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ポジ熊の人生記

雑記です。ブログが大好きなので定期的にブログ論を書く癖があります。

読書自慢はわかったから黙って読めよって思う。読書は良いものです

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読書自慢

読書しない大学生は45% 過去最高 NHKニュース

なんでも読書をしない大学生が45%ほどいる!というのがアンケート結果でわかったそうな。上記リンクはそんな記事。

[:contnets]

電子書籍は含んでいるのか

調査を行った主務者が年配だったとしたら、読書という概念に電子書籍を含んでいなかった可能性はないだろうか。その結果、「紙ベース」での読書はしない方の割合が単純に増えて、Kindleなどのデバイスで読書している方々が省かれた可能性はある。逆に後述するスマホを操作する時間の方に、電子の読書時間を加えているのかもしれない。

もしこれらのことを考慮しても読書時間がやはり減っているのだとしたら、あまり良いこととは言えない。読書というのは限られた自分の考えを広げることのできる、最も手短な手段と言ってよい。なので若いうちから本来であれば積極的に読書はすべき。ただ自慢するのはどうなのかな(後述)。

 

スマホをいじる時間が長いことについて

これは時代の流れもある。年配者は、小さな四角い機械を猿のように必死にいじくっている若者を奇異の目で見ているに違いなかろうが、ではスマホがなかった時代はみなが健全だったのだろうか。僕はそうは思わない、スマホはないなりに何か別のことに一生懸命になって打ち込んでていて、それは時に別の世代からあまり良くない感情で見られていたに違いないのではなかろうか。単にモノが変わっただけだろう。

それにコミュニケーションを手元の小型電子端末に依存しているというのも、スマホ操作時間増大の大きな要因であろう。他者とのコミュニケーションは社会の基盤を成す。それを大いに握っているスマホをひたすら弄ることは避けられぬことではなかろうか。これを良しとしているわけではなく、時代の変遷や社会構造の変化、技術革新によりある程度必要なことではある。もし1日中それに耽っている人はもやはそれは「依存症」のカテゴリに入ってくるのであろう。何事にも限度はある。

 

「読書」って構えなくても情報は入る

一冊の本を構えて読んで読了して。さもそれが大業で意味深く、そしてそうであるべきという社会の押しつけがましい雰囲気もちも「少しだけ」感じる。そして数多くの書籍を読んだ者の優越コンプレックスもネットのどこかでいつも飛び回っている。自分には関係のないことなれど、できればこちらの方を向いてほしくない輩である。「僕は1日に○冊の本を読むんだ」「本を読まない人間は駄目だね」とか聞いていると「いいから黙って読めよ凸助がw」って感じちゃう。確かに読書はいいものだけど、それを人にみせびらかす必要はない、黙って読んでればいい。

 

本題は「読書」じゃなくてもニュースやブログなどほか読み物を読むことでも、「読む」生活は成り立つんじゃないかなってこと。確かに1つのまとまり、テーマがある「本」を読むことは大事なことかもしれないけど、本を読まなければ何が何でも駄目なんじゃなくてテキストベースのものでそれが何かを訴えようとするていを成しているのであれば、形にこだわる必要もないのではないかなぁと。件の本を読まない大学生たちを「愚か」と断じるものほど「愚か」であり、何を読んでいるかはわからないのである。本じゃない何かかもしれないし。

 

さて、今日も本を読むとするか。