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ポジ熊の人生記

雑記です。ブログが大好きなので定期的にブログ論を書く癖があります。

すべての非表示ユーザー、実に120人以上を表示させることにした

ブログ-はてなネタ

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新たな日の出

120人以上もいたことに驚き。何のことかわからない諸氏は以下のエントリーを確認していただきたい。

非表示入りしていた方々

暴言や誹謗中傷、人格否定に至るまで幅広く有り難いコメントを残していった歴代のユーザーである。そられをしらみつぶしに非表示というシステムを使って見えない場所へ送ってきた結果が、4か月少々で120人を超えたというわけだ。

ほとんどが(僕から見れば)ネット暦の長い方々で、いわゆる「村人」と呼ばれる人が多数を占める。3か月前の炎上で非難していった方々が多い。ここで50人は増えたような気がする。

 

どうして表示させるに至ったか

心境の変化が間違いなくある。ブログを開始した当初は表の、良い部分しか見えていなかった自分がいて、そこから逸脱した世界は当然のように排除しようという気持ちが強かった。つまり清濁併せ呑む余裕などはなかったということ。

では今は何でもウェルカムかといえばそんなことはなくて、暴言や誹謗中傷の類は見ていてはらわたが煮えくり返るし、呪ってやろうかとすらも思う。でも、それらを見えなくすることが今の自分にとってこれから必要なのかと考えた時に「違うな」って感じた。

自分の見えていない世界を見るためには、時としてそのような反発するエネルギーを受ける必要もあるのだろうなということが、なんとなくわかった。非表示にしているユーザーの中にも、言葉は強烈だが気付きを与えてくれる人も少なからずいる。そのようなユーザーをほかのゴミのようなコメントを残す人たちと十把一からげに非表示の墓場に送るのは、どうなのだろうか。そのような人たちを見分ける能力が自分にあるかといえば自信がない。それに、時には暴言を、時には気づきとなるコメントをするようなまだらなユーザーもいる。そんな人たちのそれを見逃すことはもったいないと考えるようになった。

 

4か月経過して得たものもある

それは耐性である。始めはそれだけで憎悪の念にかられ、ほかに手を付けることができないほどに右往左往した暴言や避難中傷群に対しても、一定の距離感を保てるようになった。「ああ、こういう人たちもまた、この世界を構成しているのだろうな」こうさえも思えるようになった。

このような心の変遷も手伝って、今回の非表示解除に至ったのだと思う。見る人から見れば「何を馬鹿なことをやっているんだ」って思うかも。何を好きこのんで罵詈雑言を浴びる設定をしているのだ、と。どれだけネット暦が長くても、それを見えないところにやらないと健全に親しめない人がいるのは事実だろうし、どんなに有名になっても未だにエゴサーチして自ら脅威を遠ざけようとしているユーザーがいることも知って驚いた。でも、僕は違う道を歩もうと決心した。

 

玉成混交もまた一の世界(あとがき)

ゴミのようなコメントの中に光る、自分にない気付きを与えてくれる珠玉のようなそれの魅力が、どうしても捨てきれないんだわ。それを得ることで、これからどれだけ傷つくかはわからないけど、とにかく僕はそれを見てみたくって仕方ない。

現時点から、全てのブックマークコメントが表示される。このことについての結果は、全て自分が請け負う覚悟はできている。表示させたからといって全てに目を通すかどうかは別の話だが、少なくとも目には入るようになるし、通知にもそれが表示されるだろう。だが、それでいい。光るコメントに会えることを大いに期待し、新たな舵を切ることとする。