今日は、アニメ見放題サービスで某女子高生登山アニメを全話見た。
自分にとっては、学力もモチベーションも無い受験期に放送されたものである。
どのキャラクターも可愛い顔で、金持ちの家庭に生まれているので嫌味のように感じてしまう。
ただ、1人だけバランス釜のアパートで暮らす貧しい家庭の子がいる。
この子は度々貧しさ故に日頃から我慢をしている場面があり、登山なんてやって大丈夫なのだろうかと不安になる。
容姿が良いので、潰しは効くのだろう。
他の輩は金持ちなので好き勝手登山道具を揃えて、iMacやらMacBook ProやらiPadを振り回している。
容姿が良いので求人が都内ほどではない地域で、洋菓子店でのアルバイトに楽々とありついていたりするキャラクター(A)もいる。
霧ヶ峰にAの母とBの父、ABでハイキングに行く話は不倫のようなものに感じた。
不倫だろう。
このアニメが教えてくれたことは、「金」と「容姿」は正義であるということだ。
金があれば山に登れる。顔がよければ職にありつける。
山つながりで思いだしたこともあった。
大学で、ある山への登山を試みたとして有名な人物からジェンダー論の授業を受けたことがある。
大変考えさせれる内容だった。
最終的には、己の中で「ジェンダー論」、「フェミニスト」、「ジェンダー」というものは「金、暴力、セックス」だということになった。
そして、不毛な議論でもあることに気づいた。
容姿が良くて、金持ちの家に生まれて、楽しく山に登れる「特権階級」を見るのは次第に苦しくなってきた。
千代田区の家でクソ大学からの転部の合否を待ちながらアニメを見ているだけだったが、家に金があるということは素晴らしいことだと感じたのだった。