応し以(もっ)て惰気(だき)(だらけた気分)を一掃すべきを」と台湾からの帰国を熱望した。
柴田准教授によると、北が当時、自分の国家改造案をまとめた「日本改造法案大綱」の冊子を、仲介者を通じて複数の高級軍人に見せていたことは別の資料で分かっていたが、福田大将への手紙の確認は初めて。
福田大将は手紙の翌年、軍事参議官に就任し帰国するが、2・26事件前の32(昭和7)年に死去した。北も上部工作が進展しない中、急進的な青年将校らとの接触を深めていったとみられる。柴田准教授は「北が青年将校らに期待をかけつつ、行動に引きずられていく変遷を解明する資料にもなる」と話す。【中尾祐児】
北一輝
新潟県佐渡島出身。幸徳秋水ら社会主義者と交流したのち、中国に渡り、革命勢力が清朝を倒した1911年の辛亥革命に参加した。19年には軍事クーデターによる政治刷新などをとなえた日本改造法案大綱を執筆し帰国。青年将校らに強い影響を与えた。高橋是清蔵相らが殺害された2・26事件に直接関わっていなかったが、黒幕として処刑された。