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54年問題【総務会で辞任署名に同意した幹部の心根】

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年 2月27日(土)07時54分29秒
  通報 編集済
  あくまで個人的な邪推であり答えを模索していることを前提に投稿しますのでご了承ください。

当時、池田会長辞任署名をした幹部の心の中を知りたい。

はたして、悪意はなく善意から学会の組織を護るために署名したのか?
または、その一念の中に「池田会長がいなければ」という悪意があったのだろうか?
当然ながら54年問題は、悪意はなく与同だとしても、師匠への裏切りである重罪です!
しかし、当時の最高幹部が辞任署名を反省し「二度と先生を裏切らない」との心があれば、会則改定・安保法制の問題は起きなかったのではないでしょうか。


秋谷会長の「五月三日へ私の誓い(2006年4月11日聖教掲載)」の内容です。

『嫉妬に狂った坊主どもの暴圧があった。それと結託した裏切り者どもの謀略があった。
だが、その虜と成り果て、魔に食い破られ、悔やんでも悔やみきれない事態を招いてしまったのは、すべて私ども執行部の罪である。』

このように、「悔やんでいる」という言葉からも、当時は悪意がなく与同としての認識です。
更にその本質は、正木元理事長の言葉に帰結しています。

『あの54年問題の本質とは、師匠をどう見たか、どうとらえたか、弟子の側の問題です。
先生をただ三番目の会長としかみない、歴代の会長の一人としかみない。そういう弟子の
師匠をとらえる視点。もし池田先生が学会永遠の魂であり永遠の師匠であるととらえたら、
あんな対応になっていただろうか。こう私は思います。(正木理事長指導2009年1月)』


当時のありのままの状況を知りたくて、54年問題を知る方に直接聞いたり、当時の状況が書かれている本を読んでいます。
しかし、その中で疑問に思う点がいくつか出てきます。

「人間の中へ(吉村元佑著)」は第一次宗門問題で最も苦しんだ大分指導から始まります。
内容は割愛しますが、壮絶な宗門からの「いじめ」と内部の裏切り者による組織かく乱は想像を絶するものでした。

池田先生が「嵐の4・24」の中でこのようにおっしゃっています。
~~~~~~~~~~~~
・これ以上、学会員が苦しみ、坊主に苛(いじ)められることだけは、防がねばならない。
~~~~~~~~~~~~
「これ以上」という言葉の中から、先生が辞任を決意する程の大分のような事件や問題が多数起きていたことが想像できます。
「私が辞めれば、事態は収まるんだな」と、先生がご発言されるほどの問題や事件が、全国各地で勃発していたからこそ、先生は泥をかぶり辞任されたと思っていました。

ここで気になるのが、大分のような壮絶ないじめが全国的に事実として、どの位の範囲・数で起きていたのかということです。

自分の知る限り、54年問題を知る方に聞くと、池田先生の辞任をTVのニュースや、新聞等の報道で知った衝撃と悲しみと怒りの話を語る方はいますが、宗門からの壮絶ないじめに関しては、誰も話してはくれませんでした。
というより、宗門からのいじめが心に残っていなかったのです。これは、まだまだ証言が少ないので、何とも言えませんが、ここで気になったのが、当時の最高幹部は、本当に先生に対して「正確な報告をしていたのか否か」ということです。

確かに大分のように、壮絶ないじめにあった地域があるのは事実で、歴史の証言者もいらっしゃいます。
もし仮に、被害が少ない地域の宗門からのいじめの報告に対しても、尾ひれを付けて、さも酷い状況として最高幹部が池田先生に報告していたならどうでしょうか。
先生は、次々と報告される内容に心を痛め、身を犠牲にしても現場会員を守ろうとするに違いありません。

当時の最高幹部は、牧口・戸田門下生です。
創価学会の急激な発展により、事実として莫大な金と権力が発生したのは言うまでもありません。
その金と権力に群がる幹部がいるのは想像できます。
師弟を重んじる、誠実で純粋な青年会長は、ささいな金銭の不正も許さないのではないでしょうか。
現場会員に対し、傲慢なふるまいをする幹部を厳しく戒めたのではないでしょうか。
ならば、古老の幹部が、誠実で真面目な青年会長を、おもしろく思わないのは察しがつきます。

また、同僚(同期)の幹部の気持ちを考えれば、同じ戸田門下生として戦ってきた中から、飛びぬけて優秀で人望を集める池田先生に対し、何かしらの嫉妬心が生まれるのも想像がつきます。

池田先生が会長就任以来、いつしか「池田会長がいなければ」という慢心が、側近の幹部に心の奥に芽生えていたらどうでしょうか。
そのような土壌に、山崎正友が現れ54年問題が起きてしまったとしたら?

先生にとって、身を犠牲にしてまでも護ってこられたのは、「戸田先生」と「学会員」です。
逆に、「戸田先生」と「学会員」を利用すれば、そこが先生の弱点となり、魔が付け込むのは言うまでもありません。

あくまで邪推ですが、「全国で学会員が壮絶ないじめにあっています。池田会長もう手に負えません。」と悪意を持ち報告に尾ひれを付けていた幹部がいたとしたら、絶対に許しがたい行為です。


~~~~~~~~~~~~
■聖教新聞1979-04-26掲載(昭和54年4月26日1面)「北条新会長の話」より
「また池田先生には、昨日の総務会で、全総務の総意で名誉会長になっていただきました。(拍手)」
~~~~~~~~~~~~
はたして、先生を護ろうとしたがやむをえず辞任署名に賛同したのか、それとも悪意からなのか?

54年問題を追及していくうちに、先生の辞任を決定した総務会に参加した最高幹部の心根が知りたいと思うようになりました。

組織維持を優先にした最高幹部。
いつか必ずその心根の全てを暴きたいと思います。

 
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