僕は今、彼女と同棲している。
その中で、一つ困ったことがあった。
それは、僕が部屋で仕事をしていると、彼女が寂しそうにいじけてしまうことだった。
僕はこれに対して、こう思った。
「彼女はまだ10代で若い」
「だからきっと『かまってほしい』という衝動を抑えきれないのだろう」
「ここは厳しくいかなければ」
「彼女になんと言われようと僕は仕事をしなければならない」
それから一週間ほど経った。
その頃の彼女は、僕が仕事を始めるといじけてしまうどころか、発熱し、体調を崩してしまうほどになってしまった。
僕は思った。
「そこまで衝動を抑えきれないの?なんてわがままな人だろう!」
それから一週間ほど経った。
この頃の僕は、あるパターンに気付いた。
「彼女は僕が仕事をしているとき、毎回必ず不機嫌になるわけではない」
「むしろ積極的に応援してくれているときもある」
「そういう時の彼女は、僕が仕事をしやすいように飲み物を用意してくれたり、かなり細かな気配りをしてくれている」
「この応援してくれるときと、邪魔をしようとするときの差はなんだ?」
「このスイッチが切り替わる条件は一体なんだ?」
「単純に彼女の気分の問題なのか?」
「それとも何か別の条件があるのか?」
それから一週間ほど経った。
スイッチの条件がわかった。
彼女は、僕が嫌々仕事をしているとき、本当は辛いのに我慢して仕事をしているとき、必ず発熱し、体調を崩していたことに気付いた。
彼女は、僕が絶好調で仕事をしているとき、心から楽しんで仕事をしているとき、必ずそれを応援し、支援してくれていることに気付いた。
僕がその発見を彼女に告げると、彼女はこう言った。
「私も自分でも気付いていなかった」
「だけど確かに、私が熱が出ちゃうときのりゅーくんはいつも辛そうだった」
「それを見てるのが辛くて、見てられなくて、なんだかもやもやする気持ちだったことを覚えている」
「自分でもどうしてこんなに体調が不安定なのかわからなくてもやもやしていたのが、すごくすっとした。『それだ』と思った」
この出来事から、僕は以下のことを学んだ。
- もし僕が、彼女のことを「まだ若いから」という見下した視点で見ていたら、この真実には辿り着けなかった。
- どんな相手であろうと、その行動にはなんらかの合理性があるのだと考え、相手の意図がどこにあるのかをしっかり考えることが大事だ。
- 相手を見下してはダメだ。
- もし僕が、彼女の行動に対して真剣に「なぜそうなるのか」を考えようとしていなければ、この真実には辿り着けなかった。
- つまり彼女の「愛情」に気付くことができなかった。
- きっとこんなふうに、せっかくすでに誰かが与えてくれている「愛情」に気づかないまま、「自分のことなんて誰も愛してくれない」といじけてしまっている人が、この世界にはたくさんいるのだと思う。
- 愛情とは、ただもらえれば心が満たされるものではない。それを受け取るという強い意志と行動が伴わなければ、きっと気付くことすらできないのだと思う。
- 彼女は僕のことを本当に心から「大切だ」と思ってくれているんだね。
- だから僕は、僕自身のためにも、彼女のためにも、僕という人間をもっと大切にしなければいけないのかもしれない。
- 「私のために」ではなく、「私たちのために」僕は僕をもっと大切にしようと思った。
- 女性の観察力はすごい。
- 僕が逆の立場だったら、僕はきっとここまでは気付くことができない。
- 愛しゅごい。
その後、僕は無理をして仕事するのやめた。
なんか気分がのらないときは、思い切ってなんもしない作戦を採用することにした。
それ以後、彼女が発熱することはなくなった。
これからも彼女を大切にしようと思った。
そんなある日の夕暮れだった。
おしまい( ´ ω `)