今年のノーベル化学賞を契機に「モグラたたき」モデルでの放射線影響評価を考える2015年10月16日 15:34

(54)今年のノーベル化学賞を契機に「モグラたたき」モデルでの放射線影響評価を考える

 

残念ながら日本人の受賞はならなかったが、今年のノーベル化学賞は、「DNA修復メカニズムの解明」を行った3人の化学者に与えられることが発表された。日本人受賞でなかったので、国内ではあまり報道されていないが、DNA修復メカニズムは、何らかの外部刺激によって傷ついたDNAを修復する機能を生物自体が持っていることを示すもので、これによって我々は生体維持しているともいえる大切なものである。

 

放射線被曝による影響も本質は細胞内のDNA損傷であり、損傷によって影響が生じるという考えであるが、このブログでは2012年11月に第22回「ウェード・アリソン著「放射能と理性」(徳間書店)を読んで」で、ICRPが主導している放射線防護における放射線影響評価の基本的な考え方であるLNTモデル(低線量被曝における癌発生などの確率的影響には、しきい値は存在せず、そのリスクは被曝線量に比例するとするモデル)について、「生物学的損傷をLNTモデルで説明しようとすると、修復メカニズムの存在を否定せざるをえなくなるという考えである」というアリソンの主張を紹介した。アリソンはLNTモデルによる過剰規制は問題だとし、実際には修復機能が働くのだから、しきい値が存在すると考える方が正しいとの主張であった。私自身は、広島・長崎の原爆影響調査のような疫学上のデータから、低線量被曝影響のようなリスクの小さいものを評価する場合の放射線防護上の観点から、LNTモデルを採用するのは仕方のないことと考えており、ポイントはそのリスクの大きさを正しく評価することだとしてきた。

 

また、低線量被曝による影響を考える上での生体の修復メカニズムに関しては、このブログの2013年10月の第39回に線量・線量率係数について説明したように、ICRPは検討したうえで、線量・線量率係数2を採用することで、LNTモデルは、「低線量、低線量率における放射線防護の保守的なベースとしては有効である」としている。

 

ところで、昨年の日本原子力学会誌11月号に大阪大の真鍋勇一郎氏や日本物理学会元会長の坂東昌子氏達の解説記事「LNT再考 放射線の生体影響を考える」が掲載され、本年4月号では座談会記事「LNTは成立しない?低線量では細胞レベルで修復メカニズムが働く」が掲載され、その研究の経緯・内容等が語られた(物理学者であるこれらの筆者達が福島事故後に低線量放射線影響について、もっと定量的な評価ができないかと検討をはじめたもので、日本物理学会等で検討・研究内容を発表してきており、本年2月には日経電子版で内容が簡単に紹介されたようである)。

その内容は、LNTモデルに対して修復メカニズムを考慮したモデル「モグラたたき」を採用することによって、低線量という不確実な領域でも生物學的影響の定量的評価の可能性が見いだせるとするものである。

そして、それを現実の世界に当てはめて評価すると、LNTモデルでの総線量規制で評価され、福島の居住制限区域や帰還困難区域として問題となっているような線量のレベルでも、ほとんどリスクが増えないと考えられるというものである。

 

今回は、このモデルを紹介することによって、放射線影響について知識を深めていきたい。

 

<正しい理解のために>

 

もともと放射線による生物学的影響に関する実験として、ショウジョウバエを使った実験が1920年代に米国のマラーにより行われ、突然変異の発生率が、照射した放射線の総線量に比例し、これは線量率を変えても変わらないという結果が得られたのは有名な話である(つまり、影響は線量に比例するというLNTモデル)。

その後、哺乳類であるマウスを700万匹も使った照射実験(メガマウス実験)が1950年代から米国オークリッジ国立研究所のラッセル達によって行われ、結果が1980年代に発表されたが、それによると、線量率によって突然変異の発生率は異なり、低い線量率では同じ総線量でも突然変異発生率は小さくなるという結果であった。このラッセル達の実験は、LNTモデルそのものを否定するというのでなく、線量率によって突然変異の発生に影響する比例係数(直線の傾き)が変わると考えられ、それが放射線防護上の線量・線量率効果係数を取り入れる考えのひとつにもなっていると言ってよいであろう。

 

ところが、真鍋氏達はこのラッセル達の結果は正しく理解されておらず、放射線による細胞損傷の修復メカニズムやアポトーシスなどを考慮するモデル(これを損傷に対して修復や除去機能が働く「モグラたたき」モデルと名付けている)で、実験結果がよく評価できるとしているのである。

