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つれづれTiru's Life

研究者の卵がつれづれと語る個人メディア的な何か。想像を創造に。夢想を武装に。

【自己責任分析2】「イスラム国日本人人質事件」概要

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自己責任分析の一環として、2015年1月に起きた「ISIL日本人人質事件」について「邦人殺害テロ事件の対応に関する検証委員会」の検証報告書を主に参考にしてまとめています。
 

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人質となった後藤さん(左)、湯川さん(右)

 

 まずこちらが一回目の記事です。どのように分析していくかをまとめています。 

 

「邦人殺害テロ事件の対応に関する検証委員会」の検証報告書

 

検証報告書とは、今回の人質事件が起きた後に政府主催の委員会を設立し、事件の流れに則して政府による当時の対応を検証したものです。
 
こちらでその内容を確認することができます。
 
今回の事件はイスラム国(以下、ダーイシュ)と政府などが交戦を続ける危険地域で起きたものでした。
地理的、政治的にも情報網が張り巡らされていない地域であり、確かな情報を確保することが最も難しい地域の一つです
 
そうした状況を鑑みると、事件の被害者である人質二名に対しては様々な憶測と思わしき情報が飛び交いました。
 
今となっては一体何が本当のことだったのかを知ることは出来ないと言っても過言ではないわけです。
 
信頼できる情熱の確保は難しいという前提に立ち、最低限のことをまとめます

二人の人質

人質となった湯川さんと後藤さんはいったいどのような経緯でシリアへ出向き、最終的に殺害されてしまったのでしょうか?

湯川さんの場合

湯川さんが人質として捉えられていることが発覚したのは、2014年8月14日のことでした。
 
湯川さんは自身のブログである「♪ HARUNA のブログ ♪」にて「再び、紛争地域の戦場へ」という記事を書いていました。
 
こちらがそのブログです。
 

 
7月21日に書かれたもので、
  • 危険地域に向かうであろうこと(シリア)
  • 次の更新はおよそ1ヵ月の滞在から帰ってきてから行われること
が報告されています。
 
が、この記事を最後に更新されることはありませんでした。
 
目的は明らかになっていませんが、民間軍事会社「PMC」という会社を立ち上げ、その関係で何度か中東地域に出向いていることから情報収集が目的だったのではないかと言われています。
 
ただ、ブログを見てもらえれば分かるのですが、湯川さんは現地の言葉を満足にしゃべれるほどではなく、そうした危険地域に関して素人だったと言えます。
 
2014 年 5 月 3 日の「シリア内戦観察 (戦場から二週間)」という記事によると、後藤さんとは渡航前から知り合いだったことが分かります。
また、同年 5 月 16 日17 日の記事によると、湯川さんが自由シリア軍に拘束された際に後藤さんが通訳をすることで初対面を果たしたようです
 
同年 6 月 29 日の「イラク分裂危機 2014 最前線!1」 にて後藤さんがテレビ朝日の報道番組である「報道ステーション」に提供されたイラクの現地映像は湯川さんにより撮影されたものだと述べ、同ブログ記事にて一緒に写真撮影をしているなど、シリアで後藤さんと対面してから交流が続けられていたことが確認できるます。
 
このように湯川さんと後藤さんは中東地域を通して、徐々に近しい関係になっていったことが分かります。

後藤さんの場合

後藤さんは渡航前に政府から3度に渡り、渡航中止を呼びかけられています。
9月下旬及び10月下旬電話にて、10月中旬には直接の対面にて政府にるよる呼びかけが行われました。
 
そして、事件が発覚したのは11月1日、後藤さんの奥さんが予定した時期に帰って来ないことを心配して政府に報告したことが最初でした。
 
渡航目的は湯川さんと同様に不明であり、一部では湯川さんを助けに行ったとされています
 
1 月 23 日に後藤さんの実母である石堂順子さんによって行われた会見の冒頭にて、先に拘束された湯川さんを救出するためにシリアへと出向いたということを後藤さんの奥さんが話したとのことを述べていますが、具体的な渡航目的は明らかにはされていません。
 
トルコからシリアへ入国する直前に、後藤さんはビデオメッセージを残していました。
それがこちらにて確認できます。
 
 
その冒頭のメッセージがこちら。
 
「何が起こっても責任は私自身にあります。どうか日本のみなさんもシリアの人たちに何も責任を負わせないでください。」
 
12月3日に犯人と思われる人物からのメールが後藤さん夫人に届き、それを政府へと報告し、12 月 19 日 には後藤さんが何者かによって拘束されているとの確証を得るに至りました。
 
しかし、この時点では明確にダーイシュによる犯行だとは断定できなかったそうです
 
犯行に及んだのがダーイシュだと断定されたのはダーイシュにより1月20日に公開された動画によってでした。
 
このことは政府の中東地域における情報収集能力の限界があり改善の余地もあると、検証報告書でも指摘されています。

ダーイシュの要求

二人の人質と交換に2億ドルが日本政府に要求されました。期限は72時間。
 
1月17日に行った安陪総理による中東政策スピーチでは、難民・避難民支援、人材開発、インフラ整備といった人道支援とし周辺各国へ2億ドル程度の支援を行うことがダーイシュによる要求にて引き合いに出されました。しかし、それは支援が人道支援ではなく軍事支援だと曲解を加えたものでした
 
政府が掲げた基本方針は大きく二つあります。
 

一つは、政府はテロに屈して身代金を払えばかえって日本国民の危険につながるなどといった理由から「テロには屈しない」という基本的な立場。

もう一つは、人質となった二人を救出するためにも「人道第一」というものでした。

 

しかし、これは「人命を第一」とすると言いつつ要求には応じないという一見相反する姿勢でもありました。

 

政府は家族への配慮から、情報提供などをしていましたが、実母ではあるが幼いころに離婚し別居していた後藤さんの実母である石堂順子さんにはその連絡をしていませんでした。

息子である後藤さんの人質解放を訴えるために人質交換の期限直前である1月23日に記者会見を行います。

その会見はこちらで確認できます。
 

 

その後も、安陪首相に直接面会を申し込むもそれは叶いませんでした。

事件の結末

ダーイシュから後藤さんが日本政府に対し、1 月 24 日には湯川さんが殺害されたとみられる写真を持つ後藤さんの映像とメッセージがインターネット上で公開されました。
 
その声明はこちらで確認できます。
「身代金はなくてもいいから、ヨルダンに収監中の人質を釈放しろ。
でなければ、自分も湯川と同じ目に合う。」
 
という内容でした。命乞いをするのは「自己責任」で行ったにも関わらず恥知らずだという意見もありましたが言わされたのか言ってしまったのかは定かではありません
 
2 月 1 日には後藤さんとみられる人物が殺害される映像がネット上に配信され、事件は人質二人の死亡という結果に終わります。 
 
次回は、こうした事件を前提としどのような問題意識を持ったのかを述べたいと思います。
 

 
【自己責任分析】