「意識高い系」という、ある特定の人たちを示すことばがある。
いまだにネットで頻繁に見かけることばだ。かなり前に聞いた流行語のひとつ、と認識していたのだが全く廃れる様子がない。
なぜだろうか?
《目次》
「意識高い系」とは
本著に書かれた「意識高い系」の特徴は以下のとおりだ。
- やたらと学生団体を立ち上げようとする
- 人脈をやたらと自慢、そして利用
- 人を見下す
- ビジネス書読んでますアピール
- やたらとプロフィールを盛る
- 「アレオレ詐欺(アレはオレがやったとうそぶく)」で経歴詐称
- 肩書きをつくる
「やたらと」がキーワードのようだ。「アレオレ詐欺」は本著で知ったが、造語だろうか?うまく言うものだ。
「肩書きをつくる」では高城剛氏の「ハイパーメディアクリエイター」を例に出して、「今、口に出したら、恥ずかしくて、顔が真っ赤になりそうだ」と評している。そういえば最近、ブログ界隈でもこれに似た話題があったような。
それにしても「意識が高い」ということばは、日本の未来や社会問題のことをいつも考えていて、能力も高く、世界を変えようという気概に満ちた人たちを指す、本来はポジティブなことばだったはずだ。
いつから「意識高い系」が、本当に意識が高く実力もある「意識が高い人」ではなく、滑稽で「アイタタタっ」な勘違いヤローを示すことばになったのだろうか?
「意識高い系」の登場
2009年頃の就活ではTwitter、2011年頃の就活ではFacebookが主流になっていった。このSNSの普及こそ、意識の高い学生がブレイクし、ますます意識の高い行動をするとともに、叩かれるキッカケにもなった。
著者の常見陽平は元リクルートでフリーの人材コンサルタント(痛い肩書きだと自虐しているが)であるため、就活を題材として「意識高い系」登場の歴史を書いている。
「意識高い系」がはびこるのは「就活」界隈だけではないのでは、と思うかもしれない。しかし「意識高い系(スペース)」でGoogle検索すると、「ことば」「2ch」の次に「就活」がくる。「就活」は「意識高い系」の代表的な生息地であるようだ。
常見さんによると2009年頃から「意識高い系」が目立ちだしたようなので、少なくとも彼らには6年の歴史がある。
はびこり続ける「意識高い系」の原因と対策
「意識高い系」を害虫のように感じる人もいるかもしれない。だが、実は「意識高い系」が多く存在すること自体は社会的に良いことなのではないか。
成功者の裏には、必ず多くの失敗者がいるものだ。
「意識高い系」という未成功者(失敗者では決してない)が多いことは、世界を変えるチャレンジャーが多いことを意味している。さらに、本物の成功者である「意識が高い人」も、意識だけが高くて痛めの「意識高い系」からのし上がっていったとも考えられる。はじめは「意識」ぐらいしか持ち合わせていないんだから、しょうがないだろう。
しかし、うがった見方をすると、チャレンジャーの数は時代を経ても変わっておらず、良くも悪くも「個人が目立つことのできる世の中」になったことが本質的な理由かもしれない。
ソーシャル化の流れは不可逆なので、6年と言わずこれからも「意識高い系」がはびこり続けるだろう。それなら「意識高い系予備軍」の未成功者たちは、チャレンジして成功するルートに「成果もないのに目立つ」というステップは存在しないと考えたらどうだろうか。
これは真実のように思う。「出過ぎた杭は誰も打てない」とはタンジブル(触れることができる)をコンセプトに研究を進めるMITメディアラボ石井裕教授のことばだ。目に見える成果を出せば、自然と出過ぎる。逆に他から少しだけしか出てないヤツには自分からアピールして目立っているヤツが多く、大したことないから打たれて当然なのだ。
「意識高い系予備軍」は短絡的なセルフブランディングにこだわらず、淡々と価値のある実物を生み出すことに注力してほしい。本物の「意識が高い人」になるためには、高い目標を持った上でそれを人に見せびらかさず、目の前のことの夢中になることだ。この世界がより早く劇的に変化することを祈ってエールを送りたい。
常見陽平の他の本
『「意識高い系」という病』と視点が似ているけれど違う。
- 意識高い人(本物)=ガンダム
- 意識高い系で脱落した人、意識低い人=ジム
このようなアナロジーで語られる人材論。