 

つまり、現在はLNTモデルによって、放射線防護上も被曝総線量のみが注目され、年間20ミリシーベルト(居住制限区域の被曝下限レベル)でその状態のままだと5年だと100ミリシーベルトになるから癌にかかるリスクが0.5%増大する、10年では200ミリシーベルトでさらにリスクが倍増するという考えになっている。しかし、この「もぐらタタキ」モデルでは、被曝した累積総線量に注目するのでなく、被曝線量率(単位時間当たりの被曝線量)が変わらないとした時に、被曝の影響(ここでは細胞レベルの突然変異率Fを考える)の時間変化を、

 

dF(t)/dt=(a+bR)-(c+dR)F(t)     (1)

 

    (ここで 、F(t):時間t時の突然変異率、 R:線量率 )

 

で評価すべきだというのである。

 

この式の右辺の定数aとcは放射線被曝とは無関係な自然界の言わばバックグランドともいうべき突然変異生起関連(a)あるいは修復・除去関連(c)定数なるもので、かりに放射線の影響を考えなければR=0として

 

dF(t)/dt=a-cF(t)

 

となり、これを解けば、

 

         F(t)=a/c・(1-e-ct)+F(0)e-ct

 

となって、F(0)=0を出発点とすると、バックグランドの突然変異率は上限値F(∞)=a/cに時間とともに近づいていくということになる(よく知られている成長曲線、飽和曲線の一種)。

 

同じく線量率Rが一定として(1)のFを解けば、

 

 F(t)=(a+bR)/(c+dR)・(1-e-(c+dR)t)+F(0)e―(c+dR)t

 

となり、この場合の突然変異率の上限値はF(∞)=(a+bR)/(c+dR)であり、時間とともにこの値に近づいていくだけで、時間とともに被曝線量が累積していけば、リスクが増え続けていくというLNTモデルは現実的でないとするのである。

 

それではこの上限値はどの程度の値なのかということであるが、(1)式において放射線に関連しない突然変異を生起させる定数aと放射線関連の定数bとの関係で、

 

     a=b・ReffとしてReff

 

をまず定義する。このReffというのは、自然界にそもそも存在するバックグランドの突然変異発生率に等価な影響を与える線量率ということになるが、真鍋氏達はラッセルのメガマウス実験のデータから

 

Reff=1.11x10-3 グレイ/hr

        =1.11ミリグレイ/hr

          (ミリグレイ=ミリシーベルトと考えてよい)

という値を導き出しており、また、人の場合にはReff=8.4ミリグレイ/hr

とする研究結果があることも紹介している。

 

いずれにしろ、1時間当たり1-8ミリグレイ(ミリシーベルト)という値は、3.8マイクロシーベルト/hr(年間20ミリシーベルト相当)という値に比して260-2,100倍違う値であり、逆に年間20ミリシーベルトでも、その影響はバックグランドの0.5-0.05%程度でしかなく、無視できる量ではないかということなのである。

 

また、大切なのは影響には上限があるということで、何年も被曝を継続し累積線量が増えてもリスクは単純に比例して増えず、早く飽和して上限のリスク値に近づけば、継続被曝してもリスクが増えることはほとんどないから、居住制限をする必要もほとんどないのではないかという考えもできるということである。

 

尚、ここでは詳しく説明しないが、真鍋氏達は(1)式の解をベースにスケーリング手法で生物種に共通の関数式を導いて、マウス、ショウジョウバエ、植物種等の異なる生物種の実験データの突然変異率が同じ理論曲線で示されることを明らかにしており、この点も「モグラたたき」モデルが評価される結果を示している。

 

私はこの研究内容は、リスク評価値が小さくて疫学上、統計学上証明できない低線量被曝の影響について、定量的な評価アプローチができないかというもので大いに評価されるべきものだと考えるし、エンジニアとしての感覚を持ち、数式展開が当たり前の世界で生きてきた私などは、自然の摂理に従った論理展開で素直に受け取れるものである。

ただ、今年のノーベル化学賞のようなDNAレベル、細胞レベルの突然変異の修復と言った物理化学的な素プロセスからのアプローチと、ある意味では複雑ゆえに疫学的なアプローチがとられてきた我々が実際に問題にしている放射線影響による癌発症リスクとの関連が明確にはされておらず、(上記評価ではそれがほぼ同じ考えで言えるとしている)今後の多くの研究評価を期待したい。




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