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Money Interview

僕ら3人合わせて204歳。まだまだ飛ばしますよ! ミュージシャン ザ・ワイルドワンズ

 
日経マネー

2016/2/17

撮影/大沼正彦

 ──このライブハウス(ケネディハウス銀座)は加瀬邦彦さんが経営されていたお店ですね。先日ライブを拝見しましたが、熟年ファンの方々の熱気に圧倒されました。

植田芳暁(以下植田) 毎回あんな感じの盛り上がりです。もう30年くらいこの店でやってるんですよ。

鳥塚しげき(以下鳥塚) 集まってくれるのは全員ファンの方ですからね。

島 英二(以下島) 盛り上がる理由の一つが植田君と鳥さんのトーク。普通のバンドなら

 ──このライブハウス(ケネディハウス銀座)は加瀬邦彦さんが経営されていたお店ですね。先日ライブを拝見しましたが、熟年ファンの方々の熱気に圧倒されました。

植田芳暁(以下植田) 毎回あんな感じの盛り上がりです。もう30年くらいこの店でやってるんですよ。

鳥塚しげき(以下鳥塚) 集まってくれるのは全員ファンの方ですからね。

島 英二(以下島) 盛り上がる理由の一つが植田君と鳥さんのトーク。普通のバンドならすぐ歌を始めるところ、まず絶妙なトークでドカーンとつかんじゃうんです。

  • 1966年7月に加山雄三の命名により誕生、リーダーは故・加瀬邦彦。同年11月にデビュー曲「想い出の渚」を発売し、大ヒット。71年に解散するが81年に再結成。2006年に結成40周年記念ライブを日本武道館で開催。09年には沢田研二を加えた「ジュリー with ザ・ワイルドワンズ」として活動し、10年に「渚でシャララ」を発売。15年4月の加瀬の逝去後も3人でワイルドワンズを継続すると発表、現在もライブなどで幅広く活躍中。
 ──それがもう漫才より面白くて。

植田 当時の渡辺プロの伝統として、音楽家がギャグをやるというのがあったのかも。僕らもクレージーキャッツのツアーに同行して、随分勉強させてもらいました。

鳥塚 ドリフターズと一緒に『あなた出番です!』というレギュラー番組をやったのも大きかったですね。

植田 まだ志村(けん)君がバンドボーイだった頃でね。じっくり聴かせるライブもいいですが、ワイルドワンズはやっぱり楽しさ、笑いも大事。加瀬さんが教えてくれたことです。

 ──加瀬さんは従来の芸能界っぽいノリが嫌いで、それとは違う新しいバンドを目指していたとか。

鳥塚 はい。ですから「ファンと交際してはいけない」「楽屋でばくちはやらない」など、禁止事項がありました。

 ──71年に解散し10年後に再結成されますが、49年間メンバーは変わらず、皆さん仲良しですよね。

  • 鳥塚しげき(ギター)
    1947年生まれ。「想い出の渚」の作詞家。解散後はテレビ、ラジオやNHK「歌のお兄さん」などタレントとして活動。83年から現在まで毎年、全国の養護学校を訪問する「ふれあいコンサート」を開催している。
鳥塚 最初から趣味嗜好が共通してるんです。山よりは海が好き、シャンソンよりはアメリカ音楽。その上にお互いの立ち位置を尊重するとか、信頼して任せるというのもあって。

島 3人とも個性は強いんですよ。でも、それを抑えることができる。人の意見を聞く、ということを加瀬さんが教えてくれたんです。

 ──素晴らしいリーダーだったんですね。

島 生き方がおしゃれだったんです。僕と植田君はデビュー当時、家が遠かったんで加瀬さんの家に同居させてもらってたんです。そこでも、さりげなく教わったことが今思えばたくさんありますね。

植田 当時の芸能界といえば絶対君主的なバンドマスターがいて、給料の契約も全部そのリーダーがする。場合によってはピンハネもある。彼はそれを見ていて、そういう古い体質は嫌だなと思ったんでしょう。だから僕らは最初から渡辺プロと1対1の個人契約でした。

島 それは実はとても大きな教えでね。「責任持ってやりなさい」という。

 ──怒られることはなかった?

植田 年1回くらいは、僕がステージでふざけ過ぎたり(笑)、遅刻したりで雷を落とされましたね。

鳥塚 たまにしか怒んないから、怒ると怖いんですよ。

島 適当なところもあってね。僕は当時ギターしか触ってなかったんですが、面接でOKもらって初めてスタジオに行ったら「島君はベースなんだけど」。「ええっ」と驚くと、加瀬さんは「大丈夫だよ、ギターは弦6本あるけどベースは4本しかないから」(笑)。

  • 島 英二(ベース)
    1947年生まれ。ギターマニアで「加山雄三&ハイパーランチャーズ」「島英二&ココナッツクラブ」等ではギタリスト。古いモズライトも蒐集。趣味の模型製作が高じて、現在は人の乗れる4.5m、5馬力の蒸気船作りに熱中。
 僕は今でもレンタルルームを借りて古いモズライトを集めてるほどのギター好きですが、最近はバンドの中のベースの大事さも痛感してるので、どっちが本当に好きなのかと聞かれると迷っちゃいます。

 ──植田さんは日本初の“歌うドラマー”でしたよね。

植田 他にはいなかったです。石原裕次郎さんの「嵐を呼ぶ男」は歌は別録りでしたし。当時は頭につけるマイクもなく、常に前を向いて歌いながらドラムを見ずにたたくので、手が金具に当たって、気付けば打面が血だらけってこともありました。

