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轟け!サブカル女子

田舎住みサブカル女のたわごと。

寂しいと叫ぶには私はあまりにくだらない。

誰が興味あんねん

昨日久しぶりに寂しくなった。
「うっわー、寂しいなー」猫を撫でながらぽつりと呟いてみた。寂しさって一体どこからくるんだろうか。気づいた時にふらっとやってきて気づいた時にはいなくなっている。まるで野良猫のような感情。

そんな事を思っていたら、星野源のくせのうたが頭の中で流れた。

「寂しいと叫ぶには、僕はあまりにくだらない」

寂しいってやつは27年間生きてきても未だによくわからないやつで、ひとりぼっちの時に「やぁ!」と勝手にやってくるもんだと思ってたら、大勢でいる時も「何してんの?」と語りかけてくるから厄介なやつだ。大自然の中で一人ぼっちでも寂しさは感じないのに、大勢の人で賑わう都会で人混みの中を歩いている時に寂しさを感じたりするからよくわからない。孤独でいる事が寂しさに直結している訳じゃないのかもしれない。一人の時に味わう寂しさよりも、誰かが側にいるのに寂しさを感じる時のほうが地獄だろうなあ。

寂しいと叫ぶには、私はあまりにくだらない。

街を歩いているとみんな楽しそうに見えて、こんなにも寂しさを感じているのは自分なのかもと錯覚する。ネットで幸せそうな友達を見つけては勝手に寂しさを感じる。自分だけがこんなにも寂しさを感じているのかもしれないと思うととても悲しくなってくる。でも私と同じようにみんなも寂しさを感じているだろう。上手く隠しているだけで。外では上手に楽しいフリを演じているけど、孤独で押しつぶされそうな夜もあっただろう。楽しそうで羨ましく見えた友達もどこかではきっと寂しさと戦っているんだ。もしかしたら自分よりもっともっと寂しさを抱えているかもしれない。そう考えると自分が感じた寂しいという感情はちっぽけでくだらないものなのかもしれない。寂しいという感情は自分の心の中にはあるものではなく、相対的な関係の中で生まれてくる証拠のないとてもいい加減な感情だということにも気づく。

そして「寂しいと叫ぶには私はあまりにくだらない」と聞くとなぜか大切な人達の顔が思い浮かんでくる。愛してくれる家族も笑い合える友達も想ってくれる大事な人も癒やしをくれる猫もいる。こんなに恵まれているのにどうして寂しいなんて思ったんだろう。本当にくだらないなあ。そんな事を考えていたら寂しさはいつの間にかどこかへ行ってしまった。

星野源はどうしてこんなに暖かくなる曲を歌えるんだろう。YELLOW DANCERのただただかっこいいギラギラ星野源も素敵だったけど、この頃のお味噌汁を飲んだ時のような多幸感を味わえる優しく暖かい曲達もとても素晴らしいなと改めて気づいた。 苦しかったり辛い事を笑いに昇華出来るくらいの知恵とメンタルをつけていきたいなあと思う今日この頃。

寂しいと叫ぶには私はあまりにくだらない。