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【社説】

東京マラソン 走る障がい者に声援を

 今日は東京マラソンが開催され、首都の真ん中を約三万七千人が駆け抜ける。十回目の節目を迎えて車いすレースの部も国際化に踏み出す。走る者のすべてをアスリートとして応援したい。

 日本の車いすマラソンの歴史は大分県から始まった。一九八一年、「日本パラリンピックの父」と呼ばれる医師の中村裕氏(二七〜八四年)が尽力した「第一回大分国際車いすマラソン大会」が起源となる。

 日本の医学的リハビリテーションの草分けでもある中村氏は「障がい者も外に出てスポーツをやるべきだ」と提唱し、六一年に第一回大分県身体障害者体育大会を実施。車いすで外出することすら珍しかった時代に、画期的なことだった。

 その三年後には東京パラリンピックの選手団団長を務め、六五年に身体障がい者の自立を支援する「太陽の家」を別府市に設立、翌年には本格的なリハビリ施設を持つ大分中村病院を開いた。

 大分での車いすマラソン大会実施は、それまで安全上の理由などでマラソン参加が認められなかった当時の日本の車いすランナーたちに大きな光をともした。選手たちはこぞって体を鍛え、技術を磨き、記録と勝負に挑んだ。八四年からは夏季パラリンピックの種目にも加わり、今や日本各地で車いすマラソンは行われている。

 車いすランナーたちは午前九時五分にスタートする。選手たちには共通の願いがある。

 「私たちをアスリートとして見てほしい」

 新聞、テレビなどのメディアはともすれば「不慮の事故や病気で車いすになってしまった」という論調になりがちだ。パラリンピック女子競泳で計十五個の金メダルを獲得した成田真由美さんはそのような風潮にくぎを刺す。

 「骨折したらギプスをし、目が悪ければメガネを掛ける。それと同じ。足が悪いから車いすに乗っているだけ」

 日常生活などで障がいのハンディはもちろんある。しかしスポーツを通じて心身を成長させ、自らの置かれた境遇をむしろ「プラス」に転じさせようとしてきた。その過程においては、一般のアスリートと何ら変わらない。

 海外招待選手の参加でハイレベルのレースが予想される今回は、リオデジャネイロ・パラリンピックの代表選手選考会も兼ねる。ぎりぎりまで自身を追い込む鍛錬を重ねてきた真のアスリートたちに、熱い声援を送りたい。

 

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