 ──鳥塚さんは身体障害のある子供たちに長年出張コンサートをされているとか。

鳥塚 「ふれあいコンサート」というんですが、もう32年も続けていて、全国の特別支援学校を全部で140校くらい回りました。その中ではある子が、コンサートの終わった後「今年初めてしゃべった」なんてこともあるんです。音楽の力ってすごいなと常に感じてます。

 ──ところで、GSブームの最盛期(68~69年)はどんな忙しい日々だったんですか。

鳥塚 例えばこんなスケジュールです。朝、家を出る→雑誌社の人が待っていて公園で30分くらい写真撮影→テレビ局で音楽番組に1~3本出演→雑誌社に移動し夜9時から11時、12時までグラビア撮影→食事をごちそうになって家に帰る。そういう毎日でした。番記者みたいな方もいらしてね。ワイルドワンズ番、タイガース番と。

  • 植田芳暁(ドラムス)
    1948年生まれ。日本の“歌うドラマー”の草分け。現在は「植田芳暁とレイアウト」「加山雄三&ハイパーランチャーズ」などでも活躍中。作詞・作曲・アレンジのほか、得意のトークで司会者としても多く活動。
植田 だから家で寝るのは3時間。移動のタクシーの中が唯一寝られる場所でした。僕は19か20歳で、車の中でパンかじりながら寝てましたね。

鳥塚 タイガースと僕たちの北海道ツアーの時は、10誌くらい撮影に来てるから違いを出すために、「これ着てください」「次はこれ」と、同じ場所で何度も着替えて撮りました。それも屋外で(笑)。

■ハンダース以降は「物まねはいつ始まるの?」と聞かれたりしましたね(笑)

 ──78年にハンダースが「想い出の渚」を物まね入りでカバーした時はどうでした? あの名曲を、ふざけるなみたいな感じ?

植田 いやいや全然。逆にうれしかった。

鳥塚 あれが効いてるんですよ、我々の延命に(笑)。その頃はもう実質的に活動してなかったのが……。

植田 あれで再度「ああ、ワイルドワンズいたよね」と思い出してもらえた。

鳥塚 ただご本人たちは怒られると思っていたようで、清水アキラ君とテレビ番組で一緒になったら冒頭でいきなり「すいません!!」と。

植田 僕もテレビ局でアゴ勇君に頭下げられましたけど、「いや、おかげでまた仕事させてもらえるんだから、いいんだよ」と。

 ──いい話ですね!

鳥塚 だけどね、後に我々がアンコールデビューといって81年から再度やり始めた時には、若い人たちがライブに来て「物まねは入んないんですか?」と言われましたよ(笑)。

島 ハンダースのがお茶の間に広く認知されてたからね。

 ──その「想い出の渚」、15年6月には新録盤を出されましたが、その時のお気持ちは?

植田 加瀬さんが亡くなったのはもちろん悲しくて頭も真っ白になっちゃいましたが、僕は今まで49年のお付き合いの中で、加瀬さんなら「お前ら悲しんでないで早く出発しろよ」と言ってくれると思えた。だからできる限り早く新録盤を出そうと、みんなで力を合わせて作業してね。

鳥塚 問題は、僕は今68歳(取材当時、2015年)なんですが、その49年前の19歳の時と同じような雰囲気で歌えるか。それはドキドキしましたね!

植田 本人は気にしてたけど、声聞いたら全然変わんなかったから。

島 うれしかったのは、植田君がイントロや間奏の12弦ギターを「島君が弾いた方がいいよ」と言ってくれたこと。加瀬さんのピッキングは独特で、誰もあのサウンドは再現できない。僕は長年近くで見てましたから、極力忠実に弾きました。でも、やっぱり胸が詰まってね……。

 ──さて、皆さんの年齢を足すと204歳になり、人数を考えればストーンズともいい勝負です。なのにこれだけ元気な秘訣は?

島 一つは、ここケネディハウスで毎月1回演奏できるというのが、使命感にもハリにもなっていること。老けちゃいられないし、調子が悪いとみんなに迷惑かけるので、体調管理は万全にやってます。加瀬さんも含め4人全員、がんになってますし。全員それを一度克服して元気になってるので、なるべく二度目がないようにね。

鳥塚 僕も、いつも同じような声を出して歌えるような体調に持っていくことを心がけてます。胃が4分の1しかないので、太れるだけ食べられない悩みはありますが。

植田 レジェンド扱いで祭り上げられるより、常に現役の楽しいバンドとして、見ると元気が出るライブをやっていたいという気持ちですかね。ITが進むほど生身の人間のライブが重要になる。僕らには長年一緒にやってるからこそ出せる、数字で表せないグルーブ感もありますし。

島 この年になると格好つけてはいられない。鳥さんも疲れたら「疲れた」って言うし。でも皆さん、そういう自然さが見たくて来てると思うし、失敗してもそれがまた受ける。

鳥塚 歌詞も忘れるしね(笑)。

植田 それがCDやダウンロード配信にないライブの良さですよ。

鳥塚 3人それぞれの人間力だよね。

 ──12月13日には結成50周年記念のコンサートもありますが。

鳥塚 やはり3人でもこれだけ迫力のある演奏ができるんだということを、皆さんに聴いて戴きたいです。

島 加瀬さん追悼の意味もありますが、これからの3人のワンズのスタートとなる大事なステージでもある。ただ、気張るだけじゃなくて楽しむ気持ちも持っていたいなと。

植田 加瀬さんが残してくれた名曲を大切に継承し、常にお客さんに楽しさと元気を与えたい。「やっぱ楽しかった」「元気が出たわ」と言われるのが一番の報酬ですから。前を向いていたいですね。

(聞き手/大口克人 撮影/大沼正彦)

[日経マネー2016年1月号の記事を再構成]